結婚。それは私にとって、父を選ぶか夫を選ぶかという、難しい選択肢の間で葛藤することだった。
父のこと
夫とは学生の頃から付き合っていて、お互いの親もいつかは結婚するだろう、と思っていたようだ。私たち二人の結婚に関しては、反対する人はいなかった。
ただ、ひとつ大きな問題があったのだ。当時、彼は東京で仕事をしていて、それは、結婚後私たちは東京に住むと言うことを意味する。つまり、父は兵庫でひとり暮らしになるわけだ。「ひとり」という寂しさを考えると、自分の結婚を素直には喜べなかった。父も、不安そうな表情を浮かべていた。
夫もそのことは気にしてくれていて、東京で同居してはどうかと言ってくれたが、それは父にあっさりと却下された。今さら、知らない土地で暮らしたくない。兵庫なら親戚も知り合いもたくさんいる。もっともな意見である。それに、母と暮らした家に愛着もあったようだし、私のためにも「帰る家」がある方がいいだろうと言ってくれた。
夫はわけあってたまたま東京で仕事をしていたのだが、数年後には関西に戻るつもりでいた。そのことは、いくらか父を安心させ、私は父をひとりにする言い訳にした。
父は本当に寂しい思いをしているだろうし、それを考えると自分が人でなしに思えて、罪悪感にさいなまれる。その一方で、夫との新しい生活に夢を描く。お母さんがいたら、こんなことで悩まなくてもいいのに。何処へぶつければいいのか解らない気持ちは、いちばん恨んではいけない母へと向けられて、身勝手さを反省した。
「お父さんのことは気にしなくていい。お前たちに心配させないようにするから、お前たちは幸せになりなさい。」そう言って私を送り出してくれた父に、心から感謝している。
とにかく、結婚が決まった。それに伴う様々のことは、普通母親に相談するだろう。一般的なことに付いては、叔母達が力になってくれる。それはとても心強いけど、家によって細かな事情は違うし、お金が絡むことについてはなかなか聞きづらい。父にしても、幼い時に両親を亡くしていることもあって、娘が嫁ぐときに親がどうするのかなんて、何も知らない。
結婚の準備
結婚情報誌がどんなに役に立ったことか。結納も、当初はしない予定だったが
「形だけでもあったほうがいいんじゃない?ご親戚の方もお祝いに来られるでしょ。何もないのは寂しいわよ」という義母の心遣いで、シンプルで洒落たデザインの結納もしていただいた。
親戚には「きちんとした結納してもらって、よかったわね〜」と言われて、父の顔も夫の両親の顔もたったわけである。結婚とは、家同士のものなのだと痛感した。
そして、お祝いに来ていただいたお客さんには「桜茶」を出すこと、ご祝儀の一割を返すこと(おため、と言ったと思う)なども情報誌によって初めて知った。結婚する娘とその母親の、一人二役をしているような気分だった。お母さんがいないから、そんな風に思われたくなかった。ここでも私は、私の恥は母の責任にされるかもしれない、と必死だったのだ。
結婚式と披露宴に関しては、何故か私よりはしゃいでいた義母がとても力になってくれた。東京にいる彼はほとんど蚊帳の外で、義母とふたりで楽しくいろんなことを決めた。私の母の代わりに、そう思ってくれたようでありがたかった。
しかし、ドレスを選ぶのに付き合ってもらうのはなんとなく抵抗があって、母の妹である叔母に頼んだ。叔母は義母に遠慮して、何も言わないけど、私のことをいつも気にかけてくれている。私もいちばん心を許している叔母である。カメラを持って付いて来てくれた。
「うわぁ、おばちゃんこれが気に入った。くーこちゃん、このドレスがいいわ〜。絶対にいいわ〜。」
と、これまた私よりはしゃいでいる叔母が薦めるドレスは、私のイメージとは少し違っていた。が、母がとても好みそうなエレガントなデザインで、それに決めた。
結婚式場であるホテルに打ち合わせに行くと、ほとんどが母親と一緒に来ている。その姿を目にする度に寂しくなった。ああ、私もお母さんと一緒に来たかった。この思いは、きっと母も同じだろう。結婚式の数日前、父の姉である伯母に電話した。結婚式の後、父を伯母の家に泊めてくれないかとお願いするためだ。私と夫はホテルで泊まって翌朝早くに新婚旅行へと出発する。披露宴の後、ひとりで帰宅する父を想像するのはあまりにも辛かった。でも、父は自分からそんなこと言い出せないだろう。私から頼んであげると言ったら、父は嫌がるに違いない。だから私が電話したことは内諸にして、伯母から父に声をかけて欲しいと頼んだ。当日父は「姉が家においでって言ってくれてるから、そうするわ」と嬉しそうに私に話した。私もいろいろ気を遣う。
楽しい結婚式
美容室のスタッフはみんな優しくて、今までしたことのない完璧な化粧は私の気持ちを晴れやかにしてくれた。準備が整い、私は立派な「花嫁さん」に変身していた。母に見てもらいたかった。そう思うと、涙がじわっと溢れそうになる。私は絶対に泣かないと心に決めていた。だって、私が泣いたら湿っぽくなってしまうもの。私の方の親戚と私の友達が、母のことを思わないわけがないのだもの。だから、司会者にも母のことはなるべくさらっと、ひとことだけの紹介に留めていただいた。
しかし私は、無理に涙をこらえることもなく、笑ってばかりで披露宴をは過ぎていった。少し狭い目の部屋にしたのだが、アットホームなレストランウェディングのようになって良かった。ふたりで各テーブルを回り、写真を撮ったり歓談したりする時間を作ったのも良かった。その歓談中に、予定にはなかった二次会を友人たちが手配してくれた。
ホントに楽しくて楽しくて、涙は不思議と出てこなかった。人前では泣いたことなどない母は、よく笑う人だった。母がこの場にいたら、どんな顔をしていただろう。きっと笑っていたに違いない。そう言えば、数十年前の父と母の結婚式の写真、母は楽しそうに笑っている。
結婚式のしばらく後で、母の弟が言った。
「くーこちゃん、よく笑ってたなぁ。おじちゃんはあの楽しそうな笑顔を見て、嬉しかった。ぱあ〜っと輝いてたよ、ほんまやで」
私の友達は言った。
「私、自分が結婚するときはぜーったいに披露宴したくないって言ってたやん?恥ずかしいから。でも、くーこの披露宴見て、してもいいかも〜ってチョット思った」
たくさんの人のお陰で、こんなに楽しい結婚式ができた。私はとても幸せ者だ。
お母さん、きっとどこかで見ていただろうけど、留袖を来て末席に座る姿を見たかった。まさか、私が結婚するときにお母さんがいないなんて、想像もしていなかったよ。お母さん、幸せになるよ。これからもずっと見守っていてね。