かりんとゆっぴーのこれまでの言葉の習得


1994年かりん誕生
えでんママ、退職
えでんママ、かりん、日本へ旅行
` かりん1歳6ヶ月のころ
ABCの歌
ゆっぴー産まれる
ゆっぴーの最初の言葉
かりんと日本語
言葉の遅いゆっぴー
3歳前のゆっぴーの日本語
ゆっぴー幼稚園へ
読み聞かせ
字と音
4歳直前のゆっぴーの日本語
5歳頃のゆっぴー
「お受験準備」



1994年かりん誕生

えでんママは働いていたので、昼間はお手伝いさんに預けられていました。
パパの事務所がすぐ隣だったので、パパがお昼に帰ってくると かりんと
遊んでくれたり、一緒にお昼寝したりしていました。
えでんママは日曜のお休みの時、かりんに日本語で話しかけることに
していました。でも、まわりに親戚やお手伝いさんや夫がいると、
なかなか日本語で話しかけるのも、気を使うものです。

えでんママ、退職

かりんが10ヶ月の時、えでんママはフルタイムのお仕事を辞めました。
かりんのこの頃話していた片言は「おあな(お花)」
「エッキックファン(エレクトリック・ファンつまり扇風機」でした。
よく電灯を指差して「うーlight!(でんき)」とも言ってました。

えでんママ、かりん、日本へ旅行

この頃、えでんママとかりんで日本へ行きました。
しばらく日本へ滞在している間におもしろいことに気づきました。
かりんがそれまで電話をまねて、「ハロー」と言っていたのが
二週間後には「もしもし」にかわりました。そしてモジョモジョ言ってた
ジャーゴン(めちゃめちゃ語)も、フィリピン語っぽかったのが、
日本語っぽい音に変っていました。そして一ヶ月滞在して、帰ってきたら、
「はろーはろー」に変わりました。ハローに戻ったけれど、もしもしの
ように2回重ねるのだけ、残ったんですね。

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かりん1歳6ヶ月のころ(1996年)

フィリピン人の叔母に向かって、車を指差して、「くるま」と言って
みますが、理解されませんでした。どうして理解されないのかわからず、
何度か「くーるーま」と言いますが、「何?」と言われて、地団駄を踏み
ました。えでんママはちょっとかわいそうになって、私自身もフィリピ
ン語も使うようになりました。使い分けを教えることも必要かな、
と思ったからです。

ABCの歌

かりんが覚えたABCの歌は、
なぜかどの母音にもHが頭についていました。
「へー ビーシーディー、ヒーヘフジー、ヘイチ、ハイ、ジェイケー・・・」 と言う感じです。
フィリピンのパンパンガ地方の人たちは、母音にHをつける癖があると
言われていますが、かりんは全然その地方の人と関わったことは
なかったのに、面白いものです。
ちなみにゆっぴーも後に同じような歌い方をしていました。

ゆっぴー産れる

かりんが1歳10ヶ月でゆっぴーが産れました。えでんママはパートで
日本語を教える仕事は続けていました。
ゆっぴーは抱いていないと落着かない子だった
ので ゆっぴーが寝ていたりして、お手伝いさんに預けられる時は
できるだけかりんと過ごすことにしていました。

ゆっぴーの最初の言葉(1997年)

11ヶ月ごろ、指差して「ぶー」と言うようになりました。
フィリピン語の「ブティキ(ヤモリ)」のことです。
かなり長い間「ぶー」だけで通していました。
「ティキ」とも言っていました。「ぶー」も「てぃき」も
言えるのに、「ブティキ」とつなげるとどうしても言えないのです。

その他「トゥービッグ(水)」のことは「トゥーbg」
(bとgは音だけ、母音無し)と言っていました。
「ごあん」(ごはん)は、日本語で覚えていました。

はじめて日本に行ったのは11ヶ月の頃。
この頃、トラックを指差して「trk」(母音なし。
トゥルックと聞こえる)と言ってました。一ヶ月の滞在の間に
「こーき」(ひこうき)はしっかり覚えました。
やっぱり男の子ですね(笑)。

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かりんと日本語(2歳10ヶ月ごろ、1997年)

日本についてからの2週間、ずっと黙り込んでいてほとんど何も
話しませんでした。でも2週間たったら、いきなり日本語だけで話す
ようになりました。家でも日本語を私から聞いていて、私の指示にも
従えるけれどまとまったことを話すとなると、やっぱり違うようなのです。

4週間の滞在の終わり頃、フィリピンにいるパパと電話で話したとき、
一言も言わず、ただうなづいていました。フィリピンに帰ってきたら、
4日間やはり黙っていましたが、その後、普通に話しはじめました。

この次の年(3歳10ヶ月ごろ、1998年)では、日本についてから4日間、
なにも言わない状態があり、その後は日本語のみで話していました。
フィリピンに戻ってからは半日ほどでフィリピン語が再度優勢になり
ました。その翌年(4歳10ヶ月ごろ、1999年)には、日本について
すぐに日本語のみになりました。それ以来、普段の生活でも割と
すぐに切り替えて使っています。

言葉の遅いゆっぴー(2歳ごろ、1998年)

ゆっぴーは日本語は聞けばかなりわかっていて、言われたことに従う
ことはできていましたが、日本語自体はあまりしゃべれませんでした。
日本語よりはフィリピン語の方が上手だったのに、それでも、一つの
言葉全体を言うことができず、なかなか幼児語から抜け出せない
ゆっぴーを見て「医者に見せた方がいいんじゃないか」とアドバイスを
くれた人がいたほど、ゆっぴーの言葉は遅かったのでした。

でも3歳近くになってから、とってもおしゃべりになりました。
ですが、かりんと違って、日本語の語彙をフィリピン語に混ぜて
話す癖があり、言いたいことはいっぱいあるのに 言葉にアクセス
できないような様子のことが、このころからありました。
(これは6歳になった今でも続いています。)
男の子は比較的口が遅い子が多いように思うので、
特に気にしませんでした。

3歳前のゆっぴーの日本語

またまた3歳直前に日本で一ヶ月滞在しました。でもおじいちゃんや
おばあちゃんに一生懸命フィリピン語で話しかけていました。
この相手にはフィリピン語は 通じないから、言葉を切り替えなきゃ
いけない、ということが わからないのはもちろん、日本語自体が
口から出てこないのでしょうね。
でも人の言っていることはよく理解していました。
このときは、滞在の最後の方には、すこし日本語らしい表現が
いきなり口に出てびっくりしました。線路を見て、突然
「あ、せんろだー、電車くるよ」と言ったのです。

ゆっぴー幼稚園へ(3歳、1999年)

フィリピンへ戻った直後、幼稚園へ入園しました。
最初の日、先生に、「この子は日本語をフィリピン語に混ぜて
話しているようで、言っていることがよくわからないので、
この子の話す日本語をリストにしてくれ」と言われました。
実際にリストにしてみると、ゆっぴーがフィリピン語に
まぜて使っている日本語もあるものの、ゆっぴーが勝手に省略して
言っている言葉(「ブー」なら「ブティキ(やもり)」のように)
がかなりあることがわかりました。
ちょうど日本へ一ヶ月行った後でもあったので、先生に、たぶん
一ヶ月以内には、日本語の問題ならそれほど問題なくなるはず、
と伝えました。ずらっと書き出したリストを見て、
「これだけあると私にも覚えられないから、わからない言葉を
言った時点で、書き出しておいて、お母さんに聞きます」
と先生は言ってくれました。

ゆっぴーは体に名札やうでわなどをつけられるのを嫌がり、
ID用の写真を撮るなど、普段と変ったことがあると泣き、始めは
お友達にもなかなか溶け込めなかったのですが、熱心な先生にも
支えられ、幼稚園生活がスタートしました。

読み聞かせ

2ヶ月ほど経ってから、懇談会で、読み聞かせをしていますか?
と聞かれました。なんでもゆっぴーは、クラスで読み聞かせをしていても
一人うろうろと歩き回っていて、聞いている様子が無い、というのです。
私はうちで英語と日本語の本を読み聞かせていたのですが、
確かに聞いているのはかりんだけ。ゆっぴーはうろうろと歩き回って
他のことをしていることが多かったのです。
ブロックで物を作ったり、絵を描かせたりすると、手先の力がしっかりと
していて、集中力もあるのですが、
本にはなかなか興味を示しませんでした。

本人がこれ読んで、と自分から本を持ってくるようになったのは、
5歳になってからです。でも今でも、興味がないと、聞いているようで
聞いていないことが時々あります。

字と音

幼稚園では、アルファベットの名前(エー・ビー・シーなど)と
その音(例えばAなら「ア」と「エイ」のように)を学びます。
これをフォーニックス(Phonics)と言います。
3歳児のクラスでは、ゆっぴーが覚えたのは、自分の名前の頭文字と
友達の頭文字でした。でもMiggy君の名前はMで始まって、Mの音はこれ、
という覚え方ではなく、Mを見たら、「Miggy!」と言う程度でした。
4歳でもあまり変わりありませんでしたが、一応大文字のアルファベットは
見ればわかる程度になりました。4歳児のクラスの先生からは
名前を大文字だけで書かないで、始めだけ大文字、後は小文字という
普通の書き方で書くようにという指導を受けました。

4歳直前のゆっぴーの日本語(2000年)

4歳を目の前にしたゆっぴーの日本語は、めざましい進歩を
遂げました。やはりフィリピンに帰ってからは、私が日本語で話しても
フィリピン語で帰ってくることが多かったのに、頭の中に貯めていた
日本語が少しずつ出てくるような感じで日本語を話し始めました。
日本について1週間めのゆっぴーは、殆どの文を「の」で
繋いでいました。「線路の電車の」(電車の線路なの)という感じです。

2週めに入って、言葉の羅列ではなく、「〜ちょうだい」「ここにいる」
のような文を言うようになってきました。
「ここにも靴がある」というのを、「ここあるくつも」とか
「ここに電車がいっぱいある」というのを
「ここのあるでんしゃいっぱい」と言っていました。
3週めになると、英語のLをRに替えて、子音に母音をつけると
日本語らしく聞こえるというルールを発見したのか、clockを
「クロック」とか、claneを「クレーヌ」と言ってみたりしていました。
「あそぶ」が「あそんで」になるというような音韻の変化は
まだわかっていなくて、「あそびて」とか「行って」を「いきて」
と言っていました。でも、自分から文法のルールを発見している
ところが、すごいと思いました。

1ヶ月の終わりには
「パパすきもん。工場いるパパいや。パパだけおうち。」
(パパが好きだもん。パパが工場にいるのは嫌。
パパにはおうちにだけいて欲しい。)
なんて、かなり長いことが、片言でも言えるようになりました。

5歳頃のゆっぴー(2001年)

5歳頃になると、なぜかゆっぴーはフィリピン語の時は「ママ」なのに
日本語の時は「おかあさん」と私を呼ぶようになりました。
そして甘えたいときは、なぜか日本語になるのです。
「おかあさんねー、ぼく、お母さん大好き」という感じです。

一度子供達を叱っていた時に、私が日本語に切り替えたら 主人に
「ほら、お母さんが日本語になったよ、こうなったら お母さんの
言うこと聞くほうがいいよ」と言われたことがあったくらいなので(笑)
日本語 =「叱るときの言葉」として受け止められていたら、嫌だなあと
思っていたのですが、どうもそうでは無かったようで、ほっとしました。
さて、英語の読みの方ですが、
5歳児のクラスでも、ゆっぴーは大文字と小文字と混乱していました。
フォーニックスの音は殆どマスターしましたが、その音と音のつながりが
どうしてもわからず、「言葉」に至りませんでした。

「お受験準備」

6歳になりましたが、いまだ英語の言葉が読めず、当然書くことも
おぼつきませんでした。こちらでは公立学校の程度は残念ながら非常に
悪いので、少し経済的に余裕のあるうちでは、私立の学校に入れるのが
普通なのですが、小学校に上がるには、試験があります。

ですからある程度、小学校にあがるまでに読み書きができる必要が
あるのです。かりんがなにもしなくても、読み書きを覚えてくれたことや、
私が物を教えるのは、どうも子供が嫌がる傾向があって、私自身はあまり
無理に読み書きを教えたくなかったのですが、今年の6月から、自分でも
フォーニックスをゆっぴーに教えることにしました。

最初の2日は泣いて嫌がり、30分で済むはずのものが、30分は泣きで
はじまるという始末でした。でも2日めの終わりから、音と音のつながり
が少しずつわかってきたゆっぴーは、2日めに出てきた単語を使って
お話の本を作りました。

訓練の方法は

1.字を触っている間はその音を発音しつづける練習

2.指を動かしたら、次の音に移る練習。
(この時言葉の下に、左から右への矢印が付いているので
言葉はいつも左から右へ読むことも練習できる。)

3.言葉を見せずに、手を上げている間はゆっくり言葉を発音し、
それを真似させ、いきなり手を振り下ろしたら
すばやくその言葉を言う練習。

4.2と3を組み合わせ、2をすばやくやる練習。
うまくできなければ、3で確認する。

というやり方を使いました。

この他、catのような3文字の言葉なら、前1文字を(c)を
隠しておいて 後ろ二文字の組み合わせ(at)を読ませてから、
前一文字と組み合わせてから読ませる以外に、前二文字(ca)を
読んでみてから最後の音(t)を読ませる方法も取りました。

本当はフォーニックスの言葉のグループとして、atが読めれば
catも matも ratも読める、ということを教えるのが一つの
目標なのですが、ゆっぴーの場合atが先に頭に入ってしまうと、
どうしても最初のcとatがつながらなかったからです。

1週間立たないうちに、自分にも言葉が読める、という自信がついてきた
ゆっぴーは、あちこちに書いてある物を読みはじめるようになりました。

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