その後・後書き


愛美が亡くなって30分ぐらいたってから、担当のN先生に呼ばれた。
申し訳なさそうにN先生が、愛美の脳腫瘍の部分を提供してくれないかと話があった。
もちろん返事は『NO』でした。しかし、摘出手術できない脳腫瘍は、実際には余り把握されてないのが現状らしく、もちろん中を見ている訳ではないので、実際にはどういう物かは見ないと解らないらしく出来るだけこれからのためにも、サンプルを多く収集して研究していきたい、という事でした。
N先生は強制的なものではないと言う事でしたが、やはり出来れば了解を得たいと言っておられました。
ママと2人で随分話し合いをしました。
やはり、普通、死んだとはいえ自分の子供を解剖し、脳を摘出するなんてはっきり言って考えられませんでしたが、最後は僕自身の考えで判断しました。

愛美の病気をキッカケにパソコンをやり出して、インターネットを通じていろいろな病気の人や愛美と同じ病気で苦しんでいる子、それが元で天使になってしまった子供、それらを助けようとしている医療関係の事など知り、このまま、愛美を葬式に出して,火葬し悲しむだけでいいのかと思いました。
それだったら世の中の役に立つのなら、これから愛美と同じ病気になり苦しむ子供達に少しでも役に立つことができるのなら、愛美も分かってくれるんじゃないかと思い、脳の摘出に同意しました。
1時間半ぐらいだったでしょうか、摘出が終り看護婦さん達が愛美を綺麗にしてくれました。

それから、家に帰る時、自分の車で愛美を自分で抱いて連れて帰りたいと先生にお願いしました。
先生は快く了解してくれ、最後に一緒に家に帰る事が出来ました。
帰る途中、小雨が降る中、愛美がこの日から通う事になっていた小学校の前を通り家路に着きました。

通夜、葬式にかけて250人ぐらいの人が愛美のために来てくれました。
本当に愛美は幸せ者だな。ヾ(=^▽^=)ノ 
僕が死んだらこんなに沢山の人が悲しんでくれるかな?
愛美はいい子だったからね。愛美のすごさがわかった感じがする。
バタバタと通夜、葬式が終り、その後は穴が開いたようになった。

はっきり言って後追いを考えるぐらい頭もおかしくなってたと思う。
けど、萌美もママもいてるし2人を守っていかないといけないから、愛美にはまた待ってもらうことにした。
それから1年後にこの事をHP作って誰でもいいから知ってもらおうと思い、四苦八苦しながらHPを作りました。
愛美が自分自身や誰かの頭の片隅に残るように・・・
02’4.10で3回忌を迎えました。丸2年すごい早かった気がする・・・・
1月に長男(光生)も生まれ、これからも自分自身がんばっていきたいと思う。

すごく文章が下手で読みにくかったり、不愉快に思った内容などあるかもわかりませんが、最後までこの闘病記を読んでくれた人や今までお世話になった方々、本当にありがとう。
まだまだ、たいしたHPじゃないですけども、これからもよろしくおねがいします。(*- -)(*_ _)ペコリ


2002年4月18日 sima's house 管理人しまやん