がんからの贈り物


生きていると色んな事がありますが、どんな事もプラスにもっていく・・・・・。
そんなかんちの母の体験記です♪
きっと皆さんの参考になるのではないでしょうか。

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───第2回───

【 元気なうちに 】

 病院から7〜8分車をとばすと、小さな山のふもとに閑静な住宅街が見えてくる。
春はうぐいすが喉自慢を披露し、夏の夜には時折、狸がとんきょうな顔をのぞかせる平和な里。その一角に我が家はあった。
玄関アプローチに植えられた樫の木は、生命力を自慢するかのように空に向かってぐんと伸びていて、その根元に植えられたサツキの花が私の帰りを待ってくれていた。
ドアを開けると、見慣れた玄関が何も変わらずにそこにあった。
下駄箱の上の金魚も、壁にかけられたジグソーパズルも。
 ソファーに座って少しくつろぎながら私は病院を思い出していた。
退院時に医師が言っていた、「元気なうちに旅行でも。」という言葉である。
元気なうちにとはどういう意味なのか。
手術の為に外科に入ったら、もう元気ではいられなくなるのか? 
ひょっとして帰って来られない事もあるのだろうか? 
想像を重ねるにつけ、良からぬ光景が脳裏をよぎる。
それは、生まれて初めて自分に襲いかかってきた死への予感であった。
医師からガンと言われた以上、しかも、決して初期ガンとは言えない状態で、“死”を全く無視する事はできない筈だ。
つい最近も、身近な親しい方が立て続けにガンで亡くなっている。
自分に限ってそれは起こり得ない、とは言えないことであった。
もしかしたら、本当に死ぬかも知れない・・・。
 しかし、私はもう一度冷静になって考えてみることにした。
不思議な事であるが、私自身は死ぬ事に対しての恐怖心は全くと言っていいほど無い。
これまでの私の人生、それは夫とめぐり会い、可愛い子供達に囲まれて、いつでも幸せを身近に感じていられたのだから、もしもここで人生を終わる事が私の運命ならば、感謝をしながら甘んじて受けよう、と。
その気持ちに嘘はなかった。
しかしただ一つだけ、死を受け入れる訳にはいかない理由があった。
それは、私が命を終える事で、夫や子供達、母や親戚、友人・・・・・私の周りの人々に、辛く、悲しい思いをさせてしまうことである。
私は今日これまでの人生で良しとしても、残された家族に幸せはあるのか。
この先、一人きりで生きていく夫に対して、私は何もしてあげる事が出来ない。
今までずっと幸せを与え続けてくれた夫に、私はまだ十分に尽くし切ってはいないのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 長い空白の時間が過ぎたあと、突然、私は死について考えるのをやめる事にした。
何故ならば、まだ起きてもいない事を今からくよくよ心配したところでどうにもならない、ということに気が付いたからだ。
そんな事に大事な時間を費やしている暇は、今の私には無い。
それよりも、今、自分に出来る事は何か、それを探して一日一日を大切に生きてみよう、そう自分に言い聞かせた。
今の私に出来ること、今の私にとって最も大切なこと・・・。
それは、どう考えてもやはり家族との絆であった。 入院してつくづく思った事は家族の有り難さに他ならない。
娘は身重の体で毎日、私の代わりに食事の仕度に来てくれていた。
二人の息子も、忙しい時間を割いて病院に来てくれたし、娘婿に至っては、淋しい夫の気を紛らす為に飲めないお酒を付き合ってくれていたのだ。
そして何よりも、私を心の底から心配してくれている夫の心情を、私はずっと痛いほど感じていた。
家族あっての私、私あっての家族なのだから、この大切な絆をもっともっと深くしておこう、今のうちに・・・。
「ゆりの園へでも行ってみようか。」
グッドタイミングの夫の誘いに私は大喜びで賛成した。
今はまだ百合の花の最盛期でない事は分かっていたが、とにかく元気なうちに、色々な所へ行っておこう!そう思ったから。
但し、それは決して消極的な思いからではなかった。
ガンと宣告された今でさえ心のどこかで、手術が終わればすぐ元気になれる、と、あくまでも信じていたのである。

【 ゆりの園 】

 爽やかな五月晴れの陽を浴びて出掛ける二人きりでのドライブに、助手席の私は嬉しくてたまらない。
窓の外には五月の新緑がもったいないくらいに青く輝いている。
そう言えば、夫と知り合って間もない頃も、こんな新緑に囲まれてよくドライブをしたものだった。
あれからもう、27年もの年月が過ぎた。
結婚して以来、ずっと新婚みたいと周りの人から言われ続けてきたが、今、夫に対して新たな気持ちが芽生えているような気がした。
病気という形ではあったが、人生を見つめなおす良い機会が得られた事を、私は素直に有り難いと思っていた。
 車を走らせること40分余り、近隣では結構有名な観光地になっている「ゆりの園」へは、初めての訪問であった。
ゲートを抜けて中に入ると、園内一面に植えられた無数の百合は、所々に咲いた花とたくさんの蕾をつけて私達を歓迎してくれていた。
これから徐々に膨らんでくる蕾、おしべとめしべが恥ずかしそうに顔を覗かせている蕾・・・美しさを競って今まさに咲かんとしている大きなエネルギーを私は肌で感じ、そして、そのエネルギーは、これから困難な事に向かっていく私達に激励の喝采を浴びせてくれているように思えた。
赤い百合、白い百合、ピンク、黄色、赤紫の縁取りのある百合・・・色とりどりの百合の絨毯をしばらく散策したあとで、中央にある大きな池のほとりに腰を下ろし、夫と私は池の水面を見つめていた。
時おり鯉の群れが作り出す幾何学的なさざなみ模様は、揺れる私の心を映し出しているようでもあった。
やがて、夫は遠くに目をやりながら、思い出すように静かに口を開いた。
「入院中にね、病院から呼び出しの電話があってさ・・・・・奥さんに内緒でご家族に話がありますって。」
 私はがく然とした。
私の知らないところで、夫や子供が、こんなに苦しんでいたなんて。
私が逆の立場だったら、とても耐えきれない。
「あんまり良いものじゃなさそうだね」と言った時の夫の顔が瞼に甦り、私は言葉を失った。
『元気にならなければ、絶対に元気になって帰って来るんだ!!!』
私は、荒れ狂うほどの気持ちを抑えながら、自分自身に固く誓った。
ふと目を上げると、周囲の百合は私を励ますように一層輝きを増し、池のほとりに植えられた芝生の緑が、目に眩しかった。

【 前向きな心 】

「どんな時でも、ありがたいって思う気持ちを忘れちゃだめだよ。
“常に感謝の心あれば、そこに戦いは起こらず”って言葉があるからね。」
 幼い頃から私によくこう言ってくれた母は、その言葉通りいつも「ありがたい、ありがたい」というのが口癖であった。
8年程前に亡くなった父はとても厳格な人で、仕事に厳しく、躾に厳しく、自分自身にも厳しい人だった。
そんな父からも常々「物事は全て考え方でどうにでもなる。」という事を教わってきた。
昔、自分の住んでいる家が火事になったらどうしよう、と真剣に恐怖したことがある。
父はすかさず、「そうなったら心機一転、一から出直せばいいさ、家を建て替える良いチャンスだよ。」と、いとも簡単に答えてくれたのを思い出す。
子供ながらに大きな安堵感を得た事は言うまでもない。
いつしか私の心には、感謝の気持ちが一杯詰まった愛の袋と、物事は全て考え方次第という知恵の袋とが育まれていったようだ。
子供の頃のこんな環境が、今現実に起きている危機に対しても前向きな姿勢をとらせてくれているのだと、私は改めて父母に感謝をした。
 しかし、だからと言って、このプラス思考がそのままずっと維持されてきたわけではなかった。
人生の年月を送るなかで、いつしかこの考え方が心の隅に追いやられ、感謝する事さえ忘れていた日々も、実際に存在していたのである。
その頃の私はと言うと、全く杞憂そのもので取り越し苦労ばかりしていた。
これから起こることに対して悪い想像だけをめぐらし、いつも自分を悲劇のヒロインにしてしまうのである。
そして、終局に陥るところは常に自己嫌悪であった。
しかしながら、それでもなお、ひとたび大きなトラブルに直面した時には、プラス思考はそっと現れて私を助けてくれていたようだ。

 現在、危機に直面している私が前向きな姿勢でいられるのには、他にも理由があった。それは、仕事の必要性に応じて成功哲学を少しかじった時に、メンタルマネージメントを学んだ事である。
しまずこういち著《 マーフィーの黄金律 》とラニ―バッシャム著《 メンタルマネージメント 》を基礎にして、自分の目標を達成するのにどうしたら良いかを学習するのであるが、私にとっては初めての事ばかりで非常に興味深く学ぶ事が出来た。
要するに、 「あなたの人生は、あなたの心に思い描いたとおりになる!」
と言う考え方が基本であり、それは誰にもくつがえす事の出来ない“人生のゴールデンルール”なのであると言う。
とするならば、これから先の人生は自分がどのようにイメージするかによって決まる!ということになる。
私はすごいと思った。そして、そのメンタルの方法を実行してみた――― 結果、このルールが本物だということが分かったのである。
私だけでなく、息子の入試にも利用してみたところ、担任から難しいと言われていた高校に好成績で合格したという事実もある。
理論と方法についてはここで述べる余裕はないが、現在の私にとって、この勉強をしていた事は全くの偶然ではなかったような気がしている。
それは、メンタルマネージメントのセミナーの席で、最後に聞いたこの話が私をここまで強くしてくれている、といつも思っているからだ。

『これは昔、実際にアメリカで起きた事件であり、ニューヨークタイムスにも掲載されたという記事である。
 ある港の波止場に大きな冷凍倉庫があった。
ある時数人で点検作業をしていると、誤って一人だけ取り残されてしまった。
彼は自分が閉じ込められたことに気付き、懸命に助けを呼ぶが誰にも聞こえない。
次第に寒さが厳しく感じられてきて、どんどん体が凍えてくる。
やがて彼は死を覚悟し、手帳の上に家族当ての遺書を書き始める。そして一夜が明けた。
 行方不明の彼を探しに来た人たちが発見した時は、彼はすでに凍死していた。
 手帳には、だんだんと体が冷えていき、足が、手が、次第に凍えていく様子が遺言と共に記されていたという。 
周りは大騒ぎになり、パニックに陥った。
しかし、それ以上に驚いた事は、実はその冷凍倉庫にはスイッチが入っていなくて、中は常温だったのである。』

 私は、この話を聞いて背筋に寒さが走るほどショックを受け、暫く茫然としていたことを覚えている。
この事件が何を意味しているか、取りも直さず、肉体は心の影響を信じられないほど大きく受けるという事に他ならない。
死ぬべきでない条件なのに死んでゆく・・・・とするならば、逆に、例え死ぬ条件が揃っていたとしても、自分が死ぬ、とさえ思わなければ死なない事もあるのではないだろうか?
 私はその逆説を、自分に当てはめて考えてみた。確かにこの病気は、私を死に至らしめる事があるかも知れない。
しかし、もしその時が来たとしても、私自身が“死なない!”と強く決めてさえいれば、死なずに済むのではないだろうかと。
そして、その事に絶大なる確信を持つことにした。
何故なら「あなたの人生は、あなたの心に思い描いたとおりになる」のであるから。
 そう考えた時から、私の心は今までに増して明るくなったような気がした。
そうだ、たった一度しかない人生、これから先の毎日をずっとくよくよして過ごしては何とも勿体ない。
私がこれから手術を受けるのは既に決定されたことなのだ。
それが人生のほんの一部だったとしても、同じ入院をするのであれば、せっかくだから逆にその入院生活を楽しんでしまおう。
そして、どんな時でも感謝の気持ちを忘れてはいけないのだから、これから経験するであろう様々な出来事を、素直に有り難く受け止めることにしよう!!
 私はそう強く心に決めていた。
夫のために、子供のために、そして、自分自身のために・・・・

<続く>

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