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日比の歴史(上院の批准拒否、不平等条約)


(2007年10月作成、25日加筆)
1.二国間条約・取極等
2.日比賠償交渉 上院が覚書に反対
3.日比友好通商航海条約
1960年に署名、1972年に上院外交委員会は批准拒否勧告決議を採択
1973年マルコス独裁政権が、条約批准に踏切り
4.日比友好通商航海条約の改定
76年6月比政府はわが国に対し,現行の友好通商航海条約の 終了予告を行う。
5.資料
米比間の条約批准拒否

フィリピン上院は、1991年9月11日、「米比友好協力安保条約批准拒否決議」を12対11で可決して、条約批准を拒否した。
「同年12月にフィリピン政府は正式に基地協定の終了を通告、 撤収の猶予期間をへた翌1992年11月24日、スービック海軍基地 から最後の米艦船が出港して、米軍は撤収を完了したのだった 」
(「歴史経験としてのアメリカ帝国主義」中野聡2007年9月26 日、p307-308)


1.二国間条約・取極等(外務省より)

日比賠償協定 1956年5月9日署名
日比入国滞在取極 1958年7月24日署名
日比友好通商航海条約・議定書 1960年12月9日署名
日比航空協定 1970年1月20日署名
日比友好通商航海条約改定 1979年5月10日署名
日比租税条約 1980年2月13日署名
日比技術協力協定 2006年4月4日署名
日比経済連携協定 2006年9月9日署名
日比租税条約改正議定書 2006年12月9日署名


*署名の日付だけ書いてあって、いつ批准、いつ発効したか書 いてない。これ結構、問題。

2.日比賠償交渉で上院が覚書に反対

日比賠償交渉 (東奥日報ニュース百科)

戦後補償のため両国は1952年に予備交渉入りし、54年4月に大 野勝巳(おおの・かつみ)公使とガルシア副大統領との間で賠償 額を4億ドルとする覚書を交わしたが、フィリピン上院は額な どを不満としてこれに反対、交渉は中断した。

55年3月に鳩山一郎首相とマグサイサイ大統領は早期解決を希 望する親書を交換。首相は同年5月31日にネリ大使と総額でほ ぼ合意する文書を交わし、両国は56年5月に5億5千万ドルの賠 償協定と2億5千万ドルの借款を内容とする交換公文に調印した 。


*一旦、交わした覚書に上院が反対。

参考/ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本の戦後補償条約一覧
日本の戦争賠償と戦後補償
フィリピンの歴史

3.日比友好通商航海条約
1960年に署名、1972年に上院外交委員会は批准拒否勧告決議を採択
1973年マルコス独裁政権が、条約批准に踏切り
ア)インサイド/日・比関係史(より抜粋)
イ)外交青書


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ア)インサイド/日・比関係史(より抜粋)
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インサイド/日・比関係史(より抜粋)
60年代に入って日本企業の進出が始まるが、1960年に調印され た日比友好通商航海条約は対日不信もありなかなか批准されな かった。ところが1973年、日本との通商拡大をねらうマルコス 大統領の強権により批准される。
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*調印(署名)から実に13年、独裁政権の下で、批准される 。それまで、毎年、外交青書では、フィリピンの情勢と共に批 准に至っていないことが記されている。そして、ポイントは、 「比上院外交委員会は1972年3月1日日比友好通商航海条約(1960 年署名)の批准拒否勧告決議を採択した。」という歴史がある 。




イ) 外交青書(外務省)
75年 74年 73年 72年 71年 省略 63年 62年 61年




*1975年版

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1975_1/s50-2-1-1.htm#a20

(ロ) わが国との関係
74年は,1月の田中総理大臣の訪問及び日比通商航海条約の発 効等日比友好関係の上で特記すべき事柄で年があけた。このよ うな両国関係の改善振りは,3月にルバング島から救出された 小野田元少尉に対するフィリピン側の厚遇からも看取しえた。



*1974年版

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1974_1/s49-2-5-1-5.htm#a1

(ロ) わが国との関係
(略)
また,60年12月9日署名調印された日比友好通商航海条約は, 比例の菓然たる対日警戒心や条約そのものに対する誤解,複雑 な問題上の動き等から長く棚上げされていたが,73年12月マル コス大統領は,対日関係改善の見地から条約批准に踏切り,12 月27日,マニラで批准書交換が行われ,1カ月後の74年1月27日 発効の運びとなつた。



*1973年版

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1973/s48-2-1-1-2.htm#m226

*戒厳令などに触れられていて、 通商条約に関する記述がない。



*1972年版

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1972/s47-2-1-1-4.htm#k103

(い) 経済関係

(イ) 比上院外交委員会は1972年3月1日日比友好通商航海条約(1960 年署名)の批准拒否勧告決議を採択した。本件条約の帰趨につ いては,当面明らかではないが,日比間の経済関係は,両国が 地理的に近接していること,および両国経済に大きな相互補完 関係があることにより,逐年進展している。
(以下、略)



*1971年版

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1971/s46-2-1-1.htm#a3_7

 なお,1960年署名された日比友好通商航海条約(わが国にお いては1961年国会の承認ずみ)は署名後10年振りに北国上院に 批准の同意を求めるため上提されたが,審議未了に終つた。




*この間は毎年、未批准・未発効問題として、それなりの行数 を割いているようだが、省略。
この間に、アロヨ大統領の父親が大統領だったりして、読むと 歴史の勉強にはなるが。




*1963年版

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1963/s38-5-2.htm#9
フィリピンとの友好通商航海条約のフィリピン側批准問題

日本とフィリピンとの間の友好通商航海条約は、一九六〇年十 二月九日東京において署名された。この条約は、戦後わが国が 東南アジアの国と結ぶ最初の友好通商航海条約として、またフ ィリピンとしても独立後外国と締結する最初の友好通商航海条 約として意義が深く、わが国では、一九六〇年十月三十一日国 会の承認をえた(「わが外交の近況」第五号一六七ベージおよ び第六号二五五ページ参照)。

他方、フィリピン側の批准については、当時のガルシア大統領 は、同年十一月に行なわれた大統領選挙の後まで国会の承認を 求める措置を持越したが、選挙の結果は、自由党のマカパガル 副大統領が当選し、政権の交替が行なわれた。マカパガル新政 府は、国民党の前政府が行なった政策決定はすべて再検討する という方針をとり、日比友好通商航海条約検討のため、一九六 二年一月専門委員会の設置を発表したが、同委員会による検討 は行なわれなかった模様である。また、一九六二年一月から五 月まで開かれた現政府のもとでの最初の議会では、緊急に制定 を必要とする重要法案が多く、また条約審議権を有する上院で 与野党の勢力が伯仲していたため、この条約は審議に付されな かった。

同年八月比国政府は、関係省代表一〇名からなる委員会を設け 本条約の検討を開始し、昨年末にいたり漸く検討結果が出た模 様であるが、一九六三年三月十九日の閣議において、マカパガ ル大統領は、国内産業保護の諸立法制定まで本条約の批准措置 はとらないと決定した。同年の議会会期は五月下旬までである が、議会での与野党の勢力配分状況から、この条約が同議会に 上程されない公算がきわめて大となった。

このような情勢に対し、わが方は、依然として本条約の早期発 効を強く希望しており、フィリピン側の出方を引続き注視して いる。



*1962年版

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1962/s37-5-2.htm#8

日・比友好通商航海条約署名後の経緯

一九六〇年十二月九日東京において署名された日比友好通商航 海条約(交渉経緯、内容ならびにその意義については、第五号 、第一六七頁参照)に関しては、わが方は、一九六一年三月第 三十八通常国会にその承認を求めたが審議未了となったので、 引続き第三十九国会に再上程し、十月三十一日国会の承認をえ た。

比側批准については、ガルシア前大統領は、何分フィリピンに とり独立後初めての本格的友好通商航海条約であるので充分時 間をかけて一般国民に本条約の趣旨の周知徹底を図り、一九六 一年十一月の比国総選挙終了後一九六二年の通常国会に、承認 を求めるものと予測されていたが、総選挙の結果、マカパガル 大統領ペラエス副大統領(共に自由党)の当選をみ、政権の交替 が行なわれた。マカパガル新政権は、一九六二年一月二十六日 ・専問委員会に日・比友好通商航海条約の検討を命じた旨明か にした。



*1961年版
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1961/s36-2-4-1.htm#1

日比友好通商航海条約の締結

わが国とフィリピン共和国との間の友好通商航海条約は、昨年 十二月九日、フィリピン駐在湯川大使、島外務審議官、牛場経 済局長のわが方全権委員と、ラウレル前下院議長ほか比側全権 委員との間で、東京において署名調印が行なわれた。

 交渉の経緯

一九五六年七月、サン・フランシスコ平和条約が両国間に効力 を生じ、両国の国交が正常化して以来、両国政府首脳者間でし ばしば通商航海条約締結交渉の早期開始を希望する旨の意向が 表明されたが、比側の事情から具体化しなかった。しかし、一 九五八年一月七日には貿易書簡が、また、同年八月一日には入 国・滞在手続の簡素化に関する暫定取極がそれぞれ発効し、さ らに一九五九年三月には航空業務に関する行政取極も締結され 、本条約交渉締結の気運が比国内において醸成されつつあるも のとみられたので、一九五九年六月湯川大使より、比国政府に 条約交渉を正式に申入れた。これに対し、昨年一月四日に至り 、比国より交渉開始に応ずる旨の回答があり、二月二十三日マ ニラにおいてわが方湯川首席代表以下の代表団と、比側ラウレ ル首席代表以下の代表団との間に正式交渉が開始され、四月十 八日からは東京に移って交渉が続けられた。

交渉は九月に入り、彼我の見解対立のため一時は中絶のおそれ も見受けられたが、日比両国間の経済・貿易関係の維持発展の ためには、是非とも本条約を締結することが望ましいとして両 国代表が粘り強い交渉を続けた結果、ようやく妥結に達し、十 二月九日東京において署名調印をみるに至った。

 条約の内容

この条約は本文十カ条および付属議定書からなっているが、本 文は、入国・滞在、出訴権、財産権、内国課税、事業活動およ び職業活動、為替管理、輸出入制限、海運等、両国間の通商航 海関係の維持発展に不可欠な事項に関して、原則として無条件 最恵国待遇の許与を骨子としている。また付属議定書において 、その取扱振りなどを規定している。

 条約の意義

戦後わが国は、東南アジア諸国のうち、インドおよびマラヤ連 邦と通商協定を締結したが、友好通商航海条約として署名した のはフィリピンとの間の条約が最初のものであり、また、フィ リピンとしても独立後外国と締結する最初の友好通商航海条約 でもあり、その歴史的な意義は深いものがある。

日比両国間の通常貿易は、年々その規模を拡大しており、わが 国の輸出入中極めて重要な地位を占めるに至っているが、本条 約が発効をみれば、両国間の通商関係は、長期かつ安定した法 的基礎の上に行なわれることとなり、その一層円滑な進展が期 待される。

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4.日比友好通商航海条約の改定
76年6月比政府はわが国に対し,現行の友好通商航海条約の終了予告を行う。
1974年1月に発効して良かった良かったと言ってから、たった 約2年半で、フィリピンから終了予告通知。
外交青書(外務省)
80年 79年 78年 77年



*1980年版
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1980/s55-2010104-2.htm

また,従来日比間の経済問題であつた貿易不均衡問題に大きな 改善がみられた。すなわち,同年の両国間の貿易収支は約4,000 万ドルの比側赤字にとどまり,貿易不均衡は78年(4億9,000万 ドルの比側赤字)に比べ大幅に改善された。

また,懸案となつていた日比友好通商航海条約が79年5月署名 され,日比租税条約も80年2月に署名の運びとなつた。


*1979年版
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1979/s54-2-1-1.htm#1_1_4_2

 一方,78年の両国間の貿易収支は約4.9億ドルの比側赤字と なり,貿易不均衡問題は前年に引き続き比側の重要な関心事と なつた。かかる貿易インバランスを背景に懸案となつていた通 商航海条約改定交渉は,79年1月に第6次交渉が行なわれたが交 渉は妥結の方向に向つた。また租税条約締結交渉も78年6月に 第4次交渉が行われたが妥結するに至らなかつた。


*1978年版
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1978/s53-2-1-1-004.htm#2ni

一方77年における両国間の貿易収支は,約2億ドルの比側赤字 となり,貿易バランス問題は76年に引き続き比側の重要な開心 事となつた。

懸案の通商航海条約改定交渉は,77年3月以来,78年1月までに 計4回交渉が行われたが,南北問題を背景とする比側の主張と わが方の立場との間には,依然として隔たりがみられた。


*1977年版
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1977_1/s52-2-1-1.htm#f64


友好通商航海条約

 76年6月比政府はわが国に対し,現行の友好通商航海条約の終了予告を行うとともに,現行条約署名(1960年)後の国際政治 ・経済情勢の変化を踏まえ,現在の状況を反映した新しい条約 を作成したい旨提案してきた。その後両国間で協議した結果, とりあえず終了予告による現行条約の失効期限(77年1月26日) を1年間延期し,その間更に両国間で話し合つてゆくこととな つた。
5.資料
文献


日本政治・国際関係データベース
データベース「世界と日本」
東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室 日本と東南アジア関係資料集 より
フィリピン関係を81年ごろまでを取り上げた。
文書名年月日
日比賠償協定 1956年5月9日
日比賠償協定第1条に関する交換公文 1956年5月9日
日比賠償協定第3条に関する交換公文 1956年5月9日
日比賠償協定実施細目に関する交換公文 1956年5月9日
日比賠償協定実施細目に関する交換公文についての合意議事録 1956年5月9日
日比賠償協定経済開発借款に関する交換公文 1956年5月9日
日比賠償協定についての日比共同声明 1956年5月9日
日本・フィリピン友好通商条約 1960年12月9日
日本・フィリピン友好通商条約議定書 1960年12月9日
日本・フィリピン友好通商条約に関する合意された議事録 1960年12月9日
日本・フィリピン友好通商条約第1条に関する交換公文 1960年12月9日
日本・フィリピン友好通商条約付属書 1960年12月9日
日本・フィリピンの貿易に関する合意された議事録 1960年12月9日
日本・フィリピン共同コミュニケ(佐藤首相とマルコス大統領の共同コミュニケ) 1966年10月3日
マルコス大統領主催晩餐会での田中首相スピーチ 1974年1月7日
日本・フィリピン共同発表 1974年1月9日
日比賠償協定の実施終了についての記事資料 1976年7月22日
マルコス大統領訪日時の日本・フィリピン共同コミュニケ 1977年4月28日
マルコス大統領主催晩餐会での福田首相のスピーチ 1977年8月17日
福田首相とマルコス大統領の共同メッセージ 1977年8月18日
福田首相のフィリピン訪問に際してのプレス・リリース 1977年8月18日
福田首相のマニラでのスピーチ(福田ドクトリン演説) 1977年8月18日
日本・フィリピン友好通商航海条約 1979年5月10日
日本・フィリピン友好通商航海条約議定書 1979年5月10日
マルコス大統領夫妻主催晩餐会での鈴木首相挨拶 1981年1月8日
鈴木首相夫妻主催答礼晩餐会での鈴木首相挨拶 1981年1月9日
日本・フィリピン共同新聞発表 1981年1月10日