育児のあしあと入院、出産編



39週4日目に市内の総合病院に転院、そのまま入院した私は、
最初の検診で「絶対安静」と言い渡されました。

でも気分は楽しみでした。

体が丈夫だった私にとって、初めての「憧れの入院生活」だったん
です。


個室に案内され、看護婦さんから一通りの入院の説明を受けた後

「電気はつけちゃダメ。昼間はカーテンを引いておいてね。
目を刺激しないように。テレビラジオもダメ。なるべく横になって
いること。立ち歩いていいのはトイレに行くときだけ。病院の食
事だけ口にして、差し入れは断ること。食事も運んであげるから」

といわれ、初めて自分の重症さに気づいたのでした。


その日から出産までの4日間は、退屈そのものでした。

テレビも見れず、自由に院内を歩くことも出来ずに毎日暗くなるま
で名づけの本を見て過ごしました。


楽しみといえば会社帰りに寄ってくれる主人や、遠い実家から電車
を乗り継いで通ってくれた実母との面会時間だけ。


日が暮れても電気がつかない暗い部屋で、ほんと寂しかったです。


クマ hana_asクマ hana_asクマ

出産予定日に「今日陣痛が来なかったら明日切開しましょう」と説明
を受け、承諾書にサインしました。

その前から、私は自力での出産を諦めていましたので、現実をすん
なり受け入れることが出来ました。


その日の夕食後、午後8時以降は何も食べても飲んでもダメだとい
われ、次に口に物を入れる明後日の昼食までの長い絶食が始まり
ました。


切開のその日、朝から主人が病院に来てくれて、その後両家の親
が集まってきました。

両方にとって初孫、それもふたごですから、楽しみだったでしょう。

開始時間を大幅に過ぎた夕方5時少し前、手術室に入りました。


麻酔が痛かったのを覚えています。

大きなお腹で「背中を丸めてね」と言われたってそんなの無理です。

そんなわけで5.6本注射されました。


麻酔が効いて、痛みも感覚もなくなったけれど、何かされているのは
わかりました。

意識があるのでそれが怖くて、手術の間中看護婦さんの手を握って
いました。


手術が始まって約30分後、第1子誕生。

麻酔で朦朧とする意識の中産声を聞き、その1分後、第2子も無事
に生まれてきました。

体をふいてもらい、きれいになった息子達と対面した後、小児科の
先生に診てもらうとかでしばしのお別れ、私は縫合してもらったあと
手術室を出ました。


眠くて眠くて仕方ない中、私を覗き込み「ご苦労様」と言った主人の
声と「お母さん立派よ。あんな大きな子を2人も産んで」という、助産
婦さんらしき人の声を聞いて、あとは何も覚えていません。


部屋に戻って、主人と2人になって、何かしゃべったと思います。

でもすぐに私が眠ってしまって。


気が付いたときは夜中の12時をまわって、看護婦さんが付いてい
てくれていました。


どこかであかちゃんの泣き声が聞こえていました。


それは母子同室の病院なので、おそらくどこかのあかちゃんが泣い
ていたのでしょうが、そのときはどうしても自分が生んだふたごが泣
いているように思えて、新生児室に駆け込んでいきたくなりました。

実際は寝返りひとつうてないほど体が動かないのでどうにも出来な
かったのですが。

クマhana_asクマhana_asクマ

翌日も起き上がることが出来なかったので面会は主人だけにしても
らいました。


それからは、時期がゴールデンウィークということもあって、毎日誰
かしら来てくれたし、自分も通いとはいえベビーのお世話があったの
で退屈しませんでした。

しばらくは一日1回看護婦さんが連れてきてくれるふたごと面会して
母乳をあげる努力をしてみたり、体が動かせるようになったら新生
児室へ3時間おきに通って、オムツを交換して母乳、ミルクを与え、
術後5日目に一人の子と同室になり、1日交代で長男次男と過ごし、
8日目で2人一遍に同室になって・・・。

そのころは4人部屋に移っていて、傷は痛かったし、代わりばんこ、
時には同時に泣くふたごに困り果て、同室のママには倍の泣き声で
迷惑をかけてしまうし、声を殺して泣いていました。

だってはじめてのあかちゃんで、どうしたらいいか、わからなかった
ので。

あかちゃんが生まれた後は「早く帰りたい」という気持ちだけでした。

あんなに楽しみにしていた「初めての入院」だったのに。


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