ラフィエット旅行記![]()
午前5時、太田市バスターミナルにて、太田商業高等学校伊藤先生と待ち合わせ、メープル号にて成田へ向かう。
成田にて、当初搭乗予定のノースウエスト航空機がオーバーブッキングのため、急遽JALに変更する。デトロイト行きからシカゴ行きに変更。搭乗時刻が差し迫って、あわただしい旅立ちになる。
12時間のフライトはさすがに退屈した。狭い機内で動けないために少々辟易した。2度ほど1時間ずつ仮眠した程度で、シカゴに到着する。
シカゴ空港は世界で一位二位を競う大きな空港だそうだ。確かに大きい。
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| 飛行機の窓より太平洋上空 | シカゴ上空より |
入国手続き開放しているゲートが少なく、思いの外時間がかかった。入国の目的を聞かれたが、「交換教師だ」と答えると、すんなりと審査完了。しかし、手荷物検査はかなり厳重であった。テロなどの一連の事件の関係であろうか、厳しく検査された。
シカゴからインディアナポリスへは、1時間強のフライトであった。機内での飲み物のサービスがあったが、飲み終える前にインディアナポリスに到着してしまった。
インディアナポリス空港では、SIAのKathy Barrett が出迎えてくれた。空港横の駐車場からホテルへ向かう。もちろん車はスバル車だ。
ホリデーインホテルでチェックインをすまして、ホテル内のレストランで昼食をとる。サンドウィッチを頼むと、サンドウィッチよりも付け合わせのフレンチフライの多さに驚く。とても全部は食べきれなかった。
夕方の打合せまで時間があるので、再び車でインディアナポリス空港へ連れて行ってもらいショッピングをする。スターバックスコーヒーで休みながら、Kathy と子どものことなどを話す。こちらから事前に送っていた資料をよく見ていたようで、私や伊藤先生の家族構成について熟知していた。Kathy の話は、半分ほど聞き取れるが、残りの半分は意味が分からなかった。これで大丈夫だろうかと少々不安になった。伊藤先生は十分コミュニケーションが取れているようなので、うらやましいやら頼もしいやらといったところであった。
ホテルに戻り夕飯の時間まで部屋で過ごす。しばしの休息。
ホテル最上階のレストランへ行く。SIAの宮崎さんが合流する。彼女が日本にいたときからの連絡を行ってくれていた。メールでのやりとりだけだったので、実際に合ってみると物静かな女性であった。レストラン予約のトラブルがあり、1時間ほどラウンジで待たされる。その間に、今回のスケジュールの細かい打合せを行った。当初の予定よりいくつかの変更点があったが、問題になるようなことは一つもなかった。
時間になりレストランで食事をする。後で知ったことだが、このレストランは町で五つ星の称号を持つレストランであった。
メニューを見るが、もちろん全て英語で書かれているので、何がなんだか分からない。宮崎さんにサポートしていただき、「ホタテ貝のムニエル」を注文する。料理が来てびっくり、やはり量がとてつもなく多い。ホタテ貝が10粒はある。しかも、一つ一つの粒が大きい。昼間のサンドウィッチを考えると、確かになぁと納得してしまった。おいしいホタテであったが、残念ながら半分しかお腹に納めることができなかった。
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| ホタテの料理 |
部屋に戻り、Kathy と宮崎さんに日本からのおみやげを手渡す。二人ともとても喜んでくれた。ホテルから日本の太田市役所へ到着した旨の連絡を入れようとしたが、なかなか電話をかけることができなかった。フロントへ行きかけ方を尋ねるが、よくわからなかった。それでも何とか持参してきたガイドブック片手に国際交流課の穴原さんに電話をすることができた。
長い長い第一日目を終える。ホテルのベッドに入ったが、時差の関係でなかなか熟睡できなかった。
曇り空、今にも雨が降りそうな天気であった。6時30分伊藤先生から電話がある。朝食を一緒にという誘いであった。支度ができていなかったので先に行ってもらう。
ホテルのレストランで朝食をとる。バイキング形式の食事であるが、ならんでいる食べ物の全てが大きい。リンゴやバナナがそのままの形で置かれていた。甘利食欲がなかったので、パンと卵と、ブドウを食べた。ブドウはとてもフルーティでおいしかった。
食べている間にウェイトレスがレシートを持ってきた。レシートの欄に チップ の欄がある。いくら払えばよいのか分からなかったので、伊藤先生にアドバイスしていただき、記入した。通常は、総計の1割程度をチップとするらしい。何ともめんどくさい習慣である。
9時ロビーでSIAの方を待つ。少々遅れて佐伯さんと青木さんが現れる。お二人とも群馬のスバルの工場から、技術員としてインディアナのスバルへ来ているということであった。佐伯さんは3年目、青木さんは2年目になるという。佐伯さんは家族もアメリカへ来ていて、小学校1年生と幼稚園のお子さんがいる。青木さんの家族は日本で待っているという。佐伯さんは新田町、青木さんは太田の龍舞町だということで、すぐにうち解けて話ができた。
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| インディアナポリスミュージアム | ミュージアム内のレストランにて |
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| インディアナポリス市街 | NCAAミュージアム |
車でインディアナポリスの中心街へ向かう。ハイウェーを走って町に向かう。アメリカのハイウェーはアスファルトではない。コンクリートでできているためか、タイヤの音が車内にも聞こえる。車検というシステムがないために車もよく故障して路肩に止めてあったり、バーストしたタイヤがあちこちに転がったりしているのが見られるらしい。
はじめにインディアナポリスミュージアムへ連れて行ってもらう。3階建ての大きな博物館であった。インディアナの太古から現代までの歴史が各コーナーに分かれて展示してあった。日本の博物館と違うのは、ただ見るだけではなく、体験したりできるようなものが展示されていたということである。印象的であったのは、インディアナポリスも原始時代があり石器や土器が出土するという。きっとインディアンの祖先なのであろう。アメリカというと、ヨーロッパからの移民によって歴史が作られたという印象が強いが、それ以前の歴史も存在し、(当たり前のことであろうが)きちんと展示されている。
昼食を館内のレストランでとる。予約がされていたようである。全てSIAの方で手配してくれてある。もちろん支払いも全てしてくれる。至れり尽くせりである。
またまたメニューを見てもなんだか分からない。ウェイトレスに説明を受ける。チキンのパイ包み焼きを頼む。こちらでは、テーブルにつくとすぐにウェイトレスが「飲み物は何にするか」と尋ねてくる。日本では水が必ず出るが、こちらにはその風習はない。飲み物は自分で注文するものであるらしい。
博物館から歩いてインディアナ州のガバメントGC近くを歩く。芝生がきれいで道をジョギングしている人がたくさんいた。佐伯さんと青木さんの話によると、こちらでは、健康に気を遣う人と、全く気を遣わない人の2種類に分かれるそうである。また、女性の肥満率No1はインディアナ州らしい。
歩いてNCAAミュージアムへ行く。中にはNCAAの歴史が展示されていた。ハーフサイズのバスケットコートがありボールもあり体を動かすことができる。平日なのか、お客はほとんど見られなかった。
車で町の中心にあるソルジャーモニュメントの塔を見学して、子ども博物館へ向かう。
子ども博物館は夏休みで親子連れでとても混雑していた。
アメリカの良いところは、障害者のための配慮が行き届いているところだ。駐車場などは、障害者用にかなりの場所を確保している。日本では障害者用の駐車場といえば、大きな駐車場の中で3から4台分ほどではないだろうか。こちらでは、一列分全てが障害者用のスペースになっている。また、マナーというかモラルというか、それらのスペースがどんなにあいていようとも絶対に一般の車を駐車するようなことはしない。もしするようなことがあれば、厳重に罰せられるようである。
子どもミュージアムは恐竜展が新しく始まったらしく、大盛況であった。子どもたちは恐竜が大好きらしい。
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| 館長さんたちと記念撮影 | 日本の紹介 |
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| 恐竜についてのワークショップ | 恐竜館 |
ここでも感じたことであるが、体験的展示物がとてもおおい。また、館内の説明員やインストラクターたちが、子どもたちを相手にいろいろな説明や体験をするワークショップコーナーが設けられていた。それらに参加している子どもたちの視線も熱いものがあり、日本の子どもたちだったら冷めた目をしているのではないだろうかと、思わず対比してしまった。
館内の説明をマネージャーの男性がしてくださった。館長さんにも面会できて、日本の博物館について質問を受けたり、自分が日本に行ったときの話などをしてくださったりした。また、教育プログラムの担当者にも会い、学校の授業の中で必要に応じてこの博物館を利用してもらうという話を聞いた。学校向けの冊子ができており、テキストとして利用されているということである。
インディアナポリスを後にして、ラフィエットへ向かう。ハイウェーはどこまでも真っすぐであった。左右には広大な農地がある。トウモロコシ畑と枝豆畑である。こちらでは枝豆を塩ゆでしてそのまま食べることはしないという話であった。
ラフィエット市内は広く、車が多い。交通規則が日本と大きく違う点があった。それは、日本において信号待ちで左折をしたいときに、明らかに目の前に車がこないというときには、信号が赤でも左折をしてもかまわないというルールがある。もう一つは、日本では補助信号は、青の後に右折などとサインが出る。ところがこちらでは、補助信号のサインが先に出てその後青に変わる。どうもアメリカの交通ルールの方が合理的に思える。
ショッピングモールに立ち寄る。ジョイフル本田のようなスペースである。しかもみなディスカウント、安い。
夕食は、和食の食べられる平成レストランへ招かれる。たった1日しかたっていないのに、やけに日本食が懐かしい感じがした。この店を含めて4店ほど日本料理店があるらしい。この店はそのうちのナンバー2ということである。
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| 日本料理「平成」 |
経営者と調理人がメキシコ人らしい。カウンターの中ではメキシコ人らしい男性がすしを握っていたのが何とも不思議というか、あきれてしまった。でも、味はおいしかった。
8時頃にホームステイ先のDenth 宅へ到着。デニスは6月に日本に交換教師として来日しており一度会っている。ご主人のジェームズはとても大きな方で、私たちの重いスーツケースを軽々と運んでくれた。
デニス宅は平屋であるがとても広いお宅であった。私と伊藤先生のために別々に寝室を用意することができるほど広い。部屋に荷物を置いてからリビングでソファーに座りアトランタオリンピックの開会式を一緒に見た。さすがに疲れていたので、11時頃休ませてもらった。
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| デニスさんのお宅中庭より眺める |
時差の関係で朝の4時頃目が覚めた。その後うとうとしたがなかなか眠れなかった。
6時半に起きて、キッチンへ行くとデニスは朝食の用意をしていた。昨日は暗かったのでよくわからなかったが、リビングから見えるお庭がとてもきれいだったので、VTRを持ち出して撮影した。さらに驚いたことに、庭にリスが現れた。デニスに聞くと、リスはどこにでもいるらしい。時には鹿が見られることもあるという。
朝食をいただく。フルーツ、ビスケット(マフィン)ベーコン、メロン、ポテトとチーズの入った卵焼き、ものすごい量であった。
8時頃にベンとエミリーが車で迎えに来てくれた。エミリーはデニスと同じ交換教師である。
車でシカゴへ向かう。今日はシカゴ観光である。ラフィエットからシカゴまで車で約2時間の道のりである。もちろんハイウェーを利用してである。ほとんどまっすぐのハイウェーをひた走る。シカゴに近づくとハイウェー右手に海のように見えるのがミシガン湖であった。シカゴカブスの野球場やシカゴベアーズのフットボール場などが見られた。
車を駐車場に、ミレニアムパークへ行く。エミリーとベンの会話は早くて半分も聞き取れない。伊藤先生は途中会話に加わるのだからすごい。
お昼は公園の中の店でサラダを食べる。公園内にはたくさんの鳩がいて、えさをほしそうに近づいてくる。この公園には大きな噴水があって、この日も結婚式をしていた若者がいた。よく結婚式が行われるということである。
ミシガン湖畔を歩く。ヨットハーバーになっていてたくさんのヨットが停泊していた。裕福な身分の人がこれらのヨットを所有しているのだろうなぁと思うと、アメリカの貧富の差を感じてしまった。
ミシガン湖から町の中心部へ向かって歩く。たくさんの観光客がいる中で、あることに気づいた。それは、この国では、どんなに人がたくさんいても決して他人に触れ合って歩行することがないということである。少しでも体が触れるようであれば、すかさず「Excuse me」の一言がある。人と人の間をすり抜けるようにして歩行している。
ボートライドを楽しんだ。川からミシガン湖へボートで出て行った。半そででは寒いくらいの気候であった。途中、船の上をヘリコプターが旋回したり、警察のボートが近づいたりしたので、何かと尋ねたら、新作のバットマンの映画撮影をしているということであった。
シカゴの町にはストリートパフォーマーがあちこちに見られ、人だかりがあちこちにできていた。また、馬車が町の中で観光客を乗せて走っている。
夕飯はメキシコ料理の見せに連れて行ってもらった。メニューは全くわからなかったので、エミリーに説明をしてもらって、あまり辛くないものを注文した。食事の間、伊藤先生は二人に日本の「お盆」について説明をしていた。日本の文化や歴史を伝えることはとても重要なことだと感じるとともに、自分自身がそれらについて詳しく知らないということもよくわかった。日本の神道や仏教について学ばなければいけないと痛感した。
シカゴの町を9時過ぎに出て、デニス宅に12時頃帰宅する。
朝8時頃目覚める。昨日の疲れが出たのか、夜は起きることなくぐっすりと寝ることができた。シャワーを浴びて、デニスの用意してくれた朝食をいただく。朝食のメニューはチョコチップケーキとスイカ、メロン、そしてコーヒー。朝食はこのような形式がデニス宅では通常であるらしい。
子どもさんがいないご夫婦なので、家事も分担されている。食事が終わると、夫のジェームズが食器を洗い、食器洗い器にセットする。ゴミの片づけもジェームズの担当らしい。とてもよく気がつき、働く姿が見られた。
今日は、インディアナポリスの祭りに出かける。出かける前に、デニスから帽子をプレゼントされる。パデュー大学の帽子であった。デニスは熱狂的なパデュー大学ファンである。家にパデュー大学のモニュメントが飾られている一室があるくらいだ。
パデュー大学とは、ラフィエットにある公立の大学である。歴史も古く、多くのエンジニアや宇宙飛行士を輩出してきた。この大学は後日連れて行っていただいたのでそこで詳しく述べる。
車でインディアナポリス祭に出かける。この祭りは一日だけでなく数日間にわたって行われているらしい。何より驚いたことは、この祭りの会場の広さであった。そして、その会場は、この祭りのためだけに用意されているという話を聞いてまた驚いた。
ステイトフェアーといわれるこの祭りは、各地区から選ばれた優秀な家畜(豚、馬、羊)のコンテストである。それぞれの家畜のコーナーがあって、コンテストが行われていた。コンテストに入賞するためか、念入りに家畜の毛並みをそろえる様子があちこちで見られた。
コンテスト会場から外に出ると、数え切れないほどの露店が並ぶ。会場内を回れるようにトラクターが牽引する長いバスが巡回している。私たちもそのバスに乗り会場を一周した。一周する道路の両側には、所狭しと露店が並んでいた。食べ物を売る店、民芸品を売る店、中には農機具や家庭用のプールなどを扱っている店も見られた。何でもありの売り場という感じであった。
一周したところでトラクターのバスを降り、古い農機具の展示してあるコーナーから見て回った。ちょうど豚の内臓を炒めて油を全てだし、その油はラードに、身はカリカリにして塩をかけて食べるという、古い調理法を紹介しているコーナーに立ち寄った。試食させてもらったがなかなか美味であった。
歩いてあちこちめぐったが、とにかくその数の多いこと、人の多いことに驚くばかりであった。中には、古くから伝わる織物を実演している店、歌が得意な人たちが披露しているコーナーなど、とにかく何でもありというお祭りであった。念入りに見たらとても一日では見切れないほどのスケールの大きさであった。
お昼はジェームズがハンバーガーをご馳走してくれた。大きなビーフが2枚も入っていた。塩味だけのシンプルなものであったが、とても美味しかった。
ステイトフェアーの会場を後にして、デニス宅に戻る。帰宅途中、スポーツ専門の店に寄る。こちらの店は、ほとんど外から見たのでは店だか倉庫だかわからないような外装である。なぜなら、日本のように見せの周りをガラス戸がほとんどないのである。入り口にガラス戸があるだけで、後は全て強固なレンガや壁になっている。そして、広大な駐車場があり、いったいこの大きな駐車場が車でいっぱいになることがあるのだろうか?と、思うほどである。
お店に入って気づくことだが、必ず店員が話しかけてくる。伊藤先生に「必ず挨拶をするのが礼儀です。」と教えていただいた。黙って入っていくと、本当に怪訝な顔をされる。というより、怪しまれる雰囲気であった。コミュニケーションを大切にするお国柄という印象を受けた。笑顔でHi!である。
デニス宅に戻ると、中庭でジェームズがバーベキューコンロを用意し始めた。今夜の食事の用意をするという。用意している間に、庭の散策をした。本当に広い。鹿が出てくるのもわかる気がする。
夕飯を食べた後、自慢のクラッシクなオープンカーに乗せてもらいパデュー大学を見学に出かける。時間は7時半を過ぎているのだが、こちらの日の入りは遅く8時過ぎにならないと暗くなってこない。
オープンカーに乗っていると、道行く人や対向車の人たちが手を振ってくる。とても二本では見られない光景である。私も恐る恐る手を振ると、なんとなくそれが当たり前のようになってくるから不思議である。
パデュー大学は町の南部にある。大学というから日本のように塀で囲まれている大学を想像していた。見事に想像は打ち砕かれる。大学といっても町の一部であった。町の中に大学が溶け込んでいた。もちろん塀はない。
デニスお気に入りのアメフト競技場前に車を止める。屋内練習場があるというので見学する。入り口が空いており自由に見学できるということなので中に入る。屋内でありながら、アメフトのグランドそのものがあった。雨天時はここで練習をするらしい。
外に出ると練習を終えた大学生がいて、手を振ると気さくに応えてくれた。新学期が始まる前だということで、家族に送られて大学に戻ってくる学生の姿もいくつか見られた。サークルの準備で十数名が輪になって何かの練習をしている集団もいくつも見られた。
車で大学内を走る。専用の空港もあるという話であった。ゴルフコースも2コースあるというので見せていただいた。一般の人もプレーできるということであった。
今日一日いろいろなところを見せていただいた。何しろ全てが巨大であることと、フレンドリーな人柄であることを感じた一日であった。
明日はいよいよラフィエットの市長やSIAの訪問である。
SIAのキャシーが迎えに来てくれた。SIAへ向かう。
SIAにて、今日の通訳荒船さんと落ち合う。荒船さんは学生の時から留学するなどの経歴を持ち、とても流暢な英語で通訳をしてくれる。
ラフィエット市長に会う。市庁舎はとても小さく、駐車場も5台停められれば十分と言うほどの狭さであった。太田市長からの土産物を渡したり、自分たちの用意した土産物を渡したりするととても喜んでくださった。少々緊張したが、とても気さくな方で、自分の子どものことや私たちの子どものことなどを話し、和やかなうちに終えることができた。パデュー大学のラジオ局がインタビューに来ていて、キャシーや伊藤さんにいろいろな質問をしていた。このインタビューはローカル局で放送されたらしい。残念ながら自分たちは聞くことができなかった。
ラフィエットの警察へ出向き、シェリフに会う。所長が外出中であったが、大柄な男性が対応してくれた。彼は、以前特殊な訓練も受けていたということで、当時の様子を話したり、写真を見せてくれたりした。所内を案内してくれたが、その規模はとても小さく、日本の警察署とは比べものにならない。
アメリカらしいところは、ヘリコプターの使用、特殊なパトロールカー(パソコンや最新のレーダーの設置)が用意されており、広大な土地でも緊急時には犯罪防止に役立つことを見せていただいた。 我々が帰る頃、所長が戻り、挨拶をして辞した。
昼食を以前訪れた平成レストランでとった。食べきれないので、どうしようかと思っていたら、荒船さんが、「持ち帰ったら」と言ってくださり、お店の人にお願いしていた。こちらでは、たいがいのものは持ち帰りができるそうである。「ドギーバッグ」と言えば、持ち帰り用の入れ物を用意してくれる。「ドギー」とは、犬という意味だそうだ。
西ラフィエットの市長は女性であった。今年から市長になったばかりと言うことである。太田市にも是非行ってみたいとお話ししていたが、今年は一年目なので忙しく、なかなか予定が立たないとおっしゃっていた。彼女もとても気さくで、自分の家族のことなどをよく話していた。学校の話では、通学の安全について心配されていた。交通量の増加で、事故があると言うことだ。
ラフィエットカントリーコミッションに会う。3人の方がいるのであるが、今日は二人だけしかいらっしゃらなかった。男性2名、女性1名で構成されていた。日本の学校の教育についていくつか質問を受けた。日本の子どもたちはとてもよく勉強をするのではないかと認識されていた。
この三人で市のいろいろなことを決めると言うことであった。会議場を見学させてもらったが、先の警察同様、一つのフロアーに椅子が整然と並べられているだけのものであった。
すぐ隣にある裁判所を見学した。この裁判所はこの町が作られた頃から建っているとても古いものらしい。外にはラフィエット市が作られるきっかけになった戦いで使われたものだろうか、大砲が飾られていた。
裁判所に行くと、手錠をはめられた人が警察官に付き添われていたのでびっくりした。また、次から次へと裁判を受ける人だろうが、たくさんの人が出入りしているのにも驚かされた。
裁判所の裁判官を荒船さんが知人だと言うことで紹介してくれた。彼は学生時代日本に留学していて、そのときの知り合いだという。裁判所の中を案内してくれ、自分は民事上の裁判をおもに分担するなどを教えてくれた。
デニス宅に帰宅、今夜近隣の知人が集まるということなので、伊藤先生と相談して、日本の料理を作って食べてもらうことにした。食材が足りないのでデニスにお願いして日本食の売っているお店に連れて行ってもらう。韓国人が経営している店で、日本食材や韓国の食材がたくさん売られていた。魚は冷凍食品しかない。生の魚はシカゴなどの大都市に行かないと手に入らないらしい。お米とお好み焼きの材料を購入して帰宅した。
台所をかりて、私は巻き寿司の用意、伊藤先生はお好み焼きの用意を始める。用意をしているうちに近所の3家族がやって来た。みんな自分の家から料理を持ち寄ってのパーティーだ。そのうちの一家族になんと神奈川から来た女子大生がいた。話を聞くと群馬県の出身で、SIAから帰国した方の紹介により一人でホームステイをしているということであった。なんとも頼もしいものである。
巻き寿司やお好み焼きを作り始めると、皆さん興味を持ったらしく、近づいてきては覗き込んで、いろいろな質問をしてきた。こちらから「やってみますか」と勧めると、慣れない手つきですだれを操って巻き寿司を巻いてくれた。
出来上がった料理を食べながら、楽しいひと時を過ごした。ちょっとしたことだけれど、日本の文化を伝えられた気がした。
明日からはいよいよ学校訪問である。まずはデニスのオッターベン小学校である。夜遅くまで、デニスと打ち合わせをしてから就寝した。
こちらの仕事の始まりは早い。学校も7時30分頃から始まる。
オッターベン小学校は、ラフィエットの外れにある。周りを農地に囲まれたのんびりとした学校である。全校児童は300人ほどだ。校舎は平屋建てでほとんど窓がない。
最初に体育館に入る。体育館内も空調設備が整っている。今日のプレゼンの用意をする。体育館のフロアーにはすでにPCが用意されていた。お世辞にも新しいPCとはいえない。数世代前の機種であった。果たして自分たちの持ち寄ったプレゼンが起動するか?少々心配であった。危惧したことが現実になる。なぜかディスプレイの半分しか映像が写されない。伊藤先生と何度か直そうと試みたが間に合わない。そのままの状態でプレゼンに望む。
全校児童が登校してきた。数人の児童が体育館に用意されたテーブルで食事をとっている。聞くところによると、家庭の事情で朝食をとらない児童に簡単な朝食を出しているということである。
全校児童が集まってきた。皆いったい何が始まるのだという感じである。今日は始業二日目、二日目にしてはどの児童も静かに担任の指示を聞いていた。
いよいよプレゼンを始める。私は、自校の一日の生活風景をVTRにしたものを見せた。伊藤先生は、商業高校のクラブ活動の様子を見せた。見た後に質問を受けた。「給食をいつ食べのか」「高校のクラブを3時間するのを聞いて信じられない」など積極的に手を挙げて質問する児童たち、自己主張をする姿が見られた。
プレゼンには地元のテレビ局が取材に来ていて、その様子を撮っていた。プレゼン後に児童にインタビューをしていた。この様子は、その日の夕方のローカルニュースで放送されていた。
プレゼン終了後、SIAから通訳できている女性から、「日本独特の習慣について話してあげると喜びますよ」というアドバイスをいただいた。
その後、2時間目はデニスの体育の授業を参観した。体育は専科の授業である。オリンピックの期間なので、いろいろな種目を取り入れて、各競技結果に順位をつけて、総合優勝を選ぶという授業を行っていた。
2時間目は4年生の音楽の授業参観をした。音楽は専科の先生が担当している。先生のリズムを聞いて、4つの楽器に分かれてのリズム打ちが行われていた。子供たちはいすに座ったり床に腰掛けたり、教室全部を使って授業が行われていた。中には気分が乗らないのか、消極的な児童も見られた。
この学校では体育、音楽、理科、図工は専科が受け持つそうである。
3校時は1年生の授業でいよいよ自分の持ち込み授業である。日本から持参してきた作務衣を着て草履を履いて教室に向かう。子供たちの視線が集まる。初めに服装の説明をした。うまく表現できないところはSIAの通訳さんにお願いした。服装の説明が終わったところで、折り紙の授業をした。日本から持ってきた折り紙を一人一枚ずつ配る。どの子も喜んで見ている。「かぶと」を作る。昨夜何度かデニス宅で練習したのにもかかわらず、急に作り方を忘れてしまう。落ち着いて持参した本を見直して、何とか作り上げる。かわいらしい小さなかぶとができあがる。どの子もとても喜んでくれた。担任の先生には、昨日作って残った巻き寿司をプレゼントした。また、用意していた鶴をプレゼントした。
4校時は6年生の授業を行った。2クラス合同で行った。教室が可動式の壁で分けられていた。合同で授業を受けることになり、可動式の壁を空けて授業を行った。6年生なので折り紙には余り興味がないかと思われたが、分からないところは進んで help me と助けを求めていた。出来上がったかぶとを喜んでくれていた。
質問の時間をとって、こちらからいくつかの質問をした。私の学校の児童から事前に尋ねてほしいという質問として、「小遣いはいくらか」「ポケモンは知っているか」「宿題はあるのか」という質問をした。小遣いは一週間に1000円、ポケモンは有名、宿題はたくさんあるなどの答が返ってきた。逆に、日本ではどうなのかと言う質問も受けた。どの子も積極的に発言していたのが印象的であった。
給食をいただいた。体育館がランチルームに変わりそこで食べる。机の設置は専門の係りの大人がいる。先生方は「先生たちの部屋」(職員室ではない)で思い思いに食べていた。児童の監視は、専門の先生がいる。ランチのメニューは、ハンバーガー、牛乳、フルーツ、フレンチフライというものであった。セルフサービスで各自よそってもらって机に行って食べるようである。3交代で食べていた。先生方と食べながら学校の様子について聞いてみた。一単位の授業は40分であるそうだ。ただ、時間については担任裁量で伸ばすこともできるようである。専科の先生の授業にはなるべく邪魔にならないように連絡を取り合っているようである。このランチの時間も重要なコミュニケーションの場である。カリキュラムについては教師自身でそれを決めるようである。
5校時に4年生の授業を行った。教室に行くと二人の先生方からプレゼントをいただく。折り紙の授業を行った。今までと同様に行った。子どもたちからたくさんの質問を受けた。「給食はあるのか」「学校へはどうやっていくのか」「学校までどれくらいかかるのか」「漢字の練習はどうやって教えるのか」などの質問があった。
全て終了後、4年生の男子児童が控え室に案内してくれた。控え室までにつくまでに男子児童から、「この学校の様子をどう思うか」という質問を受けた。自分から進んで質問してくる姿勢にとてもびっくりするとともに、日本の児童に果たして同様のことができるだろうかと、自分の学校の児童の実態を思い浮かべた。こちらからも「将来何になりたいのか」という質問をしたら、「よくわからないが、エンジニアになりたい」という答えがすぐに返ってきた。自分の考えをしっかりと持っており、それを表現できる姿に感心した。
校長先生に挨拶し、おみやげを渡してオッターベン小学校を後にした。
3時頃から1時間程度でインディアナのスバル工場(SIA)の見学をした。工場内の案内は、以前お世話になった佐伯さんと青木さんがしてくださった。工場内は現地の方々が勤めており、日本の生産ラインとほとんど同じことを行っているそうである。日本人スタッフは、新しい車を生産するときに、技術の伝達に行くそうである。もちろん数年こちらで勤務する方もたくさんいる。話を聞いていて印象的だったのは、工場建設直後の頃、終業前の清掃をさせるのが大変だったということである。こちらでは、掃除は掃除を専門にする人材を採用しているのが一般できだからである。学校に話を戻すと、小学校でも清掃活動はない。清掃専門の担当者がいるからである。
デニス宅へ戻り、荷物を持参して(今日からホームステイ先が変わるため)SIAの歓迎パーティーへ参加する。デニス、ジェームズも一緒である。
SIAの工場に隣接して、立派なレセプション用の建物があり、そこでパーティーが行われた。参加者は、昨年度のTEECAP やSIA社長以下関係者のみなさん、教育長もいらした。初めに簡単な挨拶をして欲しいと言われたので、本当につたない英語で挨拶を行ったが、席に戻ったら三日目に通訳をしてくれた荒船さんから、「十分だったよ」と言われ、安心した。
隣の席がラフィエットの教育長、目の前がSIAの社長と席が同じで、ラフィエットの教育長から、こちらの学校での課題を聞くことができた。その一つにこちらではスペイン系の移民が多く住んでいて、学校によっては英語がわからない児童が数十%在籍しているということである。今年度からスペイン語での授業を午後のみ行うという話である。太田におけるブラジル児童対応に似ている。明日参観に行く学校には、たくさんのスペイン系の児童がいるということであった。
SIAの歓迎パーティーを終えて、今日からお世話になるエミリー、ベンの夫婦宅へ向かう。荷物が積めないということで、デニスとジェームズが送ってくれた。
エミリーの家には子どもがいないので、猫を飼っていた。私は動物アレルギーなので少々心配であったが、何とかアレルギーが出ることはなかった。
明日のスケジュールについて確認した。エミリーの話では、プレゼンと授業を5コマして欲しいということであったが、5コマは大変なので4コマにしてもらった。今日のオッターベン小学校の反省から、低学年では折り紙でかぶとを作るのではなく、新聞で作りできあがりをそれぞれの児童にあげた方が楽しいということで、急遽新聞を用意してもらった。家にある新聞では足りないので、ベンが新聞販売ボックスへ出かけてくれて、購入してきてくれた。ありがたい限りである。新聞を折り正方形にして切る作業も二人して手伝ってくれた。明日の準備も全て整い就寝。
朝7時にエミリー宅を出発、町はもう動き出している。登校途中のスクールバスに何台か出会う。こちらの児童は全てスクールバスで登校する。
グレンエーカー小学校へ到着。昨年度までエミリーが勤めていた小学校である。オッターベンと同じ平屋の建物であった。近くの児童は徒歩で登校していた。親が自動車で送迎する児童もいるようだ。
校長室へ挨拶をして校内を参観する。校内を参観していると校内放送で校長先生の朝の挨拶が流れた。この放送は毎朝あるそうだ。放送中、児童は起立して、胸に手を当てて国旗を見て聞くらしい。合衆国への忠誠を表すそうだ。
1時間目に1年生の国語と算数の授業、2年生と4年生の教室を参観する。2時間目にコンピュータ室で4年生対象にプレゼンを行う。VTRによるプレゼンを行った。数名の児童が質問をしてきた。隣接の図書館で折り紙を折る授業を行った。
図書館の司書の方は、以前に北海道に来ていた先生でとても日本に詳しい方であった。本日のスケジュールは彼女が立ててくれた。
3時間目は4年生の算数の授業を参観した。大きな数の授業をしていた。OHEを活用して教材を提示していた。子どもたちはノートが無く、自前のホワイトボードにサインペンで書き込んで、教師に見せていた。日本の授業との大きな違いは、先生が子どもの所へ行って個別指導する場面が一度もなかった。教壇(壇はない)で指示を出す、話をしているだけという様子であった。また、教科書を選ぶのも教師の判断らしい。教科書リストは州で選ばれたものがある。6年に一度改訂されるそうだ。個々の教材については、担任裁量である。さらに、教師の任期は決められていない。定年退職もあり得ない。これは学校だけでなく、SIAでも同じことを聞いた。年齢による差別はおかしいという理由からだ。
4時間目は3年生を対象にプレゼンと折り紙の授業を行った。昨夜用意した新聞紙で作る折り紙のかぶとは低学年児童にはとても喜ばれた。地元の新聞社が取材に来ていて、たくさんの写真や児童や我々にインタビューをしてきた。このニュースは我々が帰る日の朝刊に出ていた。
昼食を先生方と食べた。レストルームでとる。レストルームには印刷機があり、授業の準備なども行われる。先生方のコミュニケーションの場所である。
午後は、1年生の体育の授業を参観した。入学して間もない児童たちであったが、先生の話を聞いてよく動いていた。
最後に2年生にプレゼンと折り紙の授業を行った。みんなとても喜んでくれていた。
下校の様子を見たり、スクールバス内を見せてもらったりした。スクールバスは4台ほどあった。
図書室に戻ると、3月までこの学校で学んでいた日本の女子2年生児童が夏休みで母親と遊びに来ていた。現在は栃木県の足利市に住んでいるという。父親がSIAに勤務していたるので2年間ほどこちらで暮らした。母親は小学校の教諭であった。2年女児に「インディアナの学校と日本の学校のどちらがよいか?」という質問をしたら、「インディアナの学校がいい」と返事が返ってきた。
グレンエーカー小学校を後にして、市内のテーチャーズストアーに寄った。学校の教材として使えるような本や掲示物を扱っているお店であった。色彩豊かな掲示物がたくさん売られていた。
夕方からは、SIAのTEECAPの同窓会のようなパーティーに出かけた。今まで日本に行かれた方々が集まり、親交を深めた。中には日本語がとても堪能な方もいらしてびっくりする。後でわかったのだが、日本語の上手なお二人は、高等学校の先生であった。日本にも何度か来ているということだ。2時間ほどのパーティーであった。
エミリー宅へ帰宅途中、日用雑貨などのリサイクルショップに寄った。日本同様でいろいろなものが売られていた。
中学校に参観。生徒数は1100人いるということであった。図書館に案内されて準備をする。図書館の司書をしている女性は、昨夜のTEECAPパーティーにも見えていた女性であった。また、数学の男性教諭も昨夜のパーティーに来ていたメンバーであった。
中学2年生のクラスで伊藤先生がプレゼンをする。席について話を聞く生徒、立ったまま壁にもたれかかったり、窓辺に座り込んだりして話を聞く生徒などいろいろであったが、そういうことに関しては、先生はあまり注意をすることはない。プレゼンの後にいくつかの質問があった。
学校を案内してもらった。特徴的であったのは、授業に対応できない問題行動を起こす生徒については、教室から隔離され、特別教室に連れて行かれるそうである。その教室には担当の教諭が在中していて、生徒が持参してきた課題を指導するらしい。その日の様子や事情は家庭に連絡される。一日あるいは数日そこで学習した後、自分の教室に戻される。ただし、それでも更生しない生徒については、他の学校(問題行動を起こす生徒専用)へ転校してもらうそうである。
ランチルームを見学しているときに、数名の生徒が立たされており、校長先生がお説教をしていた。遅刻してきた生徒らしい。とても厳しく指導されていた。
中学校の校舎は、よくアメリカ映画に出てくるようなロッカーが廊下に設置してあり、生徒は休み時間は教室の移動で廊下には人があふれ出す。授業が終わると挨拶もなく、それぞれの生徒が次の授業の教室を目指して移動する。服装や持ち物も様々であった。もちろんお化粧している女子生徒は当たり前であった。
お昼は生徒と同じ給食を先生たちの部屋でいっしょに食べた。メニューはチキンナゲット、牛乳、ビスケット、コーンとシンプルであった。先生たちは各自自分のお弁当を持参していた。校内の警備や生徒指導をする警備員の方が休まれていた。
午後は、道を挟んで隣に立っている。高等学校を訪問した。
校舎のつくりは中学校とあまり変わらないが、規模が違う。とても大きい。学校へ入るにはIDカードがないと入れない。案内の女性教諭(彼女もTEECAPのメンバーで昨夜お会いした)にカードを提示してもらい玄関を開けていただいた。受付で外来者のカードをもらい首から下げる。
日本語の授業を参観する。昨夜あった女性の教諭であった。2年生の授業であった。私たちの挨拶(日本語)を生徒たちに分かったかどうかという質問をしていた。一人3年生がいて、彼女は日本語をほかの生徒よりも理解していた。その後、伊藤先生がプレゼンを行う。
学校内を案内していただいている途中で、学校の警備員に付き添われた男子生徒に出くわした。どうやら問題を起こしたらしい。生徒たちは自由な雰囲気であるが、学校内のいたるところで課題や宿題をしている姿も見られた。
立派な施設が完備されているのには驚かされた。体育館は二つ、温水プール、野外には陸上競技場に、できたばかりのアメリカンフットボール競技場など、とてつもなくスケールが大きい。やはり敷地があるからだろうか?ただ、卒業生で成功した方や地元の著名人が、寄付をしてくれるという話もしていた。また、校内に独自のテレビ局があり、番組作りをするのも選択授業のひとつだそうだ。単位として認められるということである。校内放送だけでなく、ローカル放送として地域のケーブルテレビで放映される。また、学校内に自校のキャラクター商品(衣服など、日本では大学の生協などで売られているものに近い)を売る店があり、働いているのはなんとこの学校の生徒である。これも授業のひとつだそうだ。
学校内にはいたるところに自動販売機がある。スナック菓子や飲み物などである。生徒は自由に購入できるが、もちろん授業中には飲み食いすることはできない。飲み物はペプシとコカコーラのどちらかが契約をしており、その売り上げのマージンが学校に入るそうである。
3時過ぎにエミリーが迎えに来てくれた。帰り道に本屋と1$ショップへ寄る。1$シップは日本の百円ショップと同じようなものであったが、いろいろなものが売っておりとても楽しかった。思わず我が家へのお土産を買ってしまう。
朝起きるとあいにくの雨、最後の日に天気が悪くなってしまった。
エミリー、ベンにお礼を言って分かれる。エミリーの車に乗せてもらいキャシー戸の待ち合わせ場所へ行く。今日は学校訪問最終日である。訪問先は、キャシーのご主人が勤めているハリソン高等学校である。7時20分頃到着。スクールバスがたくさんならんでいた。昨日のジェファーソン高等学校に比べてセキュリティは厳しくなかった。
数学の教師が対応してくれる。彼のクラスの生徒一人を案内役にして校内をまわる。事務室や校長先生、副校長先生などの部屋を順にまわった。それぞれ部屋が分かれていた。一つの部屋に生徒がたくさん集まっていたので何があるのか尋ねると。遅刻してきた生徒たちがペナルティを受けていると言うことであった。
教師の休憩室へ行く。電子レンジやコーヒーメーカーなどが設置されていた。その後、ランチルームへ行くと、始業前であったが生徒が部屋の半分ほどの席を埋め尽くしていた。生徒は自習をしていた。席は200席ほどあるので、100名ほどは自習していることになる。日本ではなかなか見られない光景であった。
相談室を見学する。いくつかのブースがあり、相談担当の教諭が在中していた。いくつかのブースに相談者が来ていたが、大人であったので保護者か教諭らしい。
授業参観を行った。日本語の授業を見学した。とても日本語の上手な教諭であった。部屋中日本の物やたくさんのVTRが置かれていた。日本からのおみやげを渡すととても喜んでくれた。一人日本人の女子生徒が授業を選択していた。授業は日本の文化や風習を伝えるVTRを見せて進めていた。少し古い映像であったが、日本人の私が見ると少し誇張されてえがかれている教材であった。
この日本語の先生は、今年がこの学校で教える最後になるという話であった。来年はきっと管理職になるのではないかと言うことである。こちらは、管理職になるためには、大学に行って必要な資格を得ることが条件だそうだ。試験で管理職になる日本の制度とは違っていた。日常の仕事が終わった後に大学へ行き授業を受ける先生がたくさんいるのもうなずける。
生徒の授業は2時30分に終える。先生方の勤務も生徒が下校後30分ほどで終わる。その後学校に残って教材研究をする先生はほとんどおらず、皆帰宅するそうである。
ニマー先生の英語の授業を参観する。ニマー先生は女性の英語教師だが、他の先生方と少しだけ違うのは、目が見えないと言うことである。文法の授業であった。単語をテキストから選ばせる授業であった。6名ほどのグループを作りグループ対抗の形式で授業は進んだ。ニマー先生は、ホワイトボードにじょうずにヒントとなる絵を描く。その絵を見て生徒たちはテキストを参考に単語を選んで発表していた。目が全く見えないのにとても上手に絵を描くニマー先生に驚かされた。また、そんなことを全く気にせず授業を受けている生徒たちの姿勢にも驚かされた。サポートをする先生がついているが、その先生はプリントを配るなどの補助をするだけであった。
給食は生徒がお金を払って食べる形式であった。生徒には2種類のランチがあった。教師用のランチもある。量はとても多かった。ティーチャズルームで他の先生方と話しながら食べた。
午後は、1997年からアメリカで導入された国家試験(どの州でも教員として働ける資格)について、ニマー先生と話をする。昨年ニマー先生はこの資格を得たそうである。もちろん大学に通ったり、たくさんのレポートを提出したりしたそうだ。教師の中には普段からいろいろな資格を取るため、上位の資格を得るために、大学へ行き勉強をしている人も少なくないと話していた。反対に、それらを得るために努力しているひとをねたむひともいるそうだ。日本との教育の話なども交えて1時間ほど話して学校を後にした。
ラフィエットでインディアナの民芸店でおみやげを購入した後、ラフィエット校外のホテルに着き、明日の帰国に備えた。
早朝6時40分にホテルへSIAの樋口さんとキャシーが来てくれて見送りをしてくれた。短い期間であったが本当にお世話になった。
インディアナポリスまでおよそ2時間の車での移動、両側にトウモロコシと枝豆の畑を見ながら早朝のハイウェイを走る。10日前にこの地に来たことが思い出される。あっという間の10日間だった。凝縮された10日間であった。
懐かしく感じられるインディアナポリス空港に到着する。運転手にお礼を言って空港に入る。朝の空港はひとがまばらであった。搭乗の手続きをして、遅い朝食を空港内のファーストフード店で購入し食べる。やはり大味。アメリカでの最後の食事。
インディアナポリスからシカゴへは順調にフライトする。シカゴ空港で着陸後ゲート待ちのため数十分待たされて不安になるが、無事に日本に帰る飛行機に乗れた。さすがに日本に向かう飛行機には日本人ばかりである。日本語があちこちで聞かれる。今までの数日間日本語は伊藤先生と交わすしかなかったことを思うと不思議な感覚になる。十数時間のフライトの後成田に到着。
成田からはすぐにメープル号に乗り込み太田へ戻る。バス内では熟睡してしまった。太田のバス停で二人とも家族に出迎えてもらいほっとする。