美和の恋…section1_0 澤田

お昼の0時過ぎ。今日は11月最初の日曜日。美和にとって、今日は自分の誕生日という特別な日だった。街は秋の少し冷たい風に吹かれながらも賑やかだ。
美和は今日もバイトのために駅前のファッションビルに向かっていた。美和は今日21歳になる大学3年生。大学で英語や英文学の勉強をしながら、遊びやバイトに余念がなかった。

美和のバイト先はファッションビル内の一角にある革製品ばかりの鞄屋だった。独自のブランドで贔屓にしてくれる客も大勢いたが、そうそう店内が客でいっぱいになることはない。店に入ると、一人で副店長の澤田が商品の整理をしていた。昼間という時間もあってか、客は案の定一人も居ない。
(今日もヒマかな〜…)
暇だと時間の過ぎるのも遅いので美和はあまり好きではなかった。
(でも澤田さんとならいいかな…)
「おはようございまーす!」
美和が副店長の澤田に挨拶をする。何時に来ても「おはようございます」という挨拶に最初は馴れなかったが、1年も経った今では自然と声が出る。
「あぁ松井か。今日何時からだっけ?」
「12時半です」
「んじゃ俺飯食ってくるわ」
そう言い残して澤田は7階にある休憩室に向かっていった。
「はーい。いってらっしゃい。」
今日もいつもと何ら変わらないバイト先の風景。
美和はレジに入って出勤登録をすると、商品タグの整理と帳簿つけを始めた。
シフト表を見る。もう一人のバイトの智子は休みを取っていた。もちろん日曜日だから店長の仲村は出勤しているはずだが、姿が見当たらない。他の店の客の入りや商品などのチェックに出ているんだろうか?今日は忙しいわけではなさそうだ。
(折角店長が居ないんだから…もうちょっと遅くからご飯行ってくれてもいいのに…ったく)
美和が店についてすぐ昼ご飯に行ってしまった澤田にほんの少し苛立ちを感じた。

美和と澤田が付き合い出したのは半年前。歳はひとまわりほど離れていたが、颯爽としていて男らしい澤田に惹かれていた。それでもこのバイトを始めてから最初の半年は、良き仕事仲間として店長の仲村と副店長の澤田、そしてバイトの美和と智子、4人で仲良くやってきた。仲村も澤田も、仕事における美和の力を認めてくれていたし、美和にとってやりがいのある楽しいバイト先だった。美和は澤田に惹かれながらも、今のまま澤田と楽しく一緒に仕事しているだけで充分満足だった。
それが半年ほど経ったある日、美和にとって心を揺さぶられる事件が起きる…商品などのストックを置いているバックルームで、美和は澤田に突然抱きしめられたのだ。
美和はとっさのことに驚きを隠せなかった。
(えっ?)
胸がドキドキして止まらない…
「澤田…さん…?」
やっとの思いで声を出す。
「松井…」
澤田の腕に力がこもる。
何故こんなことするの?
突然どうして?
美和はこんがらがった頭の中で答えの出ない質問を繰り返す。
いくら惹かれている澤田とはいえ、バイト先の社員で仕事仲間だ。
(こんなことごときでうろたえてしまっては…)
このまま抱きしめられていたいという気持ちを無理やり打ち消して、澤田の胸に手を置いて突き放しながら、美和は何とか明るく振舞った。
「もう澤田さんったら、何いきなり〜」
顔を上げて微笑む。
澤田は少しはにかみながら、美和の頭をくしゃっとひとつかみしてバックルームを後にした。
美和は無意識に澤田の触れた頭に手をやり、澤田の後姿を見送る。
(なんだったの…?)
美和には澤田の行動が理解できなかった。無意識に理解しないようにしていたのかもしれない…

澤田はそれからも度々バックルームで美和を抱きしめた。
美和も最初は驚いたものの、慣れてきたからなのか、澤田に対する恋心があるからなのか、美和を抱きしめる澤田を可愛く思えてそれに応じたが、仕事仲間という照れもあって、いつも俯きながら澤田の体温を感じていた。
ふいに澤田の声がする。
「何でいつも下を向いているの?」
それは美和にとって媚薬のような囁き。何故いつも俯いているのか…上を向けば澤田を求めてしまいそうな自分が居たからだ。
美和は戸惑いながら上を向き、澤田に何かを言おうとした。
ほんの一瞬、澤田の熱い吐息がかかり、美和の唇は澤田によって塞がれた。
(あ…)
驚いた美和は最初抵抗したように見えたが、すぐに澤田の唇や舌の動きに応じた。
澤田のまとっているコロンの匂い…軽いニコチンの匂いと混ざって美和を優しく包む。
もう何も考えられない…このまま…もっと抱きしめて欲しい…

美和は一人レジの前で何も無い空中を見つめていた。
「澤田さん…」
今日は美和の誕生日だが、特別用が入っているわけでもなかった。いつもと同じようにラストまでバイトをして家に帰るだけだった。澤田には美和の誕生日を教えていたが、澤田とは今日は一緒に過ごすことが出来ない。とりたてて記念日とかクリスマスとかのイベントは好きなほうじゃないが、やっぱり自分の誕生日は特別だという思いがある。
(もう、こんな不毛な恋愛なんて…終わりにしたほうがいいのかもしれない…)

澤田の唇を受け入れてから、美和と澤田はまるで恋人同士のようだった。
同じ大学生の恋人のように時間は自由にならないけど、美和はバイト先で澤田に逢えるだけで幸せだった。
澤田はバイト中も美和の唇をたびたび奪った。仕事が終わった後にバックルームでお互いを激しく求め合ったこともある。
たまには外で会ったりすることもあった。澤田と美和の立場上目立った行動はできないし時間の制約もあったが、澤田と同じ時間を過ごすことができることは美和が最も幸せを感じられることだった。
もちろん後ろめたい気持ちが無いわけでもない。澤田にはちゃんと帰ることろがあるのだから。どれだけ澤田のことを好きになろうと、美和と澤田が本当の恋人同士になれる可能性など、皆無に等しかった。
美和は澤田と肌を重ねているときも、幸せなのに、辛く、苦しかった。どんどん澤田にのめり込んでいく自分に歯止めをかけながら毎日を過ごしていた。

(もう、終わりにしなければ…)
澤田に対する恋心が無くなったわけではない。今でも澤田のことを心が全身が求めてやまない。だからこそ、自分の気持ちが後戻りできないほど膨らんでしまう前に、自分から終止符をつけなければいけなかった。
「どうしたの?ぼーっとして」
店長の仲村が戻ってきているのを美和は気づかなかったようだ。
「そういえば美和ちゃん今日は誕生日なんだよね?おめでとう!」
「あ、ありがとうございます。」
「休憩余分にあげるからね」
(何だ…そんなことか…)
美和ががっかりしていると、澤田がお昼の休憩から戻ってきた。いつもと何も変わらない日曜日…美和はレジから出て商品整理を始めた。


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