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2004年3月
4日
みの
ここんとこ東京やら三重やらと京都を行ったりきたりしつつ、先週某Fテレビの全問正解で1000万円貰えるクイズ番組みてて、
問題で作品名から作者を当てるって問題があったんですが、答えが島崎藤村で答えの詳細のところに「代表作に[破壊]等がある」って
普通に書いてあったのに爆笑してました管理人ですごきげんよう。(一文
今日初めての免許更新に行ってきました。住民票うつしてないので三重までわざわざ取りにいってたんですよ。おかげでいいもん見れました。
なんたって、三重は田舎。しかも免許センターなんて県内各地からよってくる。つまりさらに田舎から大量に人くるわけですよ。
すると、中々京都や大阪、東京なんかじゃ御目にかかれないすごい人たちも沢山くるわけですね。リーゼントに革ジャンやら、坊主にジャージやら、いつの時代のものやねんって突っ込みたくなるような
サングラスかけた人やら。その上、初回更新なもんで、微妙に長い講習があるんです。そこで、交通事故がいかに悲惨かというようなビデオみせられるんですが、
まぁ内容はおして知るべし程度です。そのビデオに号泣してる人とか、寝てしまって公安の人に部屋からつまみ出されて更新不可になったひとやら、彼氏にくっついてきただけのネーチャンがつまみ出されたりとか、
ステキ体験沢山してきました。
とまぁ、そんなふらふらした気分で電車のって京都向かって帰る途中、 雪が降り出してきました。三重じゃ雪自体あんまふらないのに、この時期になんてほんと珍しいんです(一部地域を除く)
。何気なく見てたんですが、ふと「三重で見る雪も最後なんかなぁ」 とか思ってる自分に驚きました。別にもう帰ってこないつもりなんか毛頭なかったのに、何故そう思ったのだろうか、と。
就職が東京だったりすると、あまり帰ってこれなくなるんでしょうかね。徐々に変わっていく自分の環境にすこし戸惑ってみたり。
あぁ、なごり雪前日に聴いたせいか
2004年2月
16日
脳力
友達からこんなサイト教えてもらいました。 http://www.higopage.com/panels/index.html
なんてことない、よくある鑑定系サイトです。分析結果種類は少ないですが結構きわどいところついてきます。やってみたらダリと同等とかでました。シュールレアリズムはよくわかりません。というかタダの変態としか思えません。一緒にしないでください。
15日
ネタ
「yahoo!に就職きまったよ」
「え、モデム配るの?」
「アートネイチャーに就職きまったよ」
「カツラだったんだ」
「就職やめて院に進むことにするよ」
「どこも受からなかったのね」
「一部上場企業の内定でた〜」
「おー、どこどこ?」
「武○士」
苦情は受け付けません
5日
音楽
突然ですが、くるりイイです。 今日映画のサントラCDかっちまいました。この映画です。
この映画の音楽をくるりが担当してて、主題歌も歌ってます。くるり知らない人向けに、てかあんま知らないかもしれんけど、多少説明しとくと、立命出身のバンドでもう結構長いことやってます。でも一般的にはあんま売れてません。有名ではあるんですが。まぁなんで一般ウケしないのかは聞いてもらえればすぐ分かると思います。
くるりのなにがいいかって、聞いててどこまでも自分の中に沈んでいける感じです。去年でたアルバムの一曲目なんかかなり衝撃的です。若年世代の退廃感がでてます。出だしが「いっそ悪いことやってつかまってしまおうかな 欲しいものは諦めてる 持ってるものにも飽きてきた どうにもならんし」っていうやり場のない無力感が大好きです。こういう深みに自分をはめ込むと安心できるあたり、俺自身人生後ろ向きなんでしょうか。世間一般にいうダメ人間なんですが、そのダメさ加減に背徳を感じつつも、暗い泥の底にあるような甘美な安住と退廃がすごく心地良いんです。昔からそういう退廃的なものへの憧憬ってのはあったです。でもそれと同時に、自分がそこまで堕ちれるほどの無力感に打ちひしがれてるわけでもないという自己内部の矛盾を抱えてて、たどりついたのがくるりなのかもしれません。音楽は、音楽に限らず芸術一般そうだと思います、一時的にそれ自身がもつ世界に力ずくで引きずり込んでくれるものです。その世界に浸ることで矛盾から解放されることで安堵をえているのでしょう。
色々言ってみたところで、先のアルバム一曲目の最後のフレーズ「すぐに忘れるわ こんなこと」
病んでるとかイウナ
4日
阪急電車にのり大阪梅田から京都へ帰る。疲れているためか酷く眠い。昏くなりゆく意識に、窓から見えるけばけばしく文字を映し出すネオン管がうるさい。週刊誌やマンガを読む人間、何かを聴いているのだろうかヘッドフォンをしている人間、携帯に向かい熱心に何かをしている人間、また深く眠りについている人間。
午後8時という時間のせいか、やかましく話し込んでいるひとはいない。車内はただ車輪の回る音だけが響いている。皆が皆、黙々と目的の駅まで自分が運ばれるのを待っていた。自分が今、この無機質な車体に支配されているように思え、不安を感じた。その不安を忘れるために人は、なんらかの行為を行い車内での時間を過ごすのだろうか。脳は眠ることを指示していたが、私は眠れなかった
いくつかの景色を通り過ぎた後電車が止まりドアが開かれる。そのたびに誰かが降りてゆき、誰かが乗り込んでくる。延々と繰り返される行為はさながらこの社会で生きるための儀式のように見える。何度かその儀式を見過ごした後、私もその儀式に参加することにした。ホームに下りると周囲は足早に立ち去り、すぐに人ははけていった。この不安な物体から一刻も早く離れたいのであろうか。改札をでるとそこは地下の世界だった。昔日、人が空想した地底世界は現実のものとなっている。変化に変化を重ね、変わり果てた世界はなお変化する、何ものになろうとしているのだろうか。そこに住む人間は疲れ果てた顔をし、またみな同じ顔をしているように見えた。それぞれがそれぞれの命を生きながらなお同じに見えた。私の中で苛立ちが膨れ上がる。世界に対してか、同じ顔の群集に向けてなのか、それもと彼らの命を知ることのできない自分に対してか
(続?
ごめんなさい、ちょっとつかれてたんです_| ̄|○