このHP作成するまでに、生まれて初めていろんな感情が交差しました。そして、これからもいろんな感情が交差すると思います。それを少しずつ、残していこうと思います。

2000年を振り返って

2001年に突入!!

2000年を振り返って

 私は、2001年になったら、仕事をやめようって思っていた。よく、いろんな人から、「もったいない。なんで?」と言われていた。理由はいろいろある。今、思えば、傲慢だなぁと思うけど、その時は、もう十分やりきったという思いもあったし、当時の職場の上司が信じられなくて、ついていけないと感じる出来事があったし、勤めていた職場の方針にも、未来にも魅力が感じられなくなってきたからが主な理由である。(よく言うよなぁ。ほんとに)
 でも、たまたま、事件が勃発!!(そんなおおげさではないけど)妊娠する。もう、当の本人がビックリ。\(◎o◎)/!まあ、これで、周りも納得するであろう理由で、やめる決意が固まったのである。
 ただ、その当時、私たちは、入籍をはじめ、親同士の顔合わせも結婚の意志も親に言っていなかった。(まあ、なんて順番がばらばらなんでしょう)これはいかんという事で、とにかく、親同士を合わせることに。しかし、時間がなくて、結局、年明けになってしまう。あはは、なんともまあ無責任な2人であった。 

2001年に突入!!

 2月に大忙しで、親同士を合わせることにしたが、私の親は、車椅子のために移動するだけで大騒ぎ。親はあがりながらもしゃぶしゃぶを堪能していて、夫に関心が合ったのかどうか、不明であった。夫の親は、多分私の親に唖然としていたのではないだろうかと、心の中でつぶやいていた。

 3月は、どんどん増えていく体重が・・・。職場の人たちからの送別会も数多く行われるようになった。そのときに、妊婦が私もいれて4人集まったことがあった。そのときには、ある産婦人科で出産する決意をしていた。(決意がいるんだよね、これが)しかし、送別会のときに、ある妊婦が、その産婦人科の話をしてくれ、私は、一気に不安に駆られ、すぐに病院を変えた。(ここでは、内容は控えることにしよう)
でも、妊婦はなんでもかんでも不安になるものだなぁと実感した。

 4月からは、専業主婦!と同時に、夫の誕生日に入籍する。今年は、土曜日だったため、月曜日に区役所に行かなくちゃいけない。夫婦別姓を選ばなかったために氏名変更しなくてはいけないものがわんさかあった。(このときほど、女であること、いや、夫婦別姓を呪った。)年金の手続き、免許証の変更、保険の手続き、etc・・・。夫は、他人事のように構えている。「なんで、他人事なんや!!」と態度で示しながら、何とか、手続きを終了する。でも、結婚のときに、なにをどう、どこにいって変更するのかわかるマニュアルがいいのに。役所はこういうところにも目を配るべきじゃないと叫びながら、4月は終わる。

 5月。ここから、木家の運命は、想像を超えることになる。変えた産婦人科に受診したところ、大学病院に行くように言われてしまう。赤ちゃんに異変があると・・・
 翌日、すぐに大学病院に。いろんなものめずらしい検査を受ける。もうお昼を過ぎたころに、女医さんからある事実が告げられた。それは、赤ちゃんの異変の事実。そして、精査の為の入院。一人で、話を聞いていたため、意識はしっかりしていた。帰りに、歯ブラシとか身の回りのもを購入していた。夫の帰宅と同時に私は、矢継ぎ早に話した。そして、私はいつのまにか泣き崩れていた。「どうしよう。異常だったら」次の日から、入院生活が始まった。MRI、毎日のNSTをこなす。母体は元気だから、実感がない。しかし、ある日、NST途中で、急遽個室に移される。どうも、赤ちゃんの心音が落ちてしまい、帝王切開の可能性が現れたと。はじめて、私は、事の重大性に気づく。(産科に関しては、全く素人だもんなぁ)

 6月にはいり、赤ちゃんの胎動が減ってきた。そして、1日に1、2回しか感じなくなった。外泊したときに、夫の前で、「動いてよ〜〜〜。」と大泣きした。(きっと、夫は困っているんだろうな)と思いつつも感情のコントロールが聞かなくなっていた。

 その後主治医から、検査結果を伝えられ、木家は苦渋の決断をせまられることになった。このままでは、赤ちゃんは重度の障害を持って生まれる、いや生まれてこない可能性が大きい。帝王切開して生むか、器械をつけたままの生活を送るのか、帝王切開をしても生きて生まれるとは限らない。このままおなかに(母体の)いたほうが赤ちゃんは楽だ。と告げられる。最初、私たちは、いち早く生んで、この世に生まれた証を作りたかった。でも、これは親のエゴだと気づき、2人で話し合い、赤ちゃんの生命力にかけることにした。

 しかし、ある朝、いつもどおりに行うNSTで、心音が聞こえなかった。丁度、主治医がチェックしてくれた。すぐに超音波をとったところ、赤ちゃんの心臓が動いていなかった。主治医が「頑張ったけどね」「動いていませんね」そう答えるだけ。なんとか夫に連絡し、時間が過ぎていた。翌日から出産のための準備。全てがはじめて(当たり前だけど)の出来事。子宮口を柔らかくする処置をはじめ、赤ちゃんの頭の水を抜く処置など行う。これがまた、いたい!!局所麻酔するものの、深部までには効かない。もう痛くて痛くて、大泣きしていました。助産婦さんの手を握り締めるほど。先生たちは「あー痛いね〜。もうちょっと。もうちょっと。」(いつまで、我慢すればいいんじゃい!!)と心のなかで叫びながら、なんとか処置、出産を乗り越えた。病院の計らいで、出産後の赤ちゃんを抱いたり、写真を撮ったりすることができた。33週の出産だったんだけど、顔立ちはしっかりしている。まつげもある。産毛もある。つめも伸びていた。
(これには\(◎o◎)/!)2100gもあった。もし40週だったら・・・私も夫もでかいので、少し、怖いものがあった。残念なのは、声が聞けなかった事。(当たり前だけど)あとは、なんとか、気持ちを落ち着かせていた。

 ところで、出産後、おしっこしたくてもなかなかでないね。助産婦さんが言うには、神経が麻痺しているんだって。ベッドの上でどうにも出なくて、困りました。出産後、私は、回復の状況見て、3日目で退院しました。(結構、しんどかった)でもちょくちょく外来にいっては、処置とか受けていたけど、子宮関係の処置はどれをとっても痛い。母はつよしとか、女の強さはここにあると思うほど。

 家に帰っても、やっぱり思い出すのは、出産や、妊娠のことで、夜は眠れなかった。目がボンボンでした。顔もむくみし。体重なんて、胎内死したあとでも1日に1.2〜1.5kg増えるから、これを元に戻すのに一苦労。(だって、授乳でやせるって聞いていたから、それ、期待していたのに)今も、その努力は続いている。

 7月にはいって、私はだんだんひまを持て余す。洋服作りに興味を示し、手縫いで、エプロンスカートを作る。夫の弁当袋を作る。(リバーシブル!!!)途端に腱鞘炎になる。それを見た夫が、『ミシン買ってやる』(おおー、こうして妻は、品物を手にするのかと感じた。)ミシンセンターにいって、値段交渉の末、約6万円の値引きで、ミシンをゲットする。そして、作る、作る。布屋さんにいっては、大量に買いこみ、1着、2着。しかし、ド素人だから、手の長さやスカートの丈が・・・たんすの肥やしにはならぬよう、何とか着ている。

 8月に入り、暑さは増している。暑さ好きの私は、クーラーをつけずに過ごしていた。元の職場では、忙しいの連呼を耳にし、申し訳ないなーと心のほ〜んとに片隅で、思いつついた。(ほんとよ!!)職場にご挨拶にいったとき、まあ、バイトしてみようかなって感じで、2ヶ月間のバイトがスタートする。しかし、バイトだから、残業しても残業手当がでないから、他のスタッフに「5時には、帰るから!!」と圧力(?)を掛けてやっていた。夫曰く、「復帰しちゃったよ〜。困ったな〜って思われているよ。」といわれながら、なんとかやっていた。最初は、久しぶりで新鮮な気持ちでやっていたけど、だんだん、仕事の量が増えていって、バイト以上の働き(のつもり)になり、つらくなっていた。一度、ストレスから開放されると、もう元には戻れないことを痛感する。

 9月、10月と仕事を続けるが、やはり、夢の中にまで、仕事のことが出てくるようになってしまう。職場からの希望もあって、仕事の延長してきたが、やはり、更なる続行は無理と思い、2度目の退職!!!やっぱ、緊張のない生活はいい。

 11月少しずつ寒くなってくる。寒さの弱い私には、かなりいやな季節になってきた。産婦人科にも行くが、妊娠していなかった。なかなか、命って、できないもんだなぁと痛感した。今月は、実は、私の誕生日。毎年、仕事だっただけに、1日中フリーなのも嬉しい。といっても、だんなは、仕事。ひとりで、BS見て、ボーっとしていたら、お友達がきてくれた。メールで、バースディカードもきていた。こういう時の突然さは、かなり嬉しいものがある。だんなが仕事でよかったと密かに思ったのである。(すまん)。ある日、友人から、ある高校の講演をしないかと声を掛けられた。講演するほどのネタはないし・・・でも、高校生を見てみたいし・・・・講演を経験してみてもいいかしらという思いが交錯しながら、結局、引き受けた。原稿書こうかとも思ったけど、そんなじゃ、高校生には伝わらないと思って、直接本番へ!最初ドキドキだったけど、結構、私も乗ってきて、よーく喋ったよ。家では、一言も喋らないからね。(相手がいないから)まあ、なんとか終わって、ほっと一安心。

 テレビの中では、雅子様の出産でざわついている。今年は、なんか、多くの友人に子供が生まれている。喜ばしことであり、すばらしいことなんだけど、どこかで、素直に喜びきれていない自分がいて、それが嫌だ。昔、不妊の女性が他人様の子供に手を出してしまうっていう事件もあった。その時は、その女性の気持ちはわからなった。でも、自分がその立場に近い状況に置かれるとつらさがわかる。これは、本当に当事者にしかわからない、苦しみだと思う。そして、なんとか、喜ばしい気持ちになろうと努力しているのである。

 12月にはいって、かなり寒さが身にしみるようになってきた。寒さに弱い私は、身動きができないほどである。(雪の国には住めない!!!)少しずつ、大掃除を進め、2002年が、2001年よりもう少しでいいから幸せ気分の漂う年が迎えられるようにしたいナー。、