その後

 小学校1・要再検診
小学生になりました。健康診断では必ず「要再検診」のお知らせをもらう。
予防注射の問診票を見せると、必ず質問される。
「先天性のファロー四徴症です。5歳の時に手術しました。術後、肺動脈弁不全です。年に1回検診に行ってます。」
これで、再検診の必要はなくなるが、クラスメイトたちの目は驚きと心配と同情と。胸の傷を見せると泣きそうになる子もいて、急に優しくなったりして。
何度も説明したものでした。
 小学生2・プール
学校生活は普通にしていたが、激しい運動は禁止。水泳の時間は全て見学だった。成長期は心臓も成長しているため不安定だし、もしも何か、があれば水の中では危険が大きい。毎年診断書を書いてもらった。
見学者はバスタオル係になる。クラス分のバスタオルを籠に入れて持っているわけで、毎時間見学の私は、誰のタオルかを覚えてしまう。我先にと取り合いになる他のクラスの籠と違い、シャワーを浴びて戻るとタオルを手渡してくれる私は結構みんなに感謝されたっけ。
この後、高校までずっと見学。学校のプールには入ったことがない。
 小学生3・通院
小学生になってから、定期検診は年に1度の経過観察だった。
毎年夏休みに母と一緒に行った。
レントゲン・心電図・採血・尿検査・エコー検査。たっぷり一日かかる。会計が閉まるから先に清算してきてーと看護婦さんに言われ、慌てることもしばしば。
インターンの先生が来ている時に、「ファローの術後、聞いてごらん」と促されインターン生が代わる代わる聴診器をあてたこともあった。
 中学生1・体育の時間
私が中学に入学した年の5月。修学旅行先で3年生の男子生徒が亡くなるという悲しい事件があった。死因と関係があったかどうかわからないが、彼は心臓に持病があった。
それから、である。私ともう一人の男の子(偶然同じクラス)が体育の授業を禁止されたのは。とにかく先生たちはピリピリしていた。
最初の1学期は保健室で自習。2学期からは見学になったが、太陽を浴びるだけでも体力を消耗するから・・・と、スパルタ式に厳しい指導をする体育教師が、私たちには腫れ物にさわるような態度である。
運動は大の苦手で、体育は嫌いな科目だけど、ここまでの特別扱いに強く反発した。
ちなみに内申書にはきちんと説明をつけるからということで、通知表の評価は1。
 中学生2・悔し涙のキャンプ
中2。ある日、学年主任と担任が家に来て、集団キャンプを欠席して欲しいと頼まれた。まさか!なにかあった時に責任が持てないから?友達との貴重な体験も、思い出を作ることも許してもらえないのか。
両親は私の気持ちを汲んで、先生方を説得してくれたが、結局学校側の意見を受け入れざるをえなかった。
強い反発は怒りに変わり、激しい悔しさになった。でも頑張って説得してくれた両親を困らせるわけにいかない。4連休だと思えばいいかぁと明るく努めたが、お風呂の中では悔し涙が止まらなかった。
しかし、4連休ではなかったのだ。午前中だけだったけど学校に行って自習。大きな誤算。でもそこには、様々な病気や怪我でキャンプに参加できない人がたくさんいて、反発した自分の態度を少し恥じた。
 中学生3・お母さんと修学旅行
キャンプのことがあったので、修学旅行にはなんとしても行きたい!これは譲れない!家族で団結し、その日の先生方の訪問を迎えた。
すると、先生からは意外な提案がされたのだ。
「修学旅行には行かせてあげたい。ただし、お母さんが一緒に来てください」
なんですと〜?修学旅行に親が一緒なんて絶対に嫌だ!母もおおいに抵抗があったようだ。その後、母ともう一人の男の子Y君のお母さんとが学校で改めて説明を受け、話し合った。一緒、と言っても行動はクラス単位でお母さんたちとは別。就寝時だけ母親と同じ部屋で。母たちは「まぁせっかくだから私たちも旅行を楽しみましょうか」ということになったそうである。
何?修学旅行の一番の楽しみは夜中に恋の打ち明け話をすることじゃないのか。ふふふ、こっそり抜け出せばいいか。私も納得した。
さて、旅行。
観光中に見かけても、当然私は知らん顔。友達のほうが気を遣っていた。当時開業したばかりのTDL。自由時間は長く、途中シンデレラ城で母と待ち合わせろという。スペースマウンテンに並びたい私はすっぽかした。Y君はちゃんと来たのに、母には恥をかかせてしまった。部屋があまりにも離れていて、夜中に抜け出せなかったのは残念だったけど、母の部屋はフルーツの盛り合わせが届けられるし、富士山の眺めは最高だし、悪いことばかりではない。
母たちは、子供のことは別にして旅行を楽しんだようだった。初めは反抗したけれど、今ではそれもいい思い出。
 高校生・いつまで小児科?
高校生になりました。母に付いて行ってもらっていた年1通院も、一人で行くことに。
0歳から診てもらっている主治医は、小児科の先生。火曜日の午後の「心臓特別外来」に行くのだが、そこは小児科。小さな子供たちが泣き叫んでいる。かつての私もあんなだったかと、親の苦労を知った。が、高校生の私が行くにはだんだん恥ずかしくなってきた。明らかに浮いている。
「先生、私ずっと小児科に来てるけどいいんですか?」
この問いに、主治医は笑って答えた。
「私がここにいるんだから、ここにくればいい。何科というのは関係ないよ。気にせずにいらっしゃい」
はぁ。私は「先生の患者」ってことなのね。わかりました。行きましょう。
 長年の夢
こうして、20歳を過ぎ就職してからも小児科に通った。
結婚が決まり、遠くに住むことになるため通院できないと話すと、なんともびっくりする答えが返ってきた。あっさりと、もう来なくてもいいよ、と言うではないか。
念のために来てもらっていたが特に問題もないし、もうその年になれば、自分の体にとって無理なことかどうか判断できるだろう。妊娠・出産にも特に気をつけることはない。何か言われたらカルテは送ってあげるから。
え?一生検査するのだと思っていたのに。

それで、私は長年の夢を果たすことにした。
それは泳ぐこと。小学生の頃から水泳は禁止され、水の中で何かあれば命取り、と言う考えが植えついているため、とにかく水が怖い。水に浮く、という感覚すら体験したことがない。それは私のコンプレックスでもあった。
新居の近くにはたまたまスイミングクラブがあった。
勇気を振り絞って受付に行くと、ちょうど初心者クラスができたばかりだと言われた。
ビート板を手に取るのも初めて。信用してなかったが、これはすごい。簡単に体が浮く。先生の指導は親切で、何よりもゆっくりしたペースがよかった。
ちょっと溺れながらではあるけれど、クロールで25メートルを泳げるようになったのは半年後ことだった。
クロールで25メートル!私にとっては本当に夢のようなこと。この私が泳いでいるなんてスゴイ。手術してから20数年。たぶん、他の人にはない特別な感動がありました。