出産後のこと
日記などにちょこちょこ載せているんだけど、ある程度まとまったところで、
紹介しようかなと。
病室で
出産が帝王切開だったため、翌日から4日くらい点滴。そして、導尿しているので、ベッドから出られない。なんか変な感じ。起きあがったりしてもいいのだが、ベッドの上。初めて体を拭いてもらったりして、ちょっとした病人気分。傷の方は陣痛に比べれば屁でもない。そして、「後陣痛」といわれる産後の子宮収縮にともなう痛みも痛いけど全然平気だった。
食事が再開してからも、おもゆからスタート。でも、「食べられるっていいなあ・・・。」としみじみと思ってしまった。
肝心の子供であるが、もちろん新生児室にいる。3日目くらいにやっと1時間ほど連れてきてもらって、眺めていた。だいたい眠っていたのだが、たまに目を開けたり、のびをしたり、真っ赤になってふんばってオナラをしたりすると、もう、目が離せない。「かわいいなあ。」と思うのと同時に、「育てられるんだろうか・・・。」と不安に思ったっけ。
点滴イヤ
出産前から点滴のために針を入れられていたんだけど、陣痛に耐えていたときにどうやら血管を突き破ったらしく、陣痛促進剤が血管から出ていたせいもあり、腕が腫れていた。手術中に、麻酔の医者に直してもらい、それからすっかり点滴嫌い。私の血管は細いらしく、針を刺すのも大変らしい。何度もやりなおされてしまった。
そして、産後の点滴もやけにしみるのがあって、イヤだったなあ。終わってもなかなか換えに来てくれないし。もう針が血管を突き破るのがいやで、必要以上に手を動かさなかったら、手がぱんぱんに腫れてしまった。
初授乳
点滴がとれ、初めての授乳。それまでは、新生児室で、看護婦さんがミルクを上げていたけど、栄養たっぷり&免疫たっぷりの初乳ってやつをあげられることで、うれしかった。
しかし!!飲まないんだこれが。直接だと手をつっぱって、泣きまくって、どうしてもダメ。しぼって哺乳瓶であげると、よく飲んでくれる。こちらの胸はもう痛くてしかたないくらいに張っているのに、飲んでくれない。看護婦さんに指導してもらっても、おっぱいのかたちをみてもらっても、あかちゃんの吸う力をみてもらっても、「どうして?」と首をかしげられる。
母児同室のたたかい
入院してた病院は、母児同室だった。入院するまで知らなかったし、知ってたとしても「ふ〜ん、いつもあかちゃんといっしょで、いいかもね。」と思ったに違いない。しかし、もし、次に子供を授かったら、ぜひ昼の間だけ同室、もしくは、別室を希望したいと思う。冷たい母親かもしれないけど、本当につらかった。同室になった日から、闘いは始まった。
授乳のときの流れは、おむつを替える→このときたいがい目を覚ます→泣く→母乳を試す→もっと泣き叫ぶ→ミルクを飲む→げっぷを出す→もうすでに眠っている 授乳は0時から3時間おき。
昼間の授乳のときは、だいたいこの流れなんだが、夜、21時のときは最後の分が違う。ぱっちり目を覚ましているのである。原因は、しゃっくりだったり、うんちだったり、ミルクが足りなかったり、わけもなく泣いたり。その後は次の授乳時まで自分のベッドで眠ることはない。抱いて廊下を往復したり、ゆらゆらとゆすったりすると、眠るのだが、止まってしまうと泣く。そうこうしているうちに、24時。また同じ。そうこうしているうちに3時。やっと寝てくれる。
見かねた看護婦さんが、新生児室に預かってくれることもあったが、つらかったなあ・・・。母乳を直接飲んでくれたら、どんなによかったか。飲ませながらねかせられるのに・・・。と、自分とこどもを責めた。
退院して家に帰ったとき、ほしがるだけミルクをあげ、半分無理矢理に寝かせた。
マタニティーブルー
マタニティーブルーという言葉をご存じだろうか?私は今回の妊娠のときまで、「妊娠中に」ブルーになるものだと思いこんでいた。が、しかしそれは、「出産後」に起こるものであり、経験する人もしない人もいるということらしい。まあ、産後のホルモンの分泌によるものだから、思いっきり抵抗しようにもどうにもならないらしいので、あんまり気にしないことにしていた。
しかし、私の所にもやってきました。マタニティーブルーが。
症状は、訳もなく涙が出る。(たいがい夜泣きをされているときなので、「訳もなく」は適切でないかも。)悲観的に考える。イライラする。などであった。
こういうものは、周りの人たちがちゃんと理解し、フォローしてくれるとありがたいのだが、フォローされててもなるものはなるらしい。さきにも書いたが、ホルモンの仕業なので、なんとかがんばろうって意地を張ると疲れるようなので、泣きたいときには泣いて、すっきりすることにした。もちろん、誰かに見られたりするとそれもブルーの原因になるため、見えないところで泣いたりしてた。
たとえば、こういうことで、ブルーになってた。
ダンナのこと・・・タオルやらパジャマやらの洗濯を頼んだ。「快諾」ではなく、明らかに「イヤだな〜」ムード。普段から洗濯や掃除、炊事などをいっさいしない人で、完全な一人暮らしは初めて。いろいろ慣れないこともあって大変だったのは今なら分かる。でも、その時は「なにさ!!あたしだってこんなところすぐに出たいんだい!!ちょっとは協力してよ!」と思った。
母のこと・・・ほぼ毎日のようにお見舞いに来てくれた。しかし、お昼ご飯と称して、近くのお店でお団子やら大福やらを多めに買ってくる。そういうものって、「お早めにお召し上がり下さい」のものだから困る。自分も食べるのだが、ほとんど「差し入れ」と言っては置いていく。まだ私が固形食が食べられないときにも、食事が出ていて、それ以上は食べたくないときも、毎回毎回。今なら、楽しみの少ない入院生活に、少しでも潤いをと心配してくれたんだな、と分かる。でも、その時は、「自分の気持ちばっかりで、こっちの都合や気持ちを考えてくれない!!」と思った。(差し入れは、食べ物以外でお願いします)
義母のこと・・・こちらも、ほぼ毎日のようにお見舞いにきてくれた。18時の授乳の時間が多かったような気もする。うちのあかちゃんは、うまく母乳が吸えないということを気にしていらしたのかもしれないが、母乳をやろうとしてうまくいかないのを見て、「出が悪い、もっとぴゃーっと飛ぶようでないとかわいそう。時間や泣き声で胸が張ってこないのか。乳首の形が悪い。」というようなことを言われた。今なら、母乳を通して免疫がもらえないと、体の弱い子になるんじゃないか、と心配してくれたんだな、と分かる。でも、その時は、「わざとじゃないもん、看護婦さんだって、タイミングさえ合えばって言ってるもん!乳首の形も、胸の堅さも大丈夫って言われたもん!!っていうか、あんまり授乳見せたくないんだけど!!!」って思った。
(実際、母乳は初めからどばーっと出るものではないそうで、あかちゃんが吸うから分泌も盛んになる、よく出るからもっと吸う・・・という流れができないと、なかなか難しいらしい。今思うと、うちの子は予定日より20日くらい早く生まれたので、体重は標準でも、そういうところはまだ未熟だったのかなあと思う。)
入院のこと・・・生まれて初めての入院だったので、心細さはあった。そして、夜中、新生児室にあかちゃんがいなければ、ナースステーションにはだれもいなくなる。白湯をもらおうと、ナースコールを押すと、別室から看護婦さんがやってきて対応してくれる。でも、看護婦によっては、異様に怖い人がいる。しかも、夜勤をしていることが多い。もう入院するのはイヤだなあ。
命名
2001年9月26日
出産が予定より早まったため、入院中に名前を考えることになった。候補は上げていたのだが、予定では、もうちょっとしぼりこんでから出産を迎えたかった。そして、やっぱり命名は父親であるダンナにしてもらいたかったのだが、慣れない一人暮らしと仕事のため、「任せた。」の一言で、私が考えることになってしまった。
あれこれいろいろ候補はあがった。桃太郎や金太郎のように、日本的な古風な感じを目指して考えた。また、好きなマンガの主人公、大吾、うしお、とら。ダンナからあがった名前、だいすけ・・・。
仕事柄、子供の名前にはいろいろと接する機会が多いので、そういう子と重ならないようにとも考えた。
そして、いよいよ決定 健人(けんと)
日本的で古風・・・・????すっかりずれてしまった。まあ、いいよね、健康な人になるようにで健人。
沐浴指導
退院の日の午前中、沐浴指導があった。あかちゃんをお風呂に入れる。看護婦さんの評判では、うちの子はお風呂が好きらしい。夜の泣き方とは全然違う感じで、あばれたり嫌がったりすることもなく、おだやかーに入ってくれるらしい。初心者の私でも、大丈夫かしらと思ったが、これが大丈夫。オナラまでしていた。
退院
2001年9月29日
やっと退院の日。ダンナが仕事で来られないので、ダンナの両親に来てもらい、荷物などを運ぶお手伝いをしてもらった。手続きをして、さあ帰宅。普通はタクシーなどに乗って帰るのだろうか?でも、うちは歩いて5分、ゆっくり歩いたって10分。このくらいの近さだから、入院中(特に夜中)赤ちゃんつれて帰りたくてしょうがなかった。
翌日からは私の実家に1ヶ月ほど帰るから、1日だけの我が家。病院ではきっちり3時間おきのミルクだが、早くも退院のこの日に崩れた。おかげで、夜中はちょっと楽だった。
つづく