【 皮下脂肪 】
いよいよ手術の日が近づいてきて、夫と私は廣瀬先生から1時間以上にわたる説明を受けていた。
運命の日、数日前のことである。
夫はもともとユーモアたっぷりの人で、二枚目なのか三枚目なのか分からない、と人は言う。私もそう思っている。
命が懸かっている大事な時ではあったが、二人の覚悟がしっかりと固まっていたので、夫はいつものジョーク癖が出てしまっていた。
人体図鑑を見せながら丁寧に説明をしてくれた先生が、最後に、
「何か心配な事ありますか?」
と聞いてくれたので、私は前々から気になっていた事を思い切って尋ねた。
「お腹の脂肪が厚いので、手術がやりにくいんじゃないかと心配なんですが・・・」
すると夫は、あろう事かこう言ったのだ。
「先生、ついでにお腹の脂肪も削ってやってくれませんか!」
実のところ、私もそれが出来たらいいなとは思っていたのだが、まさか、本当に訊いてくれるとは思いもよらなかった。
ところが息を潜めて返事を待つ二人に、先生は、
「いやあ、それは保険が効きませんから・・・」
と、澄ました顔でサラッと返答したのである。
私たち二人は笑っていいのか悪いのか、顔を見合わせて吹き出しそうになるのをこらえていた。
広瀬先生って真面目な顔で冗談を言う人なのだ、とこの時分かった。
手術に向けて、2〜3日前から本格的な準備が始まった。
注射をしたり、腸を空にする処置をしたり、麻酔科の医師の所へ行って説明を受けたりと、なかなか忙しい。
全身麻酔で行われるので、呼吸に関しては既に何日も前から、術後の回復を早める為のネブライザー(吸入)などを続けてきていた。
こうして着々と準備は整っていき、いよいよ私のガン摘出手術が行われる日がやってきたのである。
予定では、手術のあとICU(集中治療室)で一晩過ごし、翌日から7〜10日ほど個室に入る事になっていた。
当然、今の部屋とはお別れである。仲良くなっていた同室の患者さんが、ICUを出るまでの間、花の面倒を見てくれる事になった。
私の知人達は手術の前に、つまり、私が元気なうちに会っておいた方が良いと思ったらしく、いっぺんにお見舞いにきてくれたので、花かごや花束がベッドの周りにところ狭し、と飾られていたからである。
【 運命の日 】
1999年5月31日月曜日、私も家族もかつて味わった事のないような激しい緊張感に包まれて、いよいよ手術当日を迎えた。
朝8時に緑色の手術着に着替えて点滴開始、ベッドの横に運ばれて来たストレッチャ−に乗り上げて、身体を横たえる。
少しして、気持ちをリラックスさせる為という皮下注射が打たれると私は本当にリラックスしてしまい、今から何が起こるのかを考える脳細胞さえも働かないような、とても気持ちの良いひと時を得ていた。
さっきまでの緊張感はどんどんとミニサイズになっていき、オロオロ、ドキドキ心配しているのは家族と、私の為に集まってくれた親戚や友人だけだったかも知れない。
夫と子供達の横に、特別心配そうにしている母と、兄嫁の顔が見えた。夫は兄弟が多いので、義姉や義兄が何人も集まってくれている。
仲良くしている仕事仲間も来てくれていた。こんな私の為に本当にありがたいことだ。
やがて、手術室へ入る時刻が迫りストレッチャ―が動き出すと、身内の皆や、同室の患者さん達が口々に、
「がんばってね!」
を連発して見送ってくれた。
みんなが応援してくれている・・・・ボーッとした頭でもその事だけは、はっきりと感じ取れていて、私は軽く手を振った。
手術室の前まで来ると、最後にもう一度夫が私の顔を覗き込んでしっかりと手を握り、
「がんばれよ!!」
と聞こえるように言った。朦朧とする意識の中で、私は夫の目を見つめて頷いた。
行ってきます・・・・・もしかしてこれがお互いの見納めになるかも知れない・・・・・などという心配は、その時、私の心には微塵も存在してはいなかった。
何故なら、私は手術が終わればすぐに元気になるのだから。
でも、ひょっとすると、そんな風に考えていられたのは私一人だけだったのかも知れない。
手術室の中に入ると、驚くほど長く廊下が続いていて、何番目の部屋へ入ったのか分からない程だ。
ここへ来るまでに、私は何度も本人である事を確かめられた。
こんなに何度も確認すれば、最近多発している患者取り違え事件などの医療ミスは起こらないだろう、と後から思った。
手術室の天井に備え付けられている大きな円盤形の照明がまぶしく光り、いよいよ手術が始まることを私に知らせてくれている。
私の身体が手術台に移されると、スタッフの技師や看護婦さんたちが順番に自己紹介をしてくれた。
私は名前を覚えようと一生懸命だったが、なにぶん麻酔が効きかけているので頭がまわらない。
「よろしくお願いします」と言うのが精一杯で、それもはっきりとした言葉になっていたかどうか。
少しすると、オペ室の婦長さんが来て、私の手を握りながら励ましてくれた。高校時代の先輩の奥さんである。
こんな時、知っている人がそばに居るというのはとても心強いものだ。
「広瀬先生が来てくれましたよ。」
ひとりの看護婦さんが言った。緑色の手術着に身を包み颯爽と現れた先生は、まだ手術用の手袋をしていない。
私を励ます為に来てくれたのだろうか。
「がんばりましょうね」という声が聞こえ、私は「お願いします」と答えたような記憶があるのだが、そこから先ははっきりと覚えていないのだ。
やがて全身麻酔のマスクがつけられると、ス――ッと気持ち良くなって、私は遠い夢の世界へと入り込んでいった。
「ZZZZZ・・・・・・・・・・・・」
どれくらいの時間か過ぎたのだろう。誰かが、私の肩を叩いている。
遠くで私を呼ぶ声が聞こえる。かすかな意識の中で耳を澄ますと、やがてその声は次第に大きくなってきた。
「OOさん、OOさん! 終わりましたよ!」
肩を叩きながら、大きな声で呼んでくれていたのは、麻酔科の医師だった。
だが、返事をしたくても声が出ない、体は自分のものなのに動かない。
かろうじて、そっと目を開ける事で答えるのが精一杯だ。
それでも、私が遠い夢の世界から還ってきたことだけは確かであった。
麻酔科の医師は、私が目を開けた一瞬を見逃さず、「小西さん覚醒!」と周りに告げていた。
手術室を出ると、終わった事を自覚することもままならない恍惚の中で、出迎えてくれた人たちの中に夫の顔を見つけた。
「良くがんばったね!」と聞こえたような気がして、私は声にならない声で、「ありがとう」と答えた。
意識は相変わらず朦朧としていて、全ての事がソフトフィルターを掛けたレンズの様に、ぼんやりとしか分からない。
待ち構えていた身内のみんなも次々に労いの言葉を掛けてくれた様だった。
だがその後の私には、外科へ戻ってICUに入るまでの、ストレッチャーによる短い旅でさえ殆んど記憶が無いのである。
この時すでに手術室に入った時刻から8時間が経過していた。
その間、手術は全く順調に運ばれ、大成功!
大腸を40センチと肝臓を5分の1、そこに繋がる血管とリンパ、そして胆のうを切除するという手術であった。
肝臓には既に5個のガンの塊が存在しており、今まさに全身へ広がろうとしているところだった。
だが、準備されていた輸血も必要が無くなる程に、手術は上手くいったのである。
予定よりも2時間30分以上早い終了だったと言う。
もちろん、私は麻酔から覚めても思考能力はゼロであったから、この詳細は後日になって家族から聞かされたものであるが・・・。
【 ICUでの一夜 】
ICUに入ると完全看護の為、家族は翌朝まで付き添いが出来ない。
夫と娘は、面会をするのに、細菌感染防止のためのエプロンをつけて、私のベッドに近寄って来た。
「大成功だって!良かったな。」
ホッとしながらもやや興奮気味に話す夫の顔は、この上もなく嬉しそうだった。
何日も経ってから、外科の婦長さんがこっそり私に教えてくれた。
夫は、手術が無事に終わったことを知って、そっと涙を拭いていたと・・・。
私は夫と娘に固く手を握られながら、がんばるよ!と言うメッセージを眼差しに託した。
そして、家族と別れ、ICUでの一夜が始まった。
静かな部屋の中には、私の心電計の音がピッピッ、ピッピッ、と響き渡り、看護婦さんたちが忙しそうに動き回っている。
先生が来て手術が大成功であると聞かされた時、私は本当に終わったのだと実感した。
意識はいまだに朦朧としていて、長く目を開けている事は出来ない。
横の方のベッドには同じ日に手術を受けたのであろう患者さんが寝かされていたが、お互いにそれ以上の事に気を使う能力はまだなかった。
幅広く取られたICUの窓からは、遠く夕暮れの景色が見渡せるはずであったが、ベッドに拘束されている私には、頻繁にやってくる看護婦さんの顔と天井以外に見るものは無い。
それでも有り難いことに、術後の痛みについてはほとんど感じることがなく、ただ寝ているだけの私にもいつの間にか夜が訪れていた。
「今、11時ですよ」、「今、夜中の1時ですよ」と、何度も何度も看護婦さんが時間を教えに来てくれるのが私に安心を与え、真夜中に廣瀬先生が心配して電話をくれたと聞いた時は、心の底から嬉しいと思った。
本当に無事に終わったんだ、と、もう一度自分に言い聞かせて、大きく安堵のため息をつき、私は目を閉じた。
そばにいる事が出来なくて、さぞかし心配しているであろう夫には、「私は元気でここにいるよ、ありがとう!」とテレパシーを送ることにした。ちゃんと届いたかどうか、明日聞いてみよう・・・・。