ひとりで話すもん!
2003年 2月 6日


 電車というものは、見ず知らずの不特定多数のヒトと、閉鎖的空間で一定時間ともに過ごすことを余儀なくされる場所である。朝のラッシュ時には接触をともない、他人の動向がやたら批判的に目につく場所でもあり、私にとってそれらはストレスにつながる。
 ギュウギュウに混んでる車内で、タテ半分に折った新聞をのぞくようにして読み続けるヒト、私の真上のつり革をななめ後ろから手を伸ばしてムリヤリ握るヒト、座席に浅く浅―く腰掛けて、膝を前に突き出しているパッカリ広げてるヒトなど、通常ならあまり気にならないことでも混雑してる時はホント腹がたつ。新聞が顔にかかって超うざいー!(早くあきらめろ)、私のつり革を返せー!(つり革はJRのものです)、もっと足をひっこめて、閉じて座れー!(でもその両足の間に立ってみたりして)。 
 そんな時、よく私は無意識に奥歯をギュウっとかみしめている。そしてふと我に返り、こんなことでは寿命が減るとあわてて肩の力を抜く。なぜか昔から、ストレスによってじりじりと目減りしていく命のロウソクというイメージが根強くあるのだ。まあ結婚して乗る路線が変わり、以前ほど通勤が混雑せずあまり動揺しなくなったけど。
 しかしながら、混む混まないに関わらず困る事もある。
 おとといの会社帰り、たまたま電車が出たあとで、次の電車を一番前列で並んで待っていた。といっても夕刻の乗車列なんてアバウトなもので、せっかくこちらが並んでいても、知らん顔で入ってきた電車に横から滑り込むヒトとかいてそれもちょっとストレスの種である。
 その日もそういうオバちゃんを目で牽制しつつ、空いた快速車両の中ほどに滑り込み、無事座ることができてヤレヤレと思っていたのだが、電車が動き出してほどなく、隣の席から「むはあー」という声がしてきた。
 その声(ため息?)がかなり大きかったので思わず隣を見たら、55―60歳位のオッチャンがゴルフ雑誌を読んでいる。
 たまに気と声の大きくなっている酔払いや、その他奇声を発しているヒトに車内で遭遇するが、そういう感じでもなくごくごく普通のサラリーマンぽい方だったので、気をとりなおしこちらも読書を始めたのだが、その後もやたらと大きな声で独り言と、感嘆の声とを繰り返すのだ。ははあフォームがね…ホーこんなもんかいな…どないな○×△…あーなるほどこれはこれは。ううむああむ。
 独り言なら独り言にふさわしいボリュームがあるはずで、こちらは耳障りで仕方ない。そういう声が漏らされるたびチラチラとモノ言いたげな視線を送ってみるが、それにも気づかず彼はいつまでも自分の世界に浸っている。じゃあ席を移動しろよと言われそうだが、他に空いてる席はなく、長く並んで結局立って行くのもなんか納得いかないし、なんか負けたようでそれも腹立たしい。しかし、こんなことをしていてはまた命がちぢんでしまう!
 そこでしばし考えたあげく、私は『秘儀!人のふり見て我がふり直せ』作戦を敢行することとした。つまり私も独り言を言ってみたのだ。
 といっても恥も外聞も一応ある身、そのおっちゃんのように3m四方に聞こえる声は出せないものの、彼の耳に入る程度の、あいづちのようなため息のような程度にとどめつつ、やってみた。うへぇマジ…?ああそうか、どうすっかなー…うーんまいったなあ…etc.etc.。
 そこで一瞬、おっちゃんも「んん?」と思った様子が見られたものの、素行が改まるまでの効果はなく、結局私たち二人は私が降りる六甲道の駅まで互いにアーウーうつぶやきつつ時間を過ごしたのだった。次こそ勝ってやる。