見知る他人見知らぬ知人(2)
2002年 8月 6日


 サブリミナル効果とゆーのがありますね。
 映画館で、フィルムのあいまあいまに気づかないくらいほんの一瞬ある清涼飲料水の画面を繰り返し挟みこんで見せたところ、意識してなくても観客の脳にはその画像が刷り込まれ、映画が終わるとその飲料水を求めて客が売り場に殺到したとかなんとか・・・そういう現象だったと思うのですが。(違ってる?)
 前回の日記でよく見る他人さまの例をあげましたが、もう一人私には『会社のオジさん』と呼ぶ知らないオジさんがおりました。結婚前、高槻から通ってた時期に見かけていたので、引越して微妙に時間帯のズレた今はもう会わなくなってしまいましたが。
 そのオジさんも松井君と同様、会社の最寄り駅から会社までの徒歩ルート途上でよくすれ違ったのですが、なんとゆーか中肉中背で、顔もフンイキも服装もどうといったとこのない、ごくごくフツーの年配のサラリーマンなオジさんでした。
 勿論うちの会社のヒトではないのですが、その特色のない彼をたびたび見かけるうち、顔ばっかり見かけるけど名前と部署名が一致しない、要は個体判別出来ていない会社のオジサンの一群とごっちゃになってしまったようで、見かけると挨拶したい衝動にしばしばかられました。だって会社のヒトだったらあまり知らなくても、条件反射のように会釈してしまったりするでしょ?それと同じ反応なワケです。
 一度だけ、就業後に会社でて駅に向かって歩いているところで逆向きに家路につく彼に会い、あ、出張から会社に帰着するとこなのかなーとぼんやり考え、あやうくおじぎしかけた瞬間その錯覚に気づき、あわててパンプスのありもしない靴ひもをチェックするそぶりをしてごまかしたことがあります。
 つまり、そのオジさんの顔を繰り返し脳に刷り込まれることによって、全くの他人であるはずの彼の存在をもっと納得しやすい分類→"社内に大勢いる部署も知らない顔見知り"に無意識に放りこむに至ったのではないか?
 んん?だとすると、会えば挨拶したくなるというのはそれ自体がサブリミナル効果の顕れではなく、単にその錯覚から派生した衝動なだけ?
 (・・・書いてるうちにコレはサブリミナル効果と違うのに気づきました。ううむ。)
 まあともかく、同じしばしば見るサラリーマンでも『松井君』はちゃんとよそのヒトである、という認識がなされているワケですから、これはひとえにそのオジさんがいかにもうちにいても不思議でない、弊社のオジサンズに似通った印象を持つゆえの錯覚だったのでしょう。
 こうやってちゃあんと理解していても、会えば一瞬迷うのだから人間の脳とゆーのは面白いものです。
 そういうこともあり、私はなかなか彼との邂逅が好きでした。
 最近時間帯がズレてお会いしていませんが、オジさん元気ですか?暑さに負けて体調くずしたりなどしていませんか?退職してもはや元の通勤時間帯でも会えなくなどなっていませんか?
 私はヨメに行きました。変わらずのどかに暮らしています。またいつか。