旅行記 ----- 小 さ な 旅 -----


夜半からの梅雨空が気になっていたが、目を覚ますと靄がかかっていたが心配なさそうである。
「野岩線試乗」の旅である。
野岩線ができたのは確か昭和62年の頃だと記憶している。
JR宇都宮駅を出て今市駅に降り立つ頃には空は晴れていた。遠くに望む男体山の山並みは緑が映えて青い空に浮き出るように清々しい姿態が私たちを迎えてくれた。ところどころに赤茶けた岩肌と、山の襞とが一層紺碧の空に何時にない山麓を見せていた。もう梅雨も終わりなのだろうか。

今市駅を降りると、バスが待っていた。
下今市駅は歩いても10分程であるけれど、浮き立つ旅の心は落ち着かないでいた。急ぐ心はもう小さな旅の始まりであった。
妻と二人で出かける機会は滅多にない。
昨年の秋には義母を連れて「京都めぐり」の旅であったけれど、こうして二人して旅に出かける気持ちは又、別である。
新婚時代とは比べることはできないけれども、落ち着いた気分ででかけられる今日このごろの生活には、久しい小さな楽しさがある。

東武鉄道の下今市駅でバスを降りると駅舎には人がまだ疎らであった。日曜日であるのにこの朝の静けさが意外であった。
小中学校はもう20日から夏休みのはずである。
それとも、昨夜来の雨のせいなのかもしれないと考えていると急に空腹を感じた。まだ朝飯前の自分に妻は焼き握りを差し出す。売店で求めた缶入りの茶がのどを鳴らす。
会津田島行き9時9分発とある。時刻表を持たずにでかけた悔いがあったがそれも又楽しい。
 
真新しい快速の電車がホームに滑り込んできた。
一人の年寄りが一人で温泉にでかけてきたという。人懐かしい老婆である。始めてきたという。どこから来たのかと尋ねるので宇都宮だと返事をすると驚いたように早いですね、という。
老婆の話だと今市市内から温泉には無料で入湯できるという。いかにも楽しそうで気が弾んでいた。日帰りだという。地の利の良さなのであろう。隣の部落にでもでかける気軽さである。
浅草発の電車が発車時刻5分前に反対ホームに着くと車内が急に賑やかになってきた。若者のグループや老人クラブの団体の乗客がこの駅で乗り換えてきた。
誰もが旅行気分で騒がしかった。先程の老婆も知り合いの客と盛んに気炎を上げていた。世間話に花を咲かせている老人には屈託がない。大きな嗄れた声で方言丸出しの話に終わるところをしらない。
そんな話し声をうつろに聞き流しながら車窓に目を遣ると、もう野岩線の新藤原駅をあとにしていた。
野岩線の建設の歴史は明治時代にさかのぼる。
古い(長い?)歳月を経なければならなかった。
それは、遠く長いそして多くの人々の請願の戦いの歴史でもあったのである。
計画は幻に消え、消えてはまた請願となり、そして幾度となく新たな願いとなって多くの歴史の中に埋没を重ねて言ったのである。今そして、この車窓からみる野岩の山村はその歴史の重みにも耐えて、人々の生活を支え暮らしを獲り憩いの場を育んでいる。
夏の太陽がまぶしい中でさえ何か彷彿としたロマンと哀愁とが車内にあふれていた。
 

やがて列車は目的地の会津田島駅に着いた。
駅舎は異様な賑わいを見せていた。
”91”たじま祇園フェアーの祭の最終日であった。そして運良く今日は会津田島〜浅草間3時間16分の快適な旅(新型急行『南会津』7月21日運行開始)でもあった。
町を上げての喜びは、私たちを温かく迎えるのに充分な演出の機会でもあったのである。
田島の町は妻は初めてだという。
私は、いつか忘れたが二度目である。しかしその時はたしか車でこの街道を通っただけのことであるから、街の様子はわからない。
駅前の通りには露天商が軒を連ねて、子供たちを相手に所狭しと縁日の賑わいである。三日目の昼下がりで日差しは容赦なくアスファルトに照りつけて、その反射熱は異様なまでに高い。
この辺は、冬場だと道路は分厚い雪に閉ざされて凍てつき吹き荒ぶ風が当り一面を覆うに違いない。
そう考えるとこの街の人々は、梅雨の時季のの晴れ間を存分に楽しんでいるのかもしれない。
昼食も済み街の散策にでかけた。
駅前でもらった案内図をたよりに「歴史民俗資料館」を訪ねた。奥会津地方に残る民具の資料館であるという。
蕎麦屋の娘さんが教えてくれた道順に歩いていく町並みははじめての私たちには遠かった。何度も道ゆく人に尋ねてやっと目当ての資料館を捜し当てた。
受付の女性に拝観料を払い中に入るとそこには昔を偲ぶ民具が所狭しと並べられていた。
生活の厳しさと、自然の葛藤と闘ってきた血の出るような人々の匂が胸にせまってくるのを覚えた。
農耕器具や野鍛冶屋の道具類そして漁猟用具の数々、どれもこれもそれらは歴史の重みを教えてくれた。
この資料館でさえその昔、会津郡役所として使用されてきたものだという。
生活の場として建てられたこの役所に、多くの人々が出入りし使用してきた当時の建造物が今もって大事に保存されていることにあらためて時の流れを教えてくれた。

小さな旅はこうして思いもしなかった大きな出会いと重なり恵まれた思い出を残してくれたのである。
またいつか、この地に足を運ぶことが出来たならもっと色々な人たちと語り合いたいとそんな気がして帰路についたのである。

1991年7月21日 記
深海 弘

奥会津地方 歴史民俗資料館 資料 より

民具は民衆が手足の延長としてきた道具である。
ここに展示したものは、佐藤 耕四郎さん(西町)が仕事のかたわらコツコツ集めてきたもので、今ではもう見られなくなったものも多い。
これらの民具はこの土地の文化をしるための大切な資料となる。
もし民具がすべて失われるとしたら同時に私たち祖先以来の歴史も失うことになるだろう。
さいわい、旧南会津郡役所の復元修理がなり、その一部を民俗資料館として使えることになった。
建物とともにこの民具類も末永く保存したいものである。

田島町教育委員会

(参考) 展示品
農耕用具、運搬用具、駑車馬の道具
野鍛治屋の道具、漁猟用具、類等々




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