生きがいをもとめて
生きがいって何だろう。ふっとこの頃そう考えてみる。 人それぞれ生きてはいるけれども、わたしも確かに生きているには違いないけれど、生きることの幸せみたいなもの、あるいは自分のための生きがいというもの、生きている証は何だろうかと考えてみる。 |
家族の中で妻や夫や子供たち、そしてその中に自分という確かな存在。 会社の同僚や仲間たちと自分という関係、そしてこの広大な世界の人たちの集まりの中での自分、社会という大きな動きのなかでの毎日の暮し、来る日も来る日も同じように昔も今もそして明日もこの生きる姿は少しも変わらない。 私ばかりか多くの人たちがそうであるように生きている。 幼い子達も、大人たちも、男も女も、年老いた人達もそうである。 そしていつか時の経過と共に誰も年老いて生きることの終着駅にたどりつくのである。 |
生きがいって何だろう?生きがいってあるのだろうか。あるとすれば何をもって生きがいというのだろうか。 若い人たちであれば人を愛し恋することだろうか。 愛する恋人に身の回りの世話をしながら共同生活を営むことだろうか。愛することが全ての生きがいだろうか。 夫を愛し、妻を愛し、子供たちの生育をじっと見守ることだけが、生きがいだろうか。 家族のない孤独な人たちの生きがいは何だろうか。 重傷で苦しむ多くの患者たちの生きたいとする悲愴にも似た生きがいとは何だろうか。もっと自由に一人で街や野原をかけめぐりおいしい好きなものを腹いっぱいに満たすことだろうか。 それもあるかも知れない。 だが人は決してそれだけで生きがいだと感じそれ以上を求めはしない動物ではない。 もっと多くのものを求め探しむさぼり、今日も明日も生きることに生命の火を燃焼させるのである。 しかしそれだけが生きがいと呼ばれるものではない。 人は生命あるものは生きようとする本能的に生きようとしているし、自覚的に「生きがい」を求めては決してない。 |
47年私は生きてきてしまった。とそう感ずるだけで今ここで「生きがい」というものがあるとするなら、何だろうかと愚問かもわからないけれど考えてみたい。 |
生きるって大変なことだと思う。 いつの時代でもそうであったし、これからもその事に大きな変化はない。とそう一般的には考えられている。 どうにかあくせくしながら、汗水を流しながら生き長らえている。 物の値段は日増しに高くなり生活の支えとする給料だってそうやたらに良くはならない。暮れごろになると石油も高くなって買うことにだって苦しむに違いない。 子供や家族のひとたちに出来ることならせめてそうした苦しさに少しでもさせたくないとする大人たちの願いであろう。 けれども、この世の中の一つ一つの出来事の多くは、人の願いとは反対になさけ容赦なく押し寄せてくるのが常である。 |
先日の映画「ああ、野麦峠」は明治時代の花形産業の一つであった絹織製糸女工の生活の苦しさと日本の経済のその頃の暗い姿をうつしていた。 糸つむぎのまだ幼い十四、五の子供たちが雪の深いそしてけわしいヒダの高山に幾十人も懸命に進む?姿は決して涙なくしては見られない現実の姿として「日本のため」という歌い文句があるように日本の経済を支えてきた反面、家族立ちの生活を助けるために身を粉にして働いてきた彼女たち!! 一体彼女たちは、生きがいというよりも腹一杯白いご飯を食べさせてくれること、家族たちが少しでも生活がよくなればという切なるねがいだけが彼女たちの夢であったのである。 資本主義社会という社会機構=資本家たちは、こうして急速に多くの労働者の悲惨な犠牲の上に強大な力をたくわえていったということをこの映画は教えていることを見逃してはならないと思う。 |
日清戦争、日露戦争そして第一次世界大戦、日本は世界に大きな歴史的な罪を日本の民衆たちばかりか、中国や朝鮮やアジアのその他の民族にまでも汚点を残していった経過がある。 第二次世界大戦で日本は破れたけれども、資本主義という制度は厳ぜんとして続いている。日本人の暮しは、明治時代や大正時代のそれと少しも変わってはいない暮しが今もある。 |