がんからの贈り物


生きていると色んな事がありますが、どんな事もプラスにもっていく・・・・・。
そんなかんちの母の体験記です♪
きっと皆さんの参考になるのではないでしょうか。

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───第5回───

【 術後の闘い 】

 翌日、ICUを出るのは午前11時頃の予定であったが、待ちきれない家族は朝一番で面会にきてくれた、昨日と同じエプロンをして・・・。
 夫は昨日にも増して爽やかな顔つきを見せ、無事に終わってどんなにホッとしているかが容易に想像できた。
 娘のお腹では、新しい命が8ヶ月目を迎えていた。
母親のガン手術という過激な試練を乗り越えて、これからは安心して子宮内での子育てが出来る。
娘のお腹をそっと触りながら、たくましい子が生まれるに違いない、と私は思っていた。
 個室に移るのはひと仕事であった。と言っても、当然私は動けないので何も出来ない。
看護婦さんが動かしてくれるベッドに寝たままで、私はこれから体験するであろう手術後の苦しみに向けてどう対処したら良いのか、無い知恵を絞っていた。
若い頃に受けた開腹手術の記憶では、暫くの間動く事が出来なかったのでとにかく腰が痛くてたまらない。
付き添いの母にさすってもらったり、腰の下へ手を入れてもらったりと、大変な思いをしたものだった。
今回もきっと、動けない事による腰の痛みはどうしようもないだろう、と覚悟を決めていた。
ところが、年月の経過と共に手術後の回復方法は大きく変わり、早くも個室での2日目には、起き上がってベッドに腰を掛ける、という運動を私はやらされたのだ。
看護婦さんが、肩を貸してくれると言う。その肩につかまって起き上がれと。
私としては、とてもそんな事は・・・というのが本心であった。
 しかし、ここで負けてはいられないとばかりに、眠っていた私の負けん気が目を覚ました。
肩につかまった手に全身の力を込めて、傷口の痛みをこらえながら、よいしょ! と私は起き上がったのだった。
「座れた〜〜〜!」
 その時付き添っていた娘は、一緒になって歓喜の声をあげた。
普段何気なくやっている、起きたり座ったりと言う動作が、実はこんなにも大変な、すごい事だったと気がついて娘は感動を覚えたと言う。

 話を個室の初日に戻すことにしよう。
付き添いの為に暫くの間休暇を取ってくれた夫は、私を看護する事に対してとても張り切っていた。
個室の中を奇麗に整え、大部屋の友人に預かって貰っておいた花々を周りに飾り、自分が寝るボンボンベッドを用意して、いそいそと準備をしてくれている。
看護が始まると、私が痛みに顔を歪ませているような時には、いつでもしっかりと手を握ってくれていた。会社では現在、交替勤務をやっているお陰で夜勤は慣れたもの。
例え真夜中であっても、私が少しでも動こうものならすぐに飛び起きて「どうした?」と訊いてくれる。
至れり尽せりで、誰の目から見てもそれはそれは献身的な看護であった。
 私は申し訳ないと思いながらも、この愛に甘える事にした。
そして、夫の為にもできるだけ早く元気になろう!! と、改めて決意を固くするのだった。
 ところが2日目、順調に回復していく私に異変が起きた。突然の吐き気が襲ったのである。
こらえきれないと判断した私は、ナースコールを押してもらった。
慌てて飛び込んできた看護婦さんが差し出すトレイに、私は溜まっていた胃の内容物を全て吐き出した。
「こんなに溜まっていたんじゃあ苦しかったでしょうね。」
 看護婦さんの優しい言葉が、天使の響きに聞こえた。
何も食べてないのに、何も飲んでないのに、どうして吐くのか不思議であったが、翌日には先生に鼻から管を入れられ、その苦しさにそんな疑問はもうどうでも良くなっていた。
私ののどにお邪魔しているその管は、首を動かすたびに食道を刺激してオエーッとむかついてしまうのだ。
胃の内容物がしっかりと腸へ降りるようにする為には、歩くのが一番良いと言われ、『管を取り除いて貰いたい!』という、その一心で、私はとにかく歩く事にした。
先ずは、部屋の中で少しずつ歩くことの練習を始めたが、それはまるでスローモーションビデオを再生しているような動きだった。
 次の日、個室4日目から病棟の廊下では、夫に見守られながら歩行器にしがみついて歩く私の姿が、何度も何度も行ったり来たりするようになった。
体からは数本の管をぶら下げ、鼻からも管を入れられて、どう見ても奇麗とは言えない姿であるが、そんな事に気を使っている場合ではない。
早く元気になる事だけが、今の私に課せられた唯一の義務なのだ。
吐き気や痛みと戦いながら、一歩、また一歩、自分の運命の扉を切り開くように一生懸命に歩く。
廊下で出会う看護婦さん達が、
「OOさん、がんばって!」
 と応援してくれる。先生も歩きっぷりが良いと誉めてくれる。
私は益々頑張った。その努力の甲斐あってか、しがみついていた歩行器は2日間だけで必要がなくなっていた。
独りで立って歩ける事の嬉しさに、私はどんどんと歩行距離を伸ばし、3日目には屋上にまで行けるようになった。
そして、とうとうその日には鼻の管が抜けたのである。
この、歩くという事をマスターするまでの3日間、私の横にいつでもぴったりと寄り添ってくれていた夫の力が、どんなに偉大であったかを私は知っている。
 そうそう、ICUでのテレパシーが伝わったかどうか聞くのを忘れていたが、今更そんな事、愚問でしかないな・・・と思う私であった。

【 人間の欲望 】

 歩く事も出来るようになって元気を取り戻すと、気持ちに余裕が生まれてきたらしく、私は女である事を思い出していた。
本能である“おしゃれ心”がじわじわと目覚めたのであろうか。
娘と相談して、手入れ不足のため傷んでいた肌に、フェイシャルパックをやろうという事になったのである。
顔の表面にパックを塗ってもらい、乾くのを静かに待つ。
次第に突っ張ってきて、もうじき剥がせるという頃、娘が何気なく言った。
「こんな時に広瀬先生が入ってきたらびっくりしちゃうね。」
 まさにその時だった、
「具合はどうですか〜〜〜?」
 今話していた、その、広瀬先生が入ってきたのだ。娘も私もびっくり仰天、思わず、
「キャ―――ッ」
 と叫んでしまった。驚いたのは先生の方だ。
「ど、どうしたんですか?」
 あまりのタイミングの良さに私は絶句し、反射的にパッと両手で顔を覆っていた。
 シンクロニシティ(同時性or共時性)は本当にあるのだ、と思った。

 人間というのはつくづく面白いものである。
何かトラブルに遭遇した際、それが生死に関わる問題である場合には、生きたい!という望み以外の事は考えられないものだが、その望みが何とか叶えられそうになると、すぐに次の欲望が芽生えてくる。
その欲望も満たされそうになると、またすぐにその次の欲望が芽生えてくる。
何と欲張りな生きものである事か。
しかし、その果てしない欲望のお陰で今日の人類社会が発展してきた、という大いなる事実は否定する事が出来ない。
 ところが世の中には、まれに欲望の無い人がいる。
それは、すなわち希望のない人なのだろうか。生きる為の基本的な“欲望”さえも無い人は、人生に“希望”を持てない人、ということになるのだろうか。
振り返って自分を見つめてみた。
この私には確実に、元気な人生を送りたい!という強い希望が存在している。
だからこそ私の心は今、明らかに次の欲望へと移っていたのであった。

 こうして、歩けるようになり、鼻の管も抜け、色気も少し戻った頃、日課の散歩をしていると、廊下で出会った先生が私の回復振りを嬉しそうに眺めながら言った。
「お昼から重湯を出しましょうかね。」
 私はそう言われて、待ってましたとばかり大喜びはしてみたが、つい、
「重湯だけですか〜〜??」
 廊下に響くほどの大きな声で訊いてしまったのだ。
先生は笑いながら頭を下げてこう言った。
「すみません、重湯で我慢してください。」
 周りにいた患者さん達は驚いて振り返り、隣で聞いていた夫は唖然としていたらしい。
 次に芽生えていた、食べたい!という私の欲望は、重湯だけではどうしても満足できない、と訴えていたのであった。
私は、周りの状況には気付かずに、『自分の患者に食欲があるのは、先生も内心喜んでくれたに違いない』と密かに思っていた。

【 母の想い 】

 個室7日目、ずっと休暇を取って付き添ってくれていた夫が、今日はどうしても夜勤へ行かねばならない。
付き添いのピンチヒッターは、母が申し出てくれた。嫁いで以来、初めての二人きりの夜である。
27年ぶりのことだ。
 母は、ずっと眠らずに夜通し私の顔を見つめていた様だった。
自分の娘が今、目の前で大きな病気と闘っている。
母親として何がしてあげられるだろうか。
きっと母はそう考えながら、私が生まれた時の事や歩き始めた時の事を、走馬灯のように想い出していたに違いない。
成人して、お嫁に出して、孫の顔を見て、ずっと娘の幸せを願ってきたはずだ。
その娘が何故こんな目に会わなければならないのかと憤りさえ感じ、出来る事なら代わってあげたい、と思っていただろう。
母は一言もこんな話はしなかったが、手に取るように気持ちが分かるのは、そう、私自身も母親だから・・・。
もしも自分の娘が患者だったなら、母が娘を思う気持ちには、少しの違いもないはずだ。
 真夜中に目を覚ますと今度もまた、母がボンボンベッドの上に座ってこっちを向いている。
私は気付かない振りをして、「これ以上の親不孝は絶対にしないからね・・・」と無言で伝え、そのままそっと目を閉じた。
 8日目の朝を迎えた。寝不足で瞼を腫らしている母は、極力いつもどおりに装っていた。
夕べは一睡もしていないという事を気付かれまいとして、何度も鏡を覗いている。
私も素知らぬ振りをしていたが、娘が来て3人での会話が弾む中、母は私が気付いていた事を知ってしまった。
「バレてたんだ・・・」
 と、大きく首をすくめて照れながら笑って見せる母に、これ以上心配を掛けてはいけない、と改めて思う私だった。
早く元気になろう! という私の意志は、この時から益々強固なものに変わっていったのである。

 丁度その日、順調に進んでいる私の回復に合わせて、そろそろ大部屋へという話が持ち上がった。
夜勤明けでそのまま病室に来てくれた夫は、その夜の付き添いを楽しみにしていたので、少しがっかりした様子だったが、一歩退院に近づいたと言って、喜んで引越しに取り掛かってくれた。
 私の個室での一週間は、こうして矢のごとく過ぎ去っていったのである。
そして、大部屋に移ってからは、ごくごく順調に回復し、退院を待つのみであった筈なのだが・・・

<続く>

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