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ここでは私の初めての出産体験を包み隠さず報告させて頂きます。カナリの難産でした(~_~メ)
| 第一章 | 破水は突然やってきた・・ |
| 第ニ章 | 陣痛こない・・ |
| 第三章 | いざ出産へ |
| 第四章 | 死闘!(産声収録) |
| 第五章 | その後・・ |
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写真です! | ||
| それは、突然やってきた。出産予定日を17日に控え、時々陣痛のような痛みを感じるようになった5月8日(木)早朝トイレに行くと、自分の尿意とは別の何かがスーっと流れたような気がした。「えっ!破水?」と驚き、しばらく様子を見てみたけどその後は何の変化もない。少し不安になって、インターネットで破水を検索すると、破水と言うのも個人差があって、一般的には「おしるし」(出産の始まり告げる少量の出血) から陣痛が始まり、その陣痛の間隔が短くなった頃に胎盤が破れて羊水が1L程ドドーツと出るのが破水で、同じ破水でも、私が経験したようなチョロチョロという破水の人も居て、ともかく全てに共通するのが『破水してしまったら、胎児が感染症にかかる危険性があるので、直ちに病院へ行くように・・』という事だった。大丈夫だと思っては見たものの、万が一という事もあるので、念の為病院に行ってみる事にした。診察が始まり先生に事情を説明すると「じゃ、調べてみようねぇ〜」とリトマス試験紙のようなもので調べはじめ、すぐに「あっ、反応が出るね。破水だね。じゃ、入院だよ。」とあっさり言われてしまった。何の心の準備も出来てなかった私はしばらく放心・・・「先生!どうなるんですか?」と聞くと「う〜ん、高位破水なのかな?しばらく、自然の陣痛が来るのを待ってみようね。」と言われた。「高位破水?!」確かインターネットで検索した時に「胎盤の上の方に小さな穴が開いて、羊水が少しずつ漏れてしまう破水・・」だったような?ともかく、「私はこれからどうなるのぉ〜。」とイキナリ突きつけられた出産の現実に不安がいっぱいになりながらも、とりあえず陣痛室へと向かった。 初めて入った陣痛室。小さなお部屋の中にベットと写りの悪いTVが一台というとても簡素なものだった。「皆ここで、陣痛の苦しみを乗り越えるんだ。」と思いつつ、しばらく中を探検。トイレの前には見た事もないピンク色の馬の乗り物のようなものが置いてあった。「確かこれって、陣痛を逃すときに、乗るんじゃなかったっけ?」とその不思議な乗り物に乗ってみたりしたけど、どうして陣痛が来てこれに乗りたくなるのかは、全然想像できなかった。「陣痛が来たら試しに乗ってみよう!」などとのんきな事を思いつつ、しばらくベットに横になる事にした。緊急入院に驚いた両親が後から現れ、全然変わりが無い私を見て、少し落ち着いたのか、やっぱり部屋をチョコチョコ散策していると、ベットの向こう側の壁だと思っていた所に取っ手があるのに気付き、そこを開けてみた。すると!?そこは分娩室になっていて、よくTVで見かける分娩台が中央にデ〜ンと置いてあり、いろいろな器具が沢山見えた。陣痛の痛みもまだ分からない私には、実際カナリの衝撃で「あ〜出産なんだ。赤ちゃんをここで産むんだ・・」とあらためてこれから起こる現実に心臓が爆発しそうなくらいドキドキしてきた。しかし、その後も陣痛はやってこず、余裕な私はお友達に「入院したよぉ〜」などとのんきにメールを打ちまくっていた。夕食時「ここの食事はおいしいらしい。」とは聞いていたが、確かに運ばれてきた夕食を見てびっくり仰天!!これってフランス料理のフルコース?と言わんばかりの料理だった。味も最高に美味しい!これから毎日こんな食事なのか?(実際は私が最初に泊まった木曜日だけ、ディナーメニューという日らしく、他の日は毎日こんな食事ではありませんでした。)その日の夜は結局陣痛は訪れてくれず、そのままあまり熟睡できぬまま夜を明かした。 |
結局3日間を過ごす事になった陣痛室 ![]() 陣痛室に置いてあった不思議なピンクの馬? ![]() 陣痛室の前は分娩室になってました。 ![]() 豪華なディナーです。おいちかった・・ ![]() 分娩台の上 これからの地獄を知らない余裕の顔 ![]() 生まれたばかりの拓歩(タクト)です! ![]() ↓クリックすると産声(本物)が聞けます。 (ボリューム上げて聞いてね) 辛くて・・嬉しく・・て泣きました。 ![]() |
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| 明けた10日(金)、依然陣痛はやってこない・・診察をした先生が「このまま陣痛が来ないようだったら、陣痛促進剤を使って陣痛を起こしてみましょう。」と言う事になり、お昼頃から、促進剤の点滴が始まった。「陣痛促進剤」という名前に私的には良いイメージがなく、「お産は自然に・・」といつも助産婦さんの話を聞いていた私は、実際カナリの抵抗を感じた。でも、破水はしちゃったし、陣痛は来ないし、感染症の危険があるわけで、この状況に陥ってしまった現実は変えられない。促進剤が体に入っていくのを見ながら複雑な気分で、これからどんな事が起こるのだろうと待った。促進剤を打ち始めて30分、急にお腹の張りを強く感じるようになってきた。NSTというお腹の張りを計測する機械をつけているのだけど、何もないときは0〜10くらいの張りの数値なのだが、時々40〜50の数値がでる。時間を計ると大体5〜7分おき・・「あ〜これが陣痛なんだ!」と思いながらNSTを眺め続けた。そのうちお腹の張りも強い時はだんだん痛みに変わり3〜4分間隔になってきた。内診に来る助産婦さんも「いいよ〜子宮口も5〜6センチくらいになってきた。」と言ってくれている。でも私の顔を見るにつけ、「まだ余裕みたいね。本当の陣痛じゃないな〜」と奇妙な事を言う。「え〜確か陣痛って、定期的な痛みが1 分感覚とかになって、生むんですよね?もう3分おきですよ。」と反論してみたのだけど「本当の陣痛だったら話も息も出来ないくらいなのよ。NSTの数値も100を超えるんだから、そんな顔しているうちは、まだまだ・・」と笑われた。実際私もいろんな人に聞いていた「鼻からスイカを出す程の痛み」というのには程遠い陣痛に「これだったら、全然耐えられるかも!?!」などと楽勝モードに入っていた所だったので、助産婦さんの話に心穏やかではなくなってしまった。しかし、あまり辛い痛みも体験しないままとうとうNSTの数値も100を超え始め、3回に1回くらいカナリの痛みも感じるようになってきた。調べて見ると子宮口も7センチ!「今晩か?明日の午前中の出産になると思います。一度促進剤をやめて、自然な陣痛を待ちましょう。」と言う事になり、点滴がSTOPされた。「自然な陣痛って来るのかな?」などと不安に思っていると、案の定、促進剤を止めて30分を過ぎたあたりから、痛みがだんだん治まってきて今晩にでも出すつもりだった私としては悲しさでいっぱい。「お腹の赤ちゃんはまだ出る気がないんだ。」そのまま夜に突入してひたすら陣痛を待つが結局そのまま眠れない二日目の夜を過ごす事になった。3日目の朝、回診に来た先生が「今日で三日目でしょ?さすがに赤ちゃん出してあげないとね。」と朝から又促進剤を始めた。するとまた陣痛が5分間隔でやってくる、その間に時折「うっそ〜」って言いたくなるくらいの強い痛みも感じるようにもなってきた。そして先生の何度目かの回診の時に子宮口の広がりを見てもらっていると、いきなりドドーっと暖かい水が流れてきた。「あっ破水しちゃったね。もうちょっとしたら分娩台だよ。」と言われ、私の緊張もピーク!結局午前11時分娩台に乗ることになった。 | |||
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| 私がこの産院を選んだ最大の理由はこの産院が『無痛分娩』も選択できるからだった。生来怖がりで、心配性な私は出産に耐えられるかどうか心配で、無痛分娩を希望していた。分娩台にあがる前に先生が「今日は無痛分娩出来ますよ。」と言ってくださりドキドキしていた私は「先生!お願いします。」と、どこかでホッとしながら無痛分娩を希望した。まず腰から麻酔の針が入れられ、チューブとつなぐその腰からでた細いチューブが肩の上でテープで固定されたような形になった。このチューブが私の脊椎に入っていて必要な時、麻酔を注入していくという感じ。最初に注射器半分くらいの麻酔が入れられた。麻酔が入って10分程経つと、確かに先ほどまで感じていた陣痛の痛みがにぶくなって、触られてもボヤ〜としか感じなくなってきた。「効いてきたみたいです!」と言うと、「じゃ、陣痛の波に合わせて下半身に力いれていきんでみようね。」と言われそこで、いったん出産への先導者は先生から助産婦さんへとバトンタッチされた。心配で分娩室まで一緒に入ってきてくれた母に見守られながら、最初のイキミの開始!「う〜んっ!」とできる限りの力を下半身に込めてみた。「いいよぉ〜そんな感じ、頑張ってね。」という助産婦さんの声に気を良くしてその後も頑張り続ける。確かに麻酔は効いているのだけど、まったく痛みが無い訳じゃなく、陣痛の時などはやはり痛い、でも耐えられる痛みという感じで「このまま順調に赤ちゃんが出たら、すっごい楽勝かも?」とすっかり安産だと思い込み頑張る事30分・・・あれ?どうしてまだ生まれないの?疲れてきた・・・(-_-;)「赤ちゃん・・・まだ・・ですか?」と助産婦さんに聞くと、「う〜ん、まだまだかな?もうちょっと!」と言われ、頑張ってみたものの、体力の限界が近づきつつある。息も絶え絶えになり、強い力が込められない。そして「こんなのがいつまで続くんだろう?」と思っていた私に最大の不幸が訪れた。いきみ始めて1時間、麻酔が切れてきたのだ!「いっ痛いっ!助産婦さん痛くなってきました。麻酔足してください。」と悲痛な叫びをあげたのだか、先生がやってきて「微弱陣痛(弱い陣痛)が続いているから、これ以上弱くならないように麻酔は追加しないよ。」と言う。「せっ先生!でも・・痛くって・・」と何度も懇願したのだか「追加はしないよ。」と先生はどこかに行ってしまい。私はどんどん強くなる陣痛の痛みと共に、どん底に突き落とされた。 |
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| 麻酔が切れてから体験する陣痛はまさに「鼻からスイカ!」腰から頭を貫くような信じられない痛みの連続「こっこれが本当の陣痛なんだ。」とやっと皆が言っている陣痛の意味が分かった。分かったところで、既に力は尽き果て、いきむ力がほとんど無い。私は襲ってくる陣痛に悲鳴をあげ、目の前は白黒し、息もロクに出来ず酸素マスクを付けられ、陣痛がくると「お腹切ってもいいから早く出してしてぇぇぇ〜。」と薄れる意識の中そんな事ばかり考えていた。立ち会ってくれている母が涙を浮かべて「しっかり!赤ちゃんもがんばってるんだからね。」と励ましてくれ、こんな痛みを味わって私を生んでくれた母を心の底から尊敬した。でもそんなものは声にもならず、最後の分娩時には、また先生が来てくれると聞いていたので「まだ、先生呼ばないのですか?」「先生、来ないの?」と泣きながらそればかりを聞いていた。その死闘30分・・無い力を振り絞って何度かいきむと、やっと先生が来てくれた。「もう少し頑張ってねぇ〜頭は見えてるからねぇ〜」と私の辛さとはまったく無縁の明るい声に少々ムカつきならも、私は「先生、もう・・駄目です・・」とかぼそく言うのがやっとだった。それでも死闘は続き、20分ほど経過すると先生が「もう、最後だから思い切り力込めてみよう」と言われ。「本当に最後?」と聞き返しながら残る力を振り絞った。「あぁ〜いいね。でももうちょっと・・」と先生。「最後って言ったのに、だから頑張ったのに・・いつまで続くの・・気絶する・・」とだんだん薄れゆく意識の中で私は悲壮感で打ちのめされた。すると先生が母に「もう、そこまで来てますし本人も相当疲れてますから、吸引の力を借りましょう。」と了解を取った。その声の後、いわゆるトイレが詰まったときにズッポンてやる大きな吸盤のようなものが横から出てきて、ウィ〜ンと掃除機のような音を出し始めた。「さぁ〜これで本当に最後だから、思いっきり力いれて!」「そうよっ、本当に最後だから頑張って!」と先生と助産婦さんに言われ、私は頭の血管が切れるのではないかと思うくらいのいきみを最後の力を振り絞って開始した。10秒ほどいきんでまたヘタりそうになると、「だめだめ、続けて!もっと力いれて!!」と強く言われ、悲鳴を上げながら腰を高く上げて「う〜んっ!・・」ともう一度続けて力を込めた。すると、ウィ〜ンという音と共に強く何かが引っ張られるような感じがして、何かが私の外に出た。。。「赤ちゃんが生まれたよ!」と母が耳元で叫んでいる。続いて「おめでとう、ご出産です!」「よく頑張ったね!」と先生と助産婦さんの声が聞こえてきた。そして、コマ送りのように私の前に頭に吸盤が付いたままの真っ赤な赤ちゃんが現れた。「生まれたんだ。終わったんだ・・」涙が溢れてきた。嬉しいというより、この苦しみが終わった事への安堵感の方が強かったような気がする。しばらくすると「オンギャー!」という赤ちゃんの産声が聞こえてきた。元気な泣き声、体を拭いて側に連れてきてもらった赤ちゃんは小さな体をぐ〜っと丸めて、真っ赤な顔で泣いている。「私が産んだんだ。私の赤ちゃんなんだ。この子が私の中に居たんだ。」力の抜けきった体にいろんな思いが染みてきて涙が止まらなかった。 | |||
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| 拓歩は2002年5月11日午後13時21分にこの世に生まれました。結局分娩台あがってから2時間半。普通の出産では分娩台にあがって20〜40分程、数回いきめば出産という話なのに、私は微弱陣痛だった為何回いきんだのか記憶できない程。出産は私にとってはまさに死闘と呼ぶべきもので、思っていたよりもずっと強烈な体験でした。赤ちゃんが別の部屋へ行ってしまった後「出産とはこんなに辛いものだったのか?!」とショックと痛みでしばらく口もきけなくなっていた私。産んだ後も下半身は痛みのオーケストラ状態で「さっきまで、あんなに辛い思いをしたのにどうして楽にならないのだろう?どうして?」とモウロウとしながらそんな事ばかり考えてた気がします。結局、「安産で産む!」と勝手に決めていた当初の私のモクロミは大ハズレして、大難産。いわゆる安産で赤ちゃんを産んだ方とはカナリ違う経験をさせてもらいました。だから、これを読んだ、まだ出産前のお姉さま方!私のは特別大変だった訳で、皆がこんな経験する訳じゃないので安心してください。今ではすっかりその痛みのほとんどを忘れちゃってます。妊娠中のママはホルモンの関係でものすごく忘れっぽくなるらしい。きっと神様がそれほどの辛い経験を思い出さなくていいように、ママの体に少し細工をしているのでしょうね。そんなこんなで、私の初出産は幕を閉じました。 |