「野田と佐々木」
「―――で?どうなんだ、最近、Kは?」
そう言いながら佐々木はソファに腰掛け、煙を吐いた。
「どうって?同じですよ。あいつは何も変わっていません。完璧です」
大理石の灰皿を佐々木の前に置き、野田は正面に座った。
「違う。少しは誰かになついたか?」
「いいえ。あいつは何も変わっていません」
野田はわざと同じ言葉を繰り返した。佐々木もその作為に気付き、少し苛立ったが、顔には出さなかった。
「そうか」
「相変わらず、センセイの言うことしか聞きません」
「うーむ」
佐々木はタバコの火を灰皿に押し付けた。
「で、そのセンセイは何か言ってないのか?」
「ええ。言われました。昨日、『慶と向き合うのは君たちには不可能だろう』って・・・」
「何故だ?何が不可能なんだ?こっちはその理由が知りたいんだ。聞かなかったのか?」
「『この世の殆どの人間にも対して言える事なのだがね。君たちは、本当に慶を見る事ができていない。君たちは、手頃に寄せ集められた曖昧な記憶と、都合よく脚色された想像力でしか、あの子の存在を確認できない。慶はそれを感じている』だ、そうです」
野田はまるで呪文でも詠唱するかのように言った。
「はっ。よく覚えたな、そんな文章」
野田の言葉の途中から、佐々木はもうすでに笑っている。
「ええ。何回も聞き返しましたから。それから、『それがどんなに困難で大切な事か、君たちは一片の自覚もしていない』って言われました」
佐々木に揃えて、野田も少し笑顔を見せた。
「ただの小学校のオイボレ教師が、偉そうに。要するに、あいつを色眼鏡で見るなって事だろうが」
「まあ、そうでしょうね。センセイに言わせれば、人間の殆どがそうらしいですし」
「・・・そりゃあ・・・ただ・・ただ単に、あいつが馬鹿なだけだろ。」
佐々木の言葉に、すかさず野田が質問した。
「あいつって?それは、Kとセンセイ、どっちの事ですか?」
「それは・・・どっちもだ」
佐々木は一瞬、焦った。はじめはセンセイの方を指していたのだが、野田に質問されて答えを変えた。
「だったら『あいつら』でしょう。ダメですよ、二人の悪口は。Kが俺達のために仕事をしているのは、Kにとってみれば全部センセイの指示なんですから」
冷静に指摘する野田。この男は初めから解っていて質問したのだ。佐々木は単純に、野田に対して腹が立ったが、すぐに野田が話題を変えた。
「それにしても、まあ、実際無理な話でしょう。佐々木さんは、あいつ・・・Kの事を、普通に、色眼鏡無しで見られますか?」
「あ?」
急に野田の声の調子が変わり、佐々木は戸惑った。
「僕は無理ですね。Kは・・・あいつが仕事を完璧にこなす分、僕はいつもあいつに恐怖を覚えていました。いつか、Kの標的がこちらに向いたら、僕はきっと、成す術がないでしょう。どうする事も、できないでしょう」
伏し目がちにそう語る野田の姿は初めてだった。
「どうした、お前らしくもない。センセイに何か言われたか?」
「・・・はい」
「何て?」
「『慶はもう君たちのことに気付いている。私も、君たちも長くない』・・・と」
「どういうことだ?センセイも標的になるのか?」
野田の恐怖が、佐々木にも伝わり始めた。
「少なくともセンセイ自身はそう思っているみたいです。まあ、気持ちは解りますよ。Kにしてみれば、たった一人信用していたセンセイに裏切られたってことですから」
「なるほど。『長くない』か・・・」
佐々木は窓の外を見た。乱立するビルの隙間から見えた空は、薄雲に覆われていた。
「正直、怖いですよ。確かに、Kの気持ちも解りますけどね。唯一信じていたものがなくなったんですから」
「何だ?じゃあお前、死ぬか?」
「心配しなくてももうすぐですよ。自分も。佐々木さんも。まあ、佐々木さんはこの前『死は怖くない』って言ってたし」
「ああ。俺は弱くない。お前や・・・Kとは違う!」
挑発的な野田に対して、佐々木は思わず声を荒げた。しかし野田は顔を下に向けたまま、佐々木を見ようともしない。
「だからあんたは死ぬんだよ」
「あァ!?野田ァ、てめ」
小さな破裂音とともに、佐々木は椅子に腰掛けたまま死んだ。
「佐々木さん、あんたがくれたこの消音銃、使いづらくてしょうがなかったんですよ」
そう言って野田は銃を佐々木の前に置いた。
「大丈夫ですよ、多分。先に行ったセンセイがあんたを待っている。俺はまだまだ死ぬのが怖いんでね。必死で生きる方法を探す。センセイの死で、Kが壊れるのに賭ける」
そう言って野田は立ち上がり、部屋の扉を開けた。目の前にKがいた。
「・・・ははっ。Kか。何か用か」
心底笑えるのにぎこちない。野田はそんな気分だった。