昭和の遺産と還らぬ青春


はじめに

夢を見ているのではないかと、自分の目を疑ってみた。しかし、紛れもない夢ではなく現実であった。「時」は確実に時間を重ねて過ぎ去り、過ぎ去っては遠のいていく。
今、それらを振り返ることで自分が生きてきた証をもう一度確かめておきたいと思う。そしてその時間は、あまりにも波瀾万丈に満ちてただ右往左往の人生であったし、それらは同時にその社会の歴史のひとつの、断面でもあったのではないだろうか。
具体的には、昭和の断面であったし、戦争と平和の断面でもあったり、軍国主義の時代でもある。
大きな嵐が私の人生の貴重な時間を駆けめぐり、吹きすさび、通り過ぎていったのである。

私の父母が生きてきた時代と、私自身が生きてきた歴史が将来とどう結びつくのかを記しておきたい。

私の生誕は1932年(昭和7年)2月19日である。あとで知ったことであるけれども、今風に言えば超未熟児であったようである。しかし、どうにかこの年齢になるまで健康には恵まれたほうで、大病らしい大病はしたことがなかったから嬉しい。

1932年といえばまさに、日本にとっては資本主義社会が急激に成長し、発展しつつあった時である。それはまだ未熟なままに保育器から世界の渦のなかに放りだされた時でもあったのである。歴史的には『15年戦争』の悲劇のはじまりであったし、日本の運命をまきこむはじまりでもあったのである。

1932年 1月 9日 前蔵相 井上 準之助、血盟団に射殺される。
  1月28日 第一次上海事件おこる。
  2月 5日 日本軍ハルピンを占領。
  3月 1日 満州国建国宣言。
  5月15日 陸海軍将校ら首相官邸などを襲撃、犬養 首相を射殺。(5.15事件)

世相は大きく渦巻き、急速に何かが変わろうとしていたのである。私の人生もこの流れの中で、大きくかかわり影響を受けながらいま60代の半ばを過ぎようとしている。それらは常に「戦争と平和」、そして「政治と暮らし」が表裏一体の関係の中で影響をうけながらあるいはみつめあいながら葛藤してきたようである。

いま、ここに「自分史」を綴ることで、その時代や歴史を検証し、そこにあらためて自分の青春を再発見できたらなと思う。

そして、この自分史を今は亡き父や母に送ると共に、私の人生のよき伴侶として共に苦しみを分け合った妻に捧げることで、私たち年代の生きざまをつぶさに「自分」史として綴って小さな証にしたい。


自分史目次へ HOME