がんからの贈り物


生きていると色んな事がありますが、どんな事もプラスにもっていく・・・・・。
そんなかんちの母の体験記です♪
きっと皆さんの参考になるのではないでしょうか。

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───第9回───

【 久し振りのテニス 】

 孫が誕生してからの1ヵ月はあっという間に過ぎ、娘達が自宅へ帰ったあとの我が家は急に淋しくなった。
和室を陣取っていたベビーベッドは姿を消し、真夜中に起きてどたばたと騒ぐ事もなくなった。
生活の全てが赤ちゃんを中心に回っていた日々に比べると、何かポカンと間が抜けてしまっている様だ。
しかしその反面自由な時間が出来て、私の生活はどんどん変わっていった。
体調も良くなりむずむずと動きたくなってきた私は、10月に入って半年振りにテニスをやる事にした。
久し振りのテニスコートには新鮮な空気が一杯に溢れている。
木々の緑に囲まれた静かな公園の中にあるコートで、私は思いっきり息を吸った。
同じ空気なのに、しかも家や病院からさほど遠くない所なのに、やけに美味しい!と思えたのは気のせいであろうか。
テニスクラブの仲間達が、口々に「大丈夫?」と訊いてくれる中、私はみんなの心配をよそにギュッとラケットを握り、ボールに向かって軽く振り抜いてみた。
「スパ――ン」
心地よい音を立ててボールは青空に吸い込まれるように飛んでいった。
瞬間、何とも言えぬ爽快感が身体の中を走りぬけた。
生きているって素晴らしい!元気でいるって素晴らしい!
生命の炎が心の底からめらめらと燃え上がってくるような興奮を覚え、体一杯の幸福感に包まれて、私は何度も何度もラケットを振った。
「今日は30分ほど軽く打って終わりにしよう。」
夫にそう言われて同意をしていた私であったが、やがて、自分の身体が動けば動くほど軽くなってくるのを感じ始めていた。
足が軽い、身体も軽い。実際入院前よりも9キロほど体重が減ったのだから、軽いのは事実だとしても筋肉の衰えは少しも感じてはいなかった。
やはり散歩のお陰であろうか。歩くという事が健康の基本であるとよく言われるが、それが間違いでないことを私は実証したようだ。
「乱打だけで終わるのはもったいない、少しゲームもやっていこうか。」
結局、夫と私はペアを組んで練習試合までやり、気が付けばあっという間に2時間が過ぎていた。
私は思った。こうして身体が、心が、大いに喜ぶ事を思いっ切りやっていたら、ガンも逃げてしまうのではないだろうかと。
そう言えば、いつかテレビで観たことがある。ガンに侵されて余命わずかと言われた人が、最後だから、と、大好きなスキーに明け暮れていたら、いつの間にか治ってしまっていた。
また、同じく不治の病と言われていた膠原病患者が、ベッドで毎日毎日テレビのお笑い番組を観て、大笑いを続けていたら、これもまた治ってしまったと。
そんな事が実際にあるのだ。だとしたら私にもそれが起こる可能性は十分にある。
今回は奇麗に病巣が取り除けて、こんなに元気になれたが、再発の危険性はまだまだ存在する私にとって、この事実は大きな希望を待たせてくれた。
きっと私は大丈夫、もし再発したとしても又すぐに元気になれる!!
そう信じる事にして私はラケットを担ぎ、夫と共に昼下がりのテニスコートを後にした。

【 夫へのメール 】

ある日のこと、テニスも出来るようになった喜びを噛み締めながら、私はひとりノートパソコンの前に座っていた。
こんなに元気になれたのは、どうしてかと考えながら・・・。
そして、心で思っていても、なかなか口では言うことの出来ない沢山の思いを伝えるために、仕事先の夫へ、私はEメールを送った。

『 Subject: ほんとうにありがとう!! 
お仕事中だけど、メールを送ります。
あなたへ、"ありがとう"を言いたいから・・・
結婚してすでに27年、早いものですね。
人生には、本当に色々な事が起こってくるけれど、
それを自分がどうとらえるかで、幸、不幸が分かれるといつも私は思っています。
確かに、傍から見れば私の病気はとても大変な事でした。
ガンと聞かされた時は、分かっていても正直ショックでした。
ハンマーで頭を殴られたような・・・
でも、それはほんの一瞬の事で、
「あ、私がしっかりしていなければ」と、すぐに思いました。
何故?って
先にそれを聞いたあなたと娘は、
私よりずっとショックが大きいに違いないと思ったからです。
検査入院の時、「奥さんに、本当の事を言いますか?」と先生に訊かれ、
「一心同体ですから、妻と二人で頑張りますから言って下さい。」と、答えてくれたあなたの気持ちを知った時、涙が込み上げてきました。
私が落ち込んでいるわけにはいきませんでした。
"私のことを、自分以上に心配してくれる人がいる"
そう思うだけで私には幸せが訪れてくるのです。
ただ、
私は幸せになれるけど、あなたや家族や周りの人達に、大きな心配をかけてしまうことがとても辛かった・・・
だから早く元気にならなくては、と一生懸命頑張りました。
手術後の苦しい時、痛みや吐き気と闘いながら、歯を食いしばって歩いた病棟の廊下、
先生や看護婦さんたちが「OOさん頑張って!」とエールを送ってくれます。
嬉しかった、本当にありがたかった。
そして何よりも、片時も離れずに付き添ってくれたあなたと娘の看護、
苦しい時にはいつでもあなたがしっかりと手を握ってくれていました。
温かかった・・・・・
あなたの気持ちが伝わってきて、ス―ッと不安が消えていくような気がしました。
"私が元気にならなければ、あなたに申し訳がない、神様に申し訳がない"
そう思って、私もがんばる事ができました。
歩けるようになってからは、屋上での散歩が、いつもとても楽しみでした。
爽やかな夕暮れの風が心地よく頬をなでていく中で、街が夕焼けに赤く輝いていて・・・
私はあなたに守られている!
そう強く感じました。

人には、必要な時に必要な事が起こるといいます。
身の回りで起こるすべての出来事は、その人にとって必要かつ必然な事だと。
私にとって、今回の入院は本当に色々な事を気付かせてくれました。
言葉だけでは言い表せないとてつもなく大きな何かを・・・・・
そして今、私はとっても元気になりました。
あなたのお陰です。あなたや、娘や、みんなのお陰で本当に元気な自分を取り戻しました。
私の身の回りの全ての人に、
身の回りの全ての物に"ありがとう"と、大きな声で叫びたい。
あなたに、家族に、
そして私のことを心配してくれた周りの人達に、心から感謝します。
ありがとう!!! 』

夫は、仕事中に届いた一通のEメールに驚きながら、込み上げてくるものを懸命にこらえていたと言う。

【 術後の内視鏡検査 】

 手術を受けた日から4ヶ月以上が経過していた。
今日は外科外来で、術後初めての内視鏡検査を受ける日である。
あの、内科へ検査入院した時と同じ2リットルの水溶液を、私は朝早くから自宅で飲み続けていた。
苦味や辛味はないが、味があまり無いというのも飲みにくいものである。
変に甘い香りがして、やっぱりまずい! しかし、今回は少し気分が異なっていた、と言うのも、奇麗になった自分の腸を見られるのだから、当たり前の事であろうが・・・。
6時から8時にかけて、あの時と同じ様に鼻をつまみながら、私は懸命に飲み干した。
鼻をつまむと匂いが分からなくなるので、意外とのどを通りやすくなる。
前回よりは上手に飲めたかも知れないと思いながら、私はハンドルを握り病院へ向かう。
検査室の前には2〜3人の患者さんが待っていた。
少しして呼ばれると中で検査着を渡された。
着替えた私は椅子に座って順番を待つ。隣には83歳というお爺さんがいて、私に話し掛けてきた。
「あんたは若いのに、どこが悪いんだね?」
いつかも同じ様な質問をされたみたいな気がする。私はその時と同様に、
「ガンなんですよ。」
と笑顔で答えた。お爺さんは、驚かなかった。そして、もっと親しげな顔になって話し掛けてきた。
「わしもそうなんだよ。」
そうか、驚かないわけだ、と思った。
「内視鏡はこれで3度目さ。あの、薬を飲むのんが大変だよね。ま、取っちゃえば良くなるんだから、それでいいさね。」
私と同様にプラス思考の人らしい。私は、少し嬉しくなった。
検査の順番が回ってくるまでに、そう時間は掛からなかったが、私はいつになく緊張している自分を感じていた。
やはり、手術前の内視鏡検査の苦しみが脳裏に甦っていたのであろうか。
だが、今更逃げる訳にはいかない、覚悟を決めるしかない!と思った。
検査台に上がり準備が整うと、緊張はピークに達した。後ろから聞き慣れた廣瀬先生の声がして、やっと少しだけ気持ちが楽になった。
そして、私の目はあの時と同じくモニターの画面に釘付けに・・・。
目の前に少しずつ映し出されていく私の腸の内部。
ごつごつしていて表面が赤くただれた腫瘍と出血で真っ赤に染まった、あの時の画面を思い出す。
今日の映像はどれくらい異なっているのだろう?私の好奇心は時間の流れと共にぐんぐん高まっていった。
そして、徐々に内部へと進んでいく映像を見て、私は心の中の両手で大きく拍手をした。
何故なら、驚くほどに奇麗な肌色の腸壁が、ずっと続いているのだ。みごとであった。
半年前の自分の映像とは比べものにならないほど清々しい。
画面はどんどんと奥へ進み、曲がり角の所へ来ると少しつかえるが、不思議な事に痛みが全く無い。
手術の痕である腸の継ぎ目が何処にあったのか分からないほどで、あれよあれよと言う間に内視鏡の先は小腸の入り口にまで達していた。
つなぎ目がどうなっているのかを確かめたかった私は、先生にお願いして帰りがけにもう一度止めて見せてもらった。
少し狭くなって繋ぎ止められているその場所は、もとS状結腸のあったところだが、ここに、あの不気味なガンの塊が存在していたなどとは、想像もつかないほど奇麗になっていたのである。
嬉しかった。
入院中のダイアリーに、"今は、早く良くなってきれいになった腸を見るのがささやかな夢"と書いたのを何となく思い出していた。
これで、私の夢はひとつ叶えられた・・・。

【 秘密 】

テニスが出来ることに自信をつけた私は、地元の地区で行われる体育大会にも参加をした。
私が元気良く走っている姿を見て、同じ町内の人達はとても驚いている様子だった。
風の噂に聞いていたと言う人あり、又、直接聞くのが怖くて電話が出来なかったと言う人あり、世間一般では、ガンという病気のイメージが如何に暗いものであるか、という事を知らされた。私は思った。
『よし、それなら私がうんと元気にしているところを見せて、その暗いイメージをぶち壊してやろう!』と・・・。
私は一日中飛び回って自分の元気をみんなにアピールした。
次の日、近所の奥さんが嬉しそうに言ってくれた。
「OOさんが走ってる!って、みんなで驚いてたんだよ。」
 それから3週間後の11月14日、この日は市で行われる今年最後のテニス大会の日だった。
夫はソフトテニス協会の事務局を承っているので、いつも大会の運営に当たっている。
私はまだまだ思い通りのプレイは出来ないながらも、大会に参加する決意を固めていた。
と言っても付録参加なので、勝敗を考えずに夫とペアを組んで出ることにした。
何時になく早起きをした当日の朝、夜勤明けの夫と共に勇んでコートに向かう。
公園に近づくと、遅い紅葉が晩秋の風にさらさらと揺れていた。
夫は眠い目をこすりながら、
「今日は勝つ事よりも、体力増強のつもりで行こう。」
と、今から言い訳を言っている。
案の定、第1試合は負けてしまった。
夫の身体は本当に目覚めていなかったようだ。
それもそのはず、殆んど寝ていないのに、私のために試合に出ようと言うのだから・・・。
『無理させてごめんね』と、心の中で一応謝っておいた。
同じコートの次の試合は、二人で審判をやることになった。
ポーンポーン、バシ!と順調に試合が運ばれていく中、ふと本部席の方に目をやると、テントの横に一人の男性が自転車にまたがって立っている。
きょろきょろとあたりを見回して、明らかに誰かを探している様子だ。
次の瞬間、私は心の中で『あ―――っ!』と叫び声をあげた。
それは、廣瀬先生だったのだ。見に来て下さいとは言っておいたものの、本当に来てくれるなんて・・・。
試合が終わると同時に、私は夫に駈け寄りそのことを告げた。
夫は夜勤明けの眠気など、どこかへ吹っ飛んでしまったようで、すぐに本部席に走った。
私は外来で何度も先生に会っているが、夫にとっては本当に久し振りの再会だったのだ。
ぺこぺこと頭を下げながら近づいていく二人の姿は、何とも滑稽で微笑ましい。
そして退院時以来4ヶ月振りの3人でのミーティングが始まった。
和やかに盛り上がっている私たちを見て、不思議そうに寄って来たテニス協会の会長やクラブの人達に、夫はこう紹介をしていた。
「主治医の先生です、家内の命の恩人ですよ!」
みんなも、そうかそうかと言うように、温かい感謝の眼差しを投げ掛けてくれた。
私達の間では、再び取り留めのない話の輪が広がっていく。
やがて、夫が誰かに呼ばれて少し席を外したその時だった、先生は私に向かってこう言った。
「入院は25日でいいですよ。」
廣瀬先生は、この事を伝えるために試合を見に来てくれていたのだ。
実はこの時、私は夫に対してある大きな秘密を持っていたのだった・・・・・。

<続く>

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