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佐藤尚司が旧跡

●奥の細道(佐藤尚司が旧跡)
月の輪のわたしを越て、瀬の上と云宿に出づ。佐藤庄司が舊跡は左の山際一 里半斗に有。飯塚の里鯖野と聞て尋たずね行に、丸山と云に尋あたる。是、庄司 が舊舘也。梺に大手の跡など、人の教ゆるにまかせて泪を落し、又かたはらの古 寺に一家の石碑を殘す。中にも二人の嫁がしるし先哀也。女なれどもかひがいし き名の世に聞こえつる物かなと、袂をぬらしぬ。墜涙の石碑も遠きにあらず。寺 に入て茶を乞へば、爰に義經の太刀・辨慶が笈をとゞめて什物とす。

  笈も太刀も五月にかざれ帋幟

 五月朔日の事也。


●松平定信公歌

 ふみわけてむ可しをとへば
 夕時雨つゆけき苔に
 跡こそ見えける
 
 なきたまよものいひかはす
 ものならば同じ心の
 すかたなるらむ
 
 いしぶみは千とせの海に
 くつるとも人の誠よ
 いかでくつべき
               楽翁

●謡曲「摂待」

 佐藤継信、忠信の遺族を中心とする忠孝の至上を描いた曲。
 継信、忠信の母が山伏摂待にことよせて、落ち行く義経一行を待ち受けていると
 さあらぬ態でこの寺に立ち寄った主従十二人、
 初めは、義経一行であることを隠したてていた弁慶・・・
 
 子方  「いかに祖母御前 かほど心なき 人々に さのみ言葉を つくし給はんより
     今は早内へ 御入り候」
 判官  「これなる童はこざかしき事を 申すものかな まこと継信が子ならば
     主君判官と思しき者を えって出し候へ」
 子方  承りて候とて 十二人の山伏の 皆御顔を見渡して「これこそそにて おはしませ」
 判官  「そもそにてあるべき 謂れはいかに」
 子方  いやいかに包ませ給うとも 人に変れる御粧ひ 疑いもなき我が君よ
 地   父たべなうとて走り寄れば 岩木をむすばぬ義経成れば泣く泣く膝に抱きとる
     げにや梅檀は二葉よりこそ匂うなれ 誠に継信が子なりけりと
     余所の見る目まで皆涙をぞ流しける
 
 母尼は今は亡きわが子を偲びつつ、一行に酒を勧め、義経一行、弁慶は
 義経の身代わりとなって戦死した兄弟の武勇を語り聞かせた。
 継信の遺児鶴若もけなげに給仕をして夜を徹した。
 別れの朝、鶴若は御供を乞うたが皆に慰めすかされ涙ながらに一行を見送った。

                    ・・・医王寺はその佐藤一族の菩提寺である。

●メモ
 ・訪れた日  平成16年8月12日
 ・駐車場   医王寺周辺道路沿いに駐車場があります。
 ・      
 ・その他   乙和の椿・・・基治公、乙和御前夫婦の墓碑の傍らにある古木
               乙和御前の悲しみ、そして慕情が乗り移りつぼみの
               まま開かず落ちてしまう椿です。
               
               咲かで落つ椿よ西の空かなし  黙翁

        若桜と楓・・・継信の妻若桜と忠信の妻楓は義経の身代わりとなった
               二人の冥福を祈る日々であったが、また一方で我が子二人
               を失った老婆、乙和御前の悲しみを慰めるため兄弟の
               武将になり乙和を励ましたとの言い伝えが残っています。
               
               太刀佩いて武装悲しき妻の秋  自得


●写真情報  
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▲瑠璃光山 医王寺(天長三年開基)▲芭蕉句碑  笈も太刀も五月に飾れ紙幟(寛政十二年建立)


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▲寺の奥にお墓があります▲蝉の声に耳を傾け・・・


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▲佐藤一族の念持仏をまつった薬師堂と一族の墓

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(2004.8.29 UP)
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