Vol 3
入院4日目の5月17日この日は、もえみ(次女)の大事な予防接種があるというので、僕は仕事を休ましてもらいママと交代して愛美の事を見ていました。
この日は検査と聞いていて、なんと!その検査は脊髄に注射して髄液を調べると言うのもでした。
脊髄注射・・・・・大人でもガマンできないぐらい痛いと聞いていたので、僕もすごく不安でした。
愛美も分からないまま検査と言って、薬だの注射だの点滴だのとイヤな事ばかりされていたので、この日も何気に不安そうな顔をしてました。
とりあえず、愛美と字の勉強をしたり絵本を読んだりして検査を待ちました。
そして・・『愛美ちゃ〜ん、これから検査だからね〜。がんばろうね。』っと言って看護婦さんが来ました。
愛美は不安そうに看護婦さんを見てたので、僕は・・・
『なるみ!検査終ったら食堂でカツ丼でも食べようや。』って言いました。
すると愛美は少し安心した顔で『うん!』と言ってくれました。
それから処置室に入ろうとしたら、『お父さんは外で待ってて下さいね。』って看護婦さんに言われた。
処置室に1人で入り愛美は怖がって『パパー!パパー!』と叫んでいました。
入るなと言われしかたないので処置室のカーテンをめくって愛美に見えるように、
『パパずっとここにいてるから、大丈夫やで。』って言いました。
それからすぐに始まり、愛美の手足を看護婦さん4人で抑え、もう1人が体を固定し、先生が
『すぐに終るからジッとしててね〜。』と言いながら、愛美の背中に注射器を・・・・
『ギャ〜!痛いよ〜!!』っと愛美の悲鳴が病棟内に響きわたりました。
それから10〜15分ぐらいかかりました。『ギャー!痛いよー!やめてー!助けてー!』
そのうち『パパのアホー!うそつきー!助けてー!許して下さい・・・・ごめんなさい・・・・ゆるして・・・・』と力なく叫びつづけていました。
終るまで愛美は痛さで泣き叫んでいました。
僕は愛美に聞こえるように、『がんばれー!終ったらすぐに愛美のところに行くから!もうちょっとがんばれ!』と言うしかありませんでした。
その間何時間も待ってるような気がして辛くて辛くてたまりませんでした。なんで愛美がこんな目にあわないといけないのか・・・・・
ようやく終り急いで愛美の所へ行き『ごめんな、なるみ。ごめん、もう絶対しないから・・。』
と言って背中を見たら、なんと!3箇所も注射針の跡が・・・・
心の中で『何やってたんや〜こいつらは〜!!』と思いつつ、汗びっしょりの愛美を気遣いながら着替えさせました。
愛美はその間もずっと泣いてました。『ほんと、よ〜がんばった!何か絶対にうまいもん食いに行こうなっ!なるみ・・・』
それから部屋にもどり疲れたのか30分ぐらいして寝てしまいました。
もう、これだけはやめてほしいと思いました。ほんとに長い1日でした・・・
5月20日から、コバルト(放射線治療)が始まりました。
その前に放射線の位置決めしやすいようにヘンテコなマスクを作ってもらったらしい・・・。
大阪赤十字病院の放射線室は地下1階というか(変わった建物なので)とにかく建物の下の方にあり、薄暗く、ある意味何か出そうな雰囲気の場所でした。
放射線は毎日お昼1時から左右から1回づつ(1回の照射で2分)でした。
放射線治療中は部屋に1人ぼっちになるので愛美はすごく怖がっていたので、毎日担当のW先生が付き添ってくださっていました。(忙しいのに毎日ありがとうございました。 W先生)
管理人自身は3〜4回しか付き添ってやれなかったのですが、かなり大変でした。
放射線室に一緒に入り、始まるギリギリまで愛美についてやり始まると、ダッシュで上に上がり2分間モニターで見ながら、放射線科の先生にお願いして当時流行っていた『だんご3兄弟』のCDを流してもらい、終るとダッシュで放射線室(だいたい15mぐらいあった。)まで戻り愛美をなだめるといったところでした。
W先生も最初なかなか愛美がなじんでくれずだいぶ苦労していましたが、毎日2〜3回どんなに忙しくて休みの日でも愛美に会いに来てくれました。
やはり愛美にしては、点滴の入れ替えや採血、MRI、CTなど嫌な事が多いので先生のせいだと思っていて嫌いみたいでした。(笑)
出来るだけ僕が見ている日は病院の食堂に連れて行って好きな物を食べさせるようにしました。
(愛美の唯一の楽しみみたいでした。)
あまり病院のご飯は美味しくなかったようなので・・・
けど量がとても多くて愛美1人ではとても食べきれないので一緒に半分こにして食べていました。
(親的には食費が浮いて大助かり。(-_☆)キラーン)
入院中、色んな薬を飲んでいましたが、中でも『デカドロン(脳圧を抑える薬)』を飲むようになってからは、愛美はドンドン食べるようになり(薬の副作用で食欲が増す)むくみもありましたが最初の頃に比べるとかなり太ってしまいました。これが後々には愛美にとってはよかったんですけど・・・
平日はママが病院に泊まり、土日は管理人と交代で見ていました。
いつも愛美は、『いつ治るのかな〜早く家に帰りたいな〜』って言ってました。
毎日決められた時間に薬を飲み、点滴も4〜5日に1回刺し替え、MRI・CT、一人ぼっちになるコバルトと、なんとかいい子にしてこなしていました。
看護婦さんがコバルトをあてる30回に合わせて“アンパンマン”の表を作ってくれた。
1回終ると“アンパンマン”のキャラを貼っていくものでした。
コバルトをあて終わると愛美は嬉しそうに表に貼っていました。
その顔を見ていると、早く治って家に連れて帰ってやりたいと思うばかりでした。
そして、6月30日にコバルト(放射線治療)が終りました。
その間にふらつきや嘔吐、目がおかしかったことなど随分と良くなり、自分としては確実に治ってるんだな〜って思ってました。
そしてコバルトの結果を見るためにMRIを撮りました。 結果は・・・・・
『症状はだいぶと良くなっているのですが、残念ながら腫瘍自体はほとんど小さくなっていません。一応腫瘍の成長を少し止めれたみたいですが、またいつ症状が出るかわかりませんが一応退院してもらえると思います。これから月1回ぐらい通院してもらいその時にMRIを撮って様子を見ていきましょう。』 とこんな感じで言われたと思います。
その他は出来るだけ愛美に思い出を作ってやってほしいとの事でした。
次に再発した時には、もう治療法がなかったのです。
それを聞いてほんとに辛かった・・・本当にもうなんとかしてやれないのかと・・・
愛美にはだいぶ良くなったからもうすぐ家に帰れるよ!って言うとすごく喜んでいました。
入院中、愛美は字(ひらがな・かたかな・漢字)や算数を教えていました。
退院するころには小1レベルの漢字や計30〜40ぐらいの足し算・引き算・掛け算など出来るようになっていました。
愛美はほんとに真面目な子で教えた事はなんでも一生懸命にやりました。だから余計に何故この子がこんな目に合わないといけないのか・・・・自分もどこかで事実を認めたくなかった。
そして退院する日を待ちました。