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こんにちわ。
ここでは、妻の、涙なくしては語れない(?)学生時代を語っちゃいます。看護学校時代の友人達が見たら、なにか言われそうなこともあるかもしれないけど、まあ、主観的なお話ですから。お許し下さいませ。
〜序章〜
入学試験
この年は、丙午ということと、カリキュラムの変更と重なって、40人募集のところ、45、6人しかいなかった。倍率も1.1ぐらい。なんだか、受かる気が、受験前からしていた。いざ、会場に入ると、その40人強の人達が、教科書を広げていたりしていた。ただ、私は、『ここで悪あがきしても…』と思って、後ろの人や、周りの人を巻き込んでおしゃべりしていた.今思うと、もし、その人達が落ちていたら、私のせいになってしまうだよなぁ、きっと。でも、ちゃんと受かってました。ホッ。
入学式
40人定員のところ、なぜか、入学式早々から、39人でスタートとなる。スーツの人もいれば、Gパンの人もいるし。すごい個性あふれるクラスになりそうだった。入学式での思い出は、なんといっても、校歌が二部合唱だったこと。あれは、すごかった。
イベント
入学してすぐのイベントは、交流会。2年3年の人と、どこやらいって、キャンプとか、出し物とかするというもの。そんなに仲良しになってないうちに、係りとか決めなくちゃいけなくて、嫌だった。でも、まあ、なんとか、当日になった。出し物は、何をやったかなぁ…ウエディング・ベル(懐かしいぃ)をうたったような。なんで、ウェディング・ベルなのかがようわからんけど。イベント終了時に、なぜか円陣をくんで、「とーいつー(統一)、だん-んけつぅー(団結)、○●◎」と連呼するんだよな。あれが一つの伝統なのかもしれない。
載帽式
私は、申し訳ないが、この載帽式ほど記憶がないものはない。感動のあまり、泣いている友人もいたのだが、私は、意外とけろっとしており、ナイチンゲール誓書も覚えなかったほどである。(だって、ナイチンゲールのいうようなことはできないって思っていたから)まあ、とりあえず、この載帽式で一つのハードルを越えたのである。
学内実習
これは、病院での実習を行う前に、学生同士で技術の確認や、知識の確認を行うもの。でも、これは、学生同士だから、今一つ緊張感もなく、なーな-でやってるから、果たして意味があるのかどうか…。これを終えて、恐怖の、そして、エンドレスなのかと思ってしまうような学外実習が始まるのである。
〜本章〜
〜恐怖の…〜
看護学生には、つきもの。学外実習。とくに初めての実習は、院内見学をする時から、ドキドキ。説明があったんだけど、そんなの頭に入りやしない。とにかく、実習が始まる…。
基礎実習
これは、疾患についての学習よりも、日常生活(体をふく、食事の介助、散歩の介助、等など)を中心に実習をするはずだった。だったというのは、疾患のことも、学校は求めないといっても病院側ではそうはいかなくて、指導者(学生を指導する看護婦)から、『これは授業でやってるでしょ!!』とお叱りを受ける羽目になるからである。
私が実習しにいった場所は、『バケツ3杯の涙』といわれ、なおかつ、そこに行くメンバーは、その学年の中でもいわくつき(?)であり、更になおかつ、リーダーをやる人は、なにかにつけ目立つやつといわれていた。そして、その栄光(?)のリーダーに私はなった。実習病棟に行くと、指導者は、学生の中で実習申し送りノートの中にある噂の人だった。私は、一気に胃が痛み始めた。昼食もとれないほど。普通は、病棟の説明を(物品の位置など)してくれるのだが、今回は、セロケースを渡され、その中に書かれている物品を学生同士でチェックするのである。当然、遅くなる(位置がわからないんだも〜〜〜ん)。なのに、なのに、指導者は、『なに、やってんの!!』(なにって、物品の位置、探してんじゃん)と声をかけられる。
ある時、シーツ交換をする時、指導看護婦とは違う看護婦と行った。初めての病院のシーツ交換。微妙に学校と違うから、私は、微妙に緊張していた。ベッドの角のシーツをたたむ時、ベッドの上げ下げをするハンドルがあり、(それは、学校の練習用のベッドにはなかった。)どうしたらいいのかわからなかった。私は、(かなり)勇気を出して、「これ、どうしたらいいんですか?」ときいたら、『そんなのは、サルでもわかるわよ!!』と怒鳴られた。私は、怒鳴られたことにも怒りを感じたが、『サルでもわかるわよ』という発言に、(サル以下なのかぁ〜〜)というわけのわからんところで怒っていた。
本格的な実習
基礎実習を終え、ほっとするまもなく、長期にわたる実習期間に入る。成人、老人、精神、母性、小児と多岐にわたる実習。授業は、聞いてるようで、聞いていないからもう大変。
3個目の実習の時、私は悩んでいた。看護ってなんだろう。私は、看護しているんだろうか?私は、家政婦さんのようなことをしているだけじゃないんだろうか?・・・と悶々していた。今思うと、すごいなぁ、私って。っていうか、自分に自信がなかったのね。でも、その実習のふとしたことで、『あ〜〜〜〜、これが看護なんだぁ〜〜〜。』っていう電撃が走ったの。まるで、へレン・ケラーが水という言葉に意味があるとわかったような瞬間。それは、甲状腺腫瘍の骨転移の患者で、清拭(体をふく)をしてたとき、指導者から、「このひとは血小板が低いから、体をふくことで、内出血になりやすいの。だから、不必要な出血をさせないためにこういう日本手ぬぐいとか使って、防ぐのよ』といわれた。私は、この時まで、白血球の作用、血小板の作用がち-ぃっとも知らなくて(…すいません(-_-;))。でも、この時に、「あーそうなのか」ってわかったの。そうしたら、理解できるのに早い早い。嫌だった、自己学習もわかるようになり、看護の展開がすらすらとまではいかないけど、楽しくなった。友人とノートの厚さを競っていただけだったけど…。(でも、それって大事!!!)
しかし、そんな私に道をふさごうとしたのが、精神と母性と小児だった。
精神実習では、私が生まれる前から入院している人がいて、私は、その人の受け持ちになってしまった。情報収集するんだけど、もう、すんごい量!!!百科事典かしらと思うぐらい。まあ、これだけ、人っていうのは、人生を抱えているってことはわかったけど、後は、ちんぷんかんぷん。精神は、奥が深く、目にみえない領域だから、2週間そこらじゃ、だめだって思った。でも、驚きもあった。薬を飲むのをいやがる人もいて、(これは精神でなくても結構、いるハズ)ご飯と混ぜて飲んでいた。というか、食べていた。味付けの濃いものだったら、子供で、可能かしらと密かに思っていた。(決して、ノートには書けなかったが…)
母性では、妊婦さんも少なく、出産の見学のチャンスもなかなかないもの。それでもなんとか、見学できたが、人によって、生の感動をする人もいるのだが、私は、ちょっとつらかった。そして、助産婦はできない。出産もできないとまで、思ってしまったのである。だから、助産婦になった人はすごい!と思う。
小児は、何が大変って、子供嫌いな人間には、かなりつらい。私は、めちゃ嫌いって言うわけじゃないけど、でも、めちゃすきっていうわけでもない。楽しく過ごせるように出し物も考えなくてはいけなくて、これがつらかった。
そんな実習に付き添ってくれるのは、学校からの教員である。教員もいろんな人がいるが、一応、学生サイドに立ってくれている(ハズ)。でも、やはり中には、「おいおい」といいたくなる教員もいる。そして就職してから、いっしょに働くのはちょっとつらい。いい教員ほど、現場になかなか配属されない、そんなもんなんだなぁと感じる。
中材実習
この実習が一番の思い出であり、一番、臨床でためになって、役に立っている。婦長がすごく厳しい人で、細かいことまで聞いてくる。たとえば、「注射の痛い看護婦はなぜか?」「滅菌と消毒の違い」「消毒方法の5項目」などなど。かなり、飛び回って調べて、レポート提出までした。その時は、かなりきつかったけど、あとですごく役に立ったのである。ただ、その婦長から「おまえらには、日本語がつうじんのじゃ」といわれたことには、なんとも返す言葉がなかった。
総合実習
この実習は、多分、今のカリキュラムではないとおもうけど、リーダー実習というのがあって、なぜか準夜の人に申し送るというメニューが入っていた。今思うと、これって、その実習病院のやり方を知るだけで、何を学んだのか、よくわからない実習だった。
でも、実習で泣いたのは、受持ち患者と別れるときと、カンファレンスで思うように実習ができない、理解できない時の悔しい思いをしたときだけ。指導者から、なにか言われて…涙することはなかった気がするけどな…まあ、かなり、気が強くないと、乗り越えられないものなんだと思う。
〜記録〜
実習は記録が命。毎日毎日、膨大な量の記録が学生にはのしかかる。普通なら、バイトしたり、遊んだりしている年なのに、なぜか、病院と家の往復。かばんのなかには、ノートと滅多に読まない図書館から借りた参考書を引きずって。
計画を立ててこないとあれやこれやいわれ、質問にも答えられない。自己学習もしなくちゃいけない。ないない尽くしでつらかったな。関連図っていうのも書いた。でも、はっきりいって、患者把握が完全にできるとは思えない…。
でも、私は、あらゆる記録(カリキュラム編成検討時期にあたり)に関わって来たから、どんな学生(実習で)がきても大丈夫だった。
〜学生カンファレンス〜
実習途中と最後にカンファレンスを開く。多分、実習中に困ったこととか、わからないことをディスカッションして次の実習に生かすという目的があったと思う。しかし、しかし、記録に追われている学生に困ったことやわからないことなんて、わかる訳ない。第一、カンファレンスのやり方(いやそれすら)、そのものがわからないのだから、うまく、進むわけもない。テーマもいろいろ考えているのだが、指導者に提出すると、「これでは、カンファレンスにはならないわよ」とか、「これでいいの??これでいいのね?!」と詰められる。すると、学生は「もう一度、考えてきます」と答える。(答えるしかないのだ!!)学生の部屋で、学生は指導教員に相談するが、指導教員のカンファレンスの困り度と学生の困り度とは違うから、さして、当てにならない。結局、学生同士で、ばればれのカンファレンス用の台本作りをすることになるのである。(はぁ〜〜〜)。
一度、カンファレンスのテーマを婦長に告げたら、「こんなのはできない。机上の空論よ。」とぼろくそにいわれたことがある。何度も、テーマを変え、婦長に聞くが、却下。却下。そのうち、指導教員も困り果てるほど。私たちのためのカンファレンスであって、婦長のご機嫌伺いのカンファレンスじゃないと心で叫んでいた。そして、それら風潮は、いまもきっと、続いているのだろう…。
〜いきぬき〜
看護婦も息抜きするときは、すごい勢いで息抜きをしている。それは、看護婦になって息抜きを覚えるのではなく、看護学生時代に体得するものだと思う。実習や、学校の授業のストレスは、他の科の学生に比べ想像絶する(?)ものがあるから、はじける時もすごい。
まず、ある時の文化祭。前日に夜遊びツアーとなるものを企画。当時、ディスコが流行っていて、マハラジャとか、キング&クィーンとか、ヴァーゴといったところで、遊んで、ファミレスで夜明かしして、学校へいった。中には、文化祭の途中で、一度帰宅して、寝て、また戻るとい人もいた。
実習の打ち上げの時は、ぼろぼろだった。みんな、飲めない酒も飲んで、忘れようとするぐらい浴びて、よれよれになってホテルに泊まったこともあった。
そうしなきゃ、やってらんないって言う気持ちだったと思うと、すごい看護学生だなぁ…。
〜これで最終章〜????
総合実習も済むと、学生は国試一直線!!!電話帳と読んでいる問題集をとにかくやって、やって、やって、やりまくる。理解しているとか、していないとかそれは二の次。ときには、問題集をやってて、あ〜〜ぁそうぉぉぉぉなのぉぉぉと理解することもままある。3回やれば受かるといわれると、ある種の強迫観念が生まれ、やらなくては・・と思ってしまう。かなしい性分・…( ; _ q ))クスン。実習中にも就職活動があるのだが、看護婦は、一般事務と違って、会社訪問とかあんましない。私は、人見知りしてしまうし、自分から、さがして当たることができないシャイな部分があるので(私はそう思っているんだ!!!)一つしか受けなかった。なんとか就職して、学生脱却?と思っていたのだが、合格発表が4月28日。それまでは、見習いで働かなくてはならなかった。国試は、マークシートで、なんか、どれもこれも正しいような間違ってるような感じな出来映えだったから、なんとも落ち着かない見習い期間だった。
卒業式は、さほどの感動はなかった。でも、そのあとに謝恩会と称して、飲みまくったことは覚えている。
これで、私の看護学生時代は幕を閉じる。この時は、名をとどろかせる(?)看護婦になっているとは思いもしなかった。 おわり