久遠のいない日々


手術から2〜3日は安静にするようにと病院から言われていた。 
が、旦那は新学期が始まったばかりで
新人の教育係だったので休むわけにもいかず
普段とあまり変わらず体を動かしているしかなかった。
とはいえ横になれるときには横になって
永遠を抱いて歩いたりするのは控えていた。

第二子の流産・・・
悲しかったが永遠がいたおかげで泣く回数は少なかったかもしれない。
永遠が起きているうちはやることもたくさんあったし
気もまぎれる部分は多く泣かずにいられた。
小さな久遠一人で逝かせてしまった、
私の体で殺してしまった、という思いから
私も久遠のところに逝こうかと思ったことが何度もあった。
それを思いとどまらせてくれたのは永遠だった。
そのかわり永遠が寝た時は泣きまくっていた。
性別も顔もわからなかった。
何も残らなかった。
唯一残ったのは手術の前の日のプリクラだけだった。
何を見ても悲しかった

インターネットで同じように流産死産した人のHPを見て回った。
もっとつらい思いをしている人もたくさんいた。
私なんかまだまだ恵まれてる・・・
私一人じゃない。
傷のなめあいといわれるかもしれないが
子供を亡くした痛みを知っている人たちだからこそ
やさしく包み込んでくれたんだと思う。
HNは「久遠ママ」。
これから永遠ママといわれることはあっても
久遠ママと呼ばれる事はない。
そういう思いからだった。

久遠が私にその人たちとの出会いを残していってくれたんだと思う。

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