がんからの贈り物


生きていると色んな事がありますが、どんな事もプラスにもっていく・・・・・。
そんなかんちの母の体験記です♪
きっと皆さんの参考になるのではないでしょうか。

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───第10回───

       【 再発 】

 私が夫に対して、ある重大な秘密を持つようになったのは、テニス大会5日前の診察が契機であった。
主治医の廣瀬先生はCTの結果を見せながら私にこう告げていた。
「肝臓の、ここの所に白く影があるんですよ。」
それは明らかに"再発"を意味する言葉であった・・・が、私はその時、自分に何が起こっているのかを暫くの間理解する事が出来ないでいた。
戸惑う私に先生は静かに話を続けていく。
「あなたにとって、これは最初に見つかった時と同じくらいのショックだと思います。」
私は、驚きもせず、涙も流さず、ただボ――ッと先生の声を聞いていた。
そんなばかな・・・元気にテニスもやるし何処も痛くもないのにどうして・・・・。
少しの間が空いて、私の口から質問が飛び出した。
「こんなに元気なのに・・・ですか?」
「ええ、そうです!今は元気ですけど。」
はっきりとそう言う先生の目は、真っ直ぐ私に向けられていた。
それは真実を告げている目だった。
この日は11月9日、テニス大会5日前のことである。
いつもの定期検診を受ける為に外科を訪れていた私は、CTの画像を見ながら説明をしてくれる廣瀬先生の横で小さく固まっていた。
下唇を噛みながら、私の目はCTの画と先生の瞳とを行ったり来たりしている。
手術から半年、驚くほどの速さで回復し、毎日元気に過ごしている私の体の中で、自分の意に反する現象が起きているというのか。
手術が大成功に終わって喜んでいたのは、束の間の幸せに過ぎなかったのか・・・。
体中のエネルギーが何かに吸い取られていく様な気がした。
私の周りの小さな空間がキーンと凍りついてしまっているようだった。
だが何故であろう、ガンの告知を受けた時のような奈落の底へ落ちていく感じは無く、不思議なほど冷静さを保っている自分が、そこにいる。
それはあたかも、私の周りに大勢の天使たちがいて、私をしっかりと支えてくれているような感覚だった。
丁寧に話を続けている先生の声を遠くの方に聞きながら、混乱している私の頭はやがて別の事を考え始めていた。
『もしも今入院したら、テニスの試合に出られない。
来週の旅行にも行けなくなってしまう。どうしよう・・・。』
気がつくと、先生の話は治療の方法に移っていたようだった。
それでもなお、私の頭の中では、その事ばかりを考え続けていた。
『体力もついてきてやっと試合に出られるというのに・・・。
今度の旅行は、病気のために諦めていた恒例のフルムーンを計画し直して、ものすごく楽しみにしているのに・・・。』

やがて、治療法の話は次の段階へと進んでいった。
病巣が肝臓だけに留まっている事、そしてがん細胞の塊がまだそれ程大きくない事などを考慮して、"肝動注"という方法をとるらしい。
肝カテーテル検査の時と同じように、動脈から細い管を挿し込んで肝臓まで通し、薬剤を少しずつ注入すると言う。
ガン細胞に栄養を運んでいる血管にダメージを与えて、兵糧攻めにするのだそうだ。
手術に比べると、入院は数日間という短さであり、身体へのダメージもごく少なくて済むらしい。
入院をするなら2日後の11月11日木曜日に、そして治療の"動注"は翌日の金曜日に予定していると言う。
しかし、ずっと迷い続けている私の心は、その治療計画に「はい」と言う同意の返事を出せないでいた。
先生は、困った顔で半ば諦めたように、
「普通の人は、他の全ての予定をキャンセルするんですがねぇ。」
そこまで言う先生の言葉にも、私の心は素直に頷くことが出来ない。
"何度再発しても又すぐに元気になれる"と信じてはいたものの、やはり現実の再発に遭遇してしまうと色々な事を考えてしまうものだ。
もしかしたら、もうこのまま旅行に行く事は出来なくなってしまうかも知れない・・・。
テニスさえも出来なくなってしまうかも・・・。
わずかな不安ではあっても、このことは私の人生にとって一大事だった。
だったら、思い出はひとつでも多いほうが良い。
心から楽しみにしていたこの事だけはやり遂げて、それから治療に当たっても良いのでは・・・。
私の頭は短い時間の中で出来得る限りの事を考えていたのだ。

  【 内緒にしよう 】

意識だけが宙を舞っているような時間が過ぎ、結局結論は出なかった。
返事は明日にでも電話で知らせるという事になり診察が終わりかけたその時、先生はこう言った。
それは、再発した私のガンに対して腹を立ててくれている言葉だった。
「こんな、ガンなんかと仲良くしない方がいいですよ。」
CTに映し出された病巣をペンで叩くようにしながら、怒りをぶつけてくれている。
そして、私のほうに向き直り、静かに付け加えた。
「ショックだとは思いますが、OOさんは、OOさんなんだから・・・。」
この言葉が、迷える私の心に決心をつけさせた。
かつて先生の言ってくれた"あなたの人生ですから、あなたの気持ちを一番大事に治療します。"という言葉がさっと私の頭をよぎった。
私の気持ち――― そうか、私の気持ちを一番大事にして良いのなら答えは簡単だ。
やっぱり入院は遅らせてもらって、旅行に行って来よう。
そして、このことは夫には内緒にしておこう。
何故なら、再発を知ってしまったら、優しい夫は旅行中ずっと私のことを心配し続けて、ゆっくり楽しむ事など到底出来ないであろうから・・・。
よし!! これは私の胸だけにしまっておこう、そして、旅行から帰って来てから夫に打ち明けることにしよう。
今の私に出来ること、今の私が夫にしてあげられる事はこれくらいのことしかないのだから・・・。
私の人生始まって以来、一世一代の"事実を隠す芝居"の始まりであった。

 翌日、私は自分の複雑な思いを正しく伝えるために、電話ではなく先生宛に直接手紙を書いた。
今度の旅行が私たち夫婦にとってどんな意味があるのか、それから、テニスの試合にどれほど出たいと願っているかという事を・・・。
そして、出来ることなら試合の日、病院に近いテニスコートに来て元気にプレーしている私の姿を見ておいて欲しい、と付け加えた。
もちろん、夫に秘密にしておく事、そしてその事を先生には理解して、協力もして欲しいということも丁寧に記しておいた。
それからの5日間はあっという間に過ぎ、試合当日がやってきた。
手紙をしっかりと受け取ってくれたらしく、テニスコートまで応援にきてくれた先生は、夫がそばに居なくなった時、そっと私に言ったのだ。
「入院は25日で良いですよ。」
そう言う先生の言葉は、複雑な私の想いを全て理解してくれた事を知らせていた。嬉しかった。
「次の試合は、OO、OO組―――。」
大きく響くメガホンの声は、夫と私の次の試合が始まることを告げた。
私達は急いでラケットを手に、コートの入り口へと向かう。
先生はこの試合を応援していってくれると言う。
頑張ってください!という声を背に受けると、私は全身に力がみなぎってくるのを感じた。
予感どおり、この試合はとても調子が良かった。
サーブも入る、ボレーも決まる。
体は蝶のように軽く、右へ左へと思う通りに動いてくれる。
夫も一緒になって調子を上げてきたこの対戦は、案の定、爽快なる勝利を飾ることが出来た。
それは、計らずも命の恩人である先生へのプレゼントとなった。
 こうして、試合に出ることが出来て喜んでいた私ではあったが、夫に対して秘密を持つ毎日は、思ったよりも楽ではなかった。
何も知らずにいる夫の顔を見ると、ふと弱気になる時がある。
私のこの決断は本当に正しかったのだろうか?
 夫婦なら、包み隠さず何でも打ち明けるのが当たり前ではないのだろうか? 
旅行から帰って来て事実を知った時の夫は、もっとショックが大きいのでは・・・などという心配が胸を締め付ける。
家族団欒の中で出てくるふとした言葉、「元気になって本当に良かった!」などと言われると、その場は笑顔でごまかしても陰に隠れて歯を食いしばったりする。
しかし、私は決して後悔はしなかった。
自分が決めた事なのだ。
考えに考えた末、出した結論に間違いは無いはずだ。
そう言い聞かせた。
それに、27年連れ添った夫の事は良く分かっている。
後に引けない崖っぷちで、精一杯の愛を演じている私のこの気持ちを、夫は必ず受け止めてくれるに違いない。
この私の想いを喜んでくれることはあっても、決して怒る様なことは無いだろう。
そう、何と言っても、一心同体なのだから・・・。

【 フルムーン 】

やがて迎えたフルムーンへの旅立ち。
フルムーンと言っても大した旅行ではなく、たった一泊の温泉旅行であったが、私にとっては実に意味のある"旧婚旅行"であった。
そもそもフルムーンという言葉は誰が考えたのか。
ずいぶん昔に鉄道のコマーシャルで、よくテレビに流れていたこのフレーズ。
確かに、即席の和製英語ではあるが何かほのぼのとした素敵なイメージが漂ってくるのは、遠き良き日の思い出がオーバーラップしてくるからであろうか。

 空までもが二人を祝ってくれているようなその日は朝からとても気持ちが良かった。
少しばかりの荷物を車に積み込み、いざ出発。
約1時間後に浜松で東名高速を降り、渥美半島の突端へ。
伊良湖からフェリーに乗り込んだのが昼すぎのことだから、いかにのんびりとした出発であったかがわかる。
車をフェリーボートの船底に置き、甲板に通じる階段を一気に駆け上がると、初冬の風がひんやりと頬を刺した。
それでも、船の先端に居場所をとって潮風に吹かれながらの旅は、結構洒落ていた。
デッキの手すりにもたれながら写真を撮るとロケーションは最高。
つい撮り過ぎて船内の売店にフィルムを買いに走る夫の後ろ姿が、妙に微笑ましかった。
伊良湖岬の灯台が次第に小さくなっていき、海原を進むこと約50分。
やがて小さな島々が姿を現してくると、写真やテレビで度々お目にかかったことのある風景が目に入ってくる。
鳥羽である。出発は遅かったが、このフェリーのお陰で、目的地の鳥羽に着いた時にはまだ日が高かった。
水族館をじっくりと見て回っても宿に付いたのは予定より早く、夕食までの小一時間を持て余してしまうほど、ゆっくりとくつろぐ事ができたのである。
そこは大きな旅館ではなかったが、こぢんまりとした古い建物には却って風情があり、南西の角に位置する部屋からの眺めは格別であった。
小さな島々が入り組んでいて、其処此処に真珠の養殖いかだが点在している。
何と悠長な風景・・・平和だ・・・。
やっぱり来て良かった。
こんな穏やかな空気の中にいると、今自分に起こっている大変な問題さえも忘れてしまいそうだ。
しかも翌日の朝食では、大きな伊勢海老の頭が丸ごと入った味噌汁に舌鼓を打つ、という贅沢までも味わって・・・。
しかし、来て良かった!と思えるもっと大きな出来事が、実は翌日に起こっていた。
二見が浦の夫婦岩を見て、意外と小さいことに驚いたり、真珠島で海女さんの実演を見て感動したりするのは、多分お決まりのコースであろう。
が、もう少し足を伸ばして伊勢神宮へ参拝した時のことである。内宮と外宮がある事さえ知らない無知な私達は、いつもお正月にテレビで見る、あの神宮の境内を拝めるものとばかり思っていた。
ところが、境内の中に入ることはおろか、中を覗く事さえ出来ない状態なのには驚き、少々落胆してしまった。
仕方なく垂れ幕(と言って良いのかどうか?)の前で合掌・・・。
目を閉じて、夫に内緒で治療の成功を願ったその時だった。
急に強い風が吹き抜けてきて目の前の幕がフワ――ッと浮いたのだ。
風を感じて目を開けた私は、伊勢神宮の中を見ることが出来た、と認識するのに少し手間取っていたが、拝殿らしき建物をそこに見た瞬間、ギュンと背筋に電光が走った。
急いで隣を見ると、まだ瞑目合掌をしている夫がいる。
私はすぐに腕にしがみついてこの驚きを共有してもらった。
そして、これは偶然かも知れないと思いつつ暫くの間その場にたたずんでいたのだが、二度とその垂れ幕が吹き上がることは無かった。
その時ほとんど風は無く、とても穏やかな天候の中に私たちはいたのだ。
神様が私の願いを聞いてくれた!・・・・私は本当にそう思った。
社からの帰り道、石段を一歩ずつ降りながら、ふと、何かが聞こえたような気がして思わず私は振り返ってみたが、そこにはさっきと変わらぬ静かな風景があった。
『見守っているから、頑張りなさい』と、言ってくれた事にしておこう・・・。
そう思って歩を進めていくと、参道に散り積もった落ち葉を踏みしめる靴の音が、心地良く足元に響いていった。

【 生きているから 】

 伊勢神宮からの帰り道、ほのぼのとした想いに胸を膨らませながら、車はのどかに続く風景の中をずっと走っていた。
やがてふと目に飛び込んできたのは、とても珍しい趣の喫茶店だった。
やや昔のアメリカにタイムスリップしたような雰囲気、ちょうど小腹も空いてきた頃でもあり、私達は昼食の場をそのお店に決めた。
中に入ると本当に「ここは何処?」と言いたくなるような光景だ。
アメリカで使い古されていたらしいガソリンスタンドのメーターボックス。
ロカビリー最盛期の頃に使われていたようなギター。
ニューヨークの下町に輝いていたと思われるようなネオン看板。
そして、あの懐かしいデュークボックス―――その昔、洒落た喫茶店やスナックなどによく備えられていた、コインを入れて好きな音楽を聴くという、あの機械である。
テーブルがそのままゲーム機になっている所もあった。
もちろん使える状態のものは無かったであろうが、私は見ているだけで胸がわくわくしてきた。
そして、青春時代を彷彿とさせるそのお店の中で、店主がとても楽しそうに仕事をしている。
きっと、こういうものが大好きなのだろう。
聞けば、好きで好きでたまらなくてアメリカまで買いに行くことしばしばだったとか。
自分の自慢の品々に囲まれて毎日を暮らしている店主はよほど幸福に違いない。
こんな生き方って、素敵だな・・・そう思った。
そして、生きているからこそ幸せなんだ・・・と
 アメリカンスタイルのホットドック風サンドウィッチを平らげて、食後のコーヒーを飲みながら、私はもう一度思った。
やっぱり来て良かった! 夫はまだ何も気づいてはいないようだ。
心の中で小さく謝りながらも、自分の決断が間違っていなかったであろう事にそっと私は感謝をした。
美味しかった料理、伊勢神宮での神様の応援、そして素晴らしい生き方を見せてくれた喫茶店のご主人・・・こんなに収穫の多い旅行になるとは私も予想だにしていなかった。
気持ちを理解してくれた先生に心の奥で私は頭を下げた。
 来た時と同じ道を辿って、一路我が家へと向かうフェリーボート。
伊良湖に着いた頃は綺麗な夕暮れ時を迎えていた。
東へ向かう私達の車を、大きく膨らんだ真っ赤な夕日が何か言いたげに、後押ししてくれている。
そう、喜んでばかりはいられない。
家に着いたら、夫に再発のことを打ち明けなければならないのだ・・・・。

<続く>

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