結婚したのは、2000年4月。妊娠が発覚したのは翌年の2月の下旬。
生物系の大学を卒業後、就職。就職してまもなく4年目に入ろうかという時期でした。
定時で上がれる事は滅多になく、夜勤もしばしばだったため、
子供が出来れば育児のために会社を辞めなければならないとは考えていました。
ここで、きちんと考えてる人は会社から出る出産費用や出産日前後にもらえる給付金の事を考えて、
辞める時期についても厳密に考えた事でしょう。
しかし、私は全く持って子供を作った事以外行き当たりばったりだったので実際に出産した日が
退社日から半年以内に入っていないと、非常にお得でないことを知る由もなく
つわりの辛さも手伝って、さっさと3ヶ月目に辞めてしまいました。
とは言っても、血を吐くほど辛かったとか、食べるものも食べられなくて体重が激減したとか
そういった事はなく、
冷たい握り飯だとか、湯気が立ち上って来るものでなければ「うっ」とか
言いながらも結構食べれていました。
43kgだった体重は、退社後あっというまに46kgまで増えてしまいました。
まあ、これを期に世の中にはいろいろな制度があるんだということがわかりました。
こんな風に、途中退社した方は、翌年、医療費控除と合わせて自分自身の確定申告もお忘れなく。
この頃は1ヶ月に1回の検診。そして逆子ということが判明。
まあ、この頃は良くある話なんだそうで、医者も気にした様子は無かったので
私も別に気になりませんでした。
そのうち直るだろうと。
そろそろお腹が出始めて来て、今まで着ていたものが一切入らなくなってきました。
4ヶ月頃にパンツを3本、妊娠前のウエスト+10cmのものを買ったのですが
今から思えば臨月のお腹の大きさを甘く見すぎていました・・。
6ヶ月には全てはけなくなっていました。
しかたがないので下着から洋服までをそろえにデパートへ。
訳のわからないまま、腹帯(さらし)を1本、腹帯兼ガードルを3枚
ブラを3枚、パンツ3枚、そしてアジャスタ付の7分丈パンツを1着購入。
いかにもというような服は、絶対避けたかった私は出産までこのパンツに
メンズのTシャツ(LかXL)を合わせてよくはきました。
他はアジアン雑貨屋で買った1000円のインド綿ワンピと、オーバーオール。
これで十分です。ほんとに。
全くもって2000年夏は最悪的に暑かった・・。
お腹の出っ張りは加速度的に大きくなり、体感温度を上げるのを助長していました。
検診は2週間に1回になり、里帰り出産を予定していたため遥々2時間半電車を乗り継いで
汗だくになりながら通院していました。
私の外出する際のスタイルは決まりきっていて、例の黒7分丈パンツにメンズ黒Tシャツ
そしてスニーカー。首にはバンダナや、きれいな色のインド綿スカーフを巻いていました。
これを首に巻くことによって、黒尽くめの中のワンポイントとなり、
少しは
お腹の出っ張りがそんなに笑える位大きく見えないのではないかと。
足がよくつるようになり、転ばないようにとか、そういうことでなく
歩けなくなるのでスニーカーでなくては絶対に出かけられません
よく妊婦さんで厚底や、ミュールを履いている人を見かけましたが、
あのお腹を、少ない面積や、固い靴底で支えて痛くないものか不思議でした。
そして8ヶ月目の検診で、逆子が直りました。そんなにまじめに体操していなかったのでびっくり。
旦那様の休みを利用して、伊豆の方へ旅行に。しばらく2人でいけないだろうから
まあ、楽しんできました。
この時期になって一番辛かったのが骨盤のきしみ。
朝起きる時、ほんとに1cmくらいずつしか体を動かすことが出来ず、とにかくふんばる事ができませんでした。
相変わらず足がよくつるので、クイックマッサージに行ってもんでもらうも
あお向けに寝ていると自分のお腹の重みで内臓が圧迫され、気持ち悪くなり早々に退散。
10ヶ月に入って里帰りをしました。とにかく体重が一時期+13kgまで行ってしまったので
食事と、適度な運動を必ずすることを念頭に、毎日すごしていました。
おかげさまで、家は根拠の無い昔の言い伝えや、「2人分食べなくちゃ駄目だから」とか
そういう事を押し付ける人がいませんで、まあ気楽にのんびり今のうちに
しておきなさいな、てな感じで助かりました。
そうこうしてるうちに予定日が過ぎてしまい、基本的な事項は母親学級で
教えてもらってはいたものの、陣痛の痛みとはどんなものなのか勿論わかるわけがなく
ちょっとお腹がいたくなっては、「ん?・・・違うか・・」の繰り返し。
全く何時になることやら、このまま出てこないつもりなのかい??など言いつつ
メールボックスにたまった大量の「まだ生まれないのか!?」「いつなの!?」というおかまいなしのメールに溜息。
こっちが聞きたいっつの。
芽生えたら、いつか出て行く訳だからと、のんびり構えていたある日。
予定日からすでに5日が経過。その日も夜、犬の散歩に付き合う。
11月に入ったとは言え、かなりの残暑で汗だくになって帰ってくると
のどが渇いたため、冷蔵庫の前にドシン!!と座った瞬間・・・
パチン!
「は?」と思っていると、みるみる下半身が塗れていく。
おいおいこれが良く聞く妊婦の失禁かい??やれやれだな・・と思うも量が半端じゃない。
なるほど、これが破水か。それにしても自分の意図と反して何かが体から出て行くというのは
なんとも不思議で気持ちの悪いものです。早速お風呂は避け、しばらく体も洗えないだろうと
頭念入りに、体は簡単に洗い、例のパンツとTシャツに着替え、ピアスを外し、病院に電話をかけ
いざ!。
入院したのは午後11時。まず6人まで唸れる陣痛室に入り前開きの分娩着に着替える。
程なくして旦那様が、陣痛もなくただ寝てるだけじゃつまらないだろうと漫画を持ってきてくれました
家族の泊まり込みは許可されていないため、すぐに旦那様は退散。
余裕で持ってきてもらった漫画を読みはじめました。
「たった2冊か・・・これじゃあ夜も明かせないな」と1ページずつ丁寧に読み出して2時間が経った所・・・
どうしたことでしょう。ページが全く追えなくなってしまいました。
そう、陣痛が始まってきたのです。なんとこれが噂に聞く!!
なるほど、まだ子宮口は4cmほどしか開いてないというのになんという痛さだ!
ついに漫画を放り投げると、ベットにくの字に横たわった。
午前5時、もう生ませてくれ!と思うが、検診に来た助産婦さんは「まだですね〜♪」と行ってしまった
何か面白い事でもやってやろうかと、いろいろ考えていたのが全部吹っ飛ぶ。
ラマーズ法だぁ!?ふざけるな。息をするのもやっとなんだ。酸欠にならなければ
どうやって呼吸しようが、こっちの勝手じゃないか!と思う。
真夏にへばってる犬のような息の荒さ。そして不思議なことに陣痛がおさまると
すーーーっと楽になり、眠りに落ちてしまいさえする。しかしまた激しく痛みだし
明け方6時頃に旦那様が来てくれるも、構ってられなかった。
痛みと眠さで頭がこんがらがって、読む気もないのに漫画に手を伸ばしたり(笑)
そしてとうとう。その時期がこないと分娩室に入れてもらえないのだとわかっていても
がんがんナースコールを押し捲っていた私に、嫌気が指したのか(笑)
子宮口はまだ8cmだったのに、分娩台に乗らせてくれた。
分娩室に入ったのは母子手帳によると、午前8時。
入ったものの、「へびの子じゃないんだから、そんなにすぽん!!とはいかないから、少しずつ頑張りましょうね」
との言葉に、(いーや、スポンと産んでやる・・眠い・・寝たい・・・これ終わったら寝れるんだ・・・)
分娩台は、大きく開いて左右の台に両足を乗せ、両手はいきみやすいように
バーを持たされる。最初は「いきむ」とはどこに力を入れていいのか分からず
顔ばかり赤くしていたが、そうすると内出血をして出産後しばらく顔が赤黒くなるらしい。
下腹に力をいれ、押し出すような感じでね!といわれ出来るだけ忠実にその通りにしようと試みる
「そう!!うまいわよ!!」の声。痛みは陣痛よりももっと物理的な痛さ(謎)が襲ってきた。
きっと今、一番大きい耳周りに差し掛かってるんだな!ようし、ここからいっきに・・・
「ちょーーっとまって!!!」と、助産婦さんの声。待てない、待てるわけないでしょうが。
何を慌てていたのかというと、会陰切開は医師でしか行なえないためだったのだ。
そう、つまり助産婦さんは、こんなに早く出産が進むと思ってなかったし、
まさにへびの子のようにスポンとまさに生まれようとしていたのだ。
いつも外来でかかっていた女医さんが駆け込んでくると、ぱつん、ぱつんと切開してもらったと同時に
「ふん!!!!」
私のバックに、花畑が広がり、そこには蝶々が飛んでいた。
一瞬にして昇天してしまいたくなるくらい、なんという開放感!
かくして我が子はこの世に生れ落ちた。女の子だった。男だと思い込んでいたので多少ビックリしたが、まあ、どちらでもいい。
初めてみる我が子の顔は、浅黒く、ふやけていてさしずめ宇宙人といったところか。
お世辞にもかわいいといえない外見に反して、なんとも不思議な感情が湧いてくる。
よろしくな。たよりない母親だけど、まあ、一緒にのんびり頑張ろうな。。。
そんな気持ちを知る由もないわが娘は、産湯に入れてもらい保育器に入れられるやいなや
大量のおしっこを放出していた・・・。いいご挨拶だこと。