私は現在45才・息子25才。
今となっては 思い出しても悲しい事なのだが 同じような思いをされている方もいるのではないか・・との思いから そして私の中で未だに引きずっている過去であり 自分への決着を付けたいと思い こんなHPを作ってみたのです。

どこまで自分自身をさぐっていけるかはわかないが 出来る限りやってみたい。。。



20才の時に息子を生んだ。
少し小さめだったが ギリギリ保育器に入らずに済んだ。
妊娠中は特に異常はなく 分娩自体は逆子ではあったが普通に出産した。

息子は赤ちゃんの頃より 風邪をひきやすかったり 風邪から肺炎になりやすかったりで 大病はしないまでも中学を卒業する位まで 年に数回必ず入院生活をしているような子供だった。多い時は1ヶ月おきに入院していた。

学校の成績は 休みがちながらも普通だった。というか 好きな科目と嫌いな科目との差は かなりあったように思う。
理数科系が好きでこれは問題なかったが 英語・国語は大嫌い。英語なんかは 見ただけで鳥肌が立つ と言うほど嫌いだったようだ。

小学校3年の時に 転校をした後「親友」といえるような友達は出来なかったような気がする。 協調性というものには欠けている子だったが 特別他の子と大きくかけ離れた行動をとる子でもなかったと思う。

入退院を繰り返す事により 必然的に学校は休みがちになっていった。 勉強が遅れる とかよりもクラスの流れというものには 全くついていかれなかっただろう。





そんな学校生活を送っていたせいか 学校にはあまり行きたがらないようになったのが 小学校高学年位からだった。
体が弱かったのを利用して よく仮病を使って私に「休む」事を訴えていたが ある程度は騙されたフリをしながらも 時にはなんとか登校する気になるようにうながしていた。
それでも小学生のウチは 登校拒否というにはほど遠く 入院している時以外は 休みがちながらも行っていたので その後に起こるイロイロな事態は予想もしていなかった。





中2の途中から学校へ行かなくなった。
始めのうちは2、3日もすればまた行き始めるだろうと思い たいして気にも止めていなかったが 1週間が過ぎても登校しようとしない。
2週間が過ぎたが やはり行かない。
そんなあたりで「登校拒否」という言葉が私の中で 初めて浮かんできた。そうなると 私自身にあせりが出て来たような気がする。
そんなあせりのせいで 息子と話しをしてみたり 理由を聞き出そうと問い詰めてみたり 挙句の果ては一方的に私の思いをぶつけてみたりした事もあった。それに対して息子は 何も言わずに黙り込んだまま聞いている時もあれば 「うるせえな!頭が痛いんだからしょうがねぇだろ!!」などと 怒鳴り返してくる事もよくあった。

1ヶ月が過ぎ 学校へは最初の頃に「体調不良」という事で欠席の連絡をいれたきりだったので そろそろまた連絡を入れておかないとマズイなぁ、と思っていたが 今思えば1ヶ月も生徒が欠席しているのに 途中何の連絡もして来ない学校も学校だな と思う。

元々休みがちだったので塾へは通わせていた。
登校拒否が始まっても 塾へは自分から進んで行っていたので これはやはり何か学校へ行きたくない理由があるはずだ、と感じていたが それを息子自身の口から聞き出そうとすればするほど 息子を追い詰めるような状態になっていた。

1ヶ月が過ぎたので こちらから担任の教師に電話を入れてみた。
「毎朝頭が痛いなどと言って学校へ行かない状態なんですが 何か学校であったり 気が付いた事とかありませんか?」と聞いてみた所 女性の担任教師は即座に「あら〜、本人がそう言うならそうなんでしょー?ゆっくり休ませてあげてくださいよ、お母さん。学校では何も変わった事なんかないですよ〜。いつも明るくて イジメとかなんかないですよー」と、いとも簡単に軽く言われた。

・・・ダメダ!
学校に相談を持ちかけても無駄だ!と、悟った。
原因がどこにあろうが 息子を救ってやれるのは親しかないんだ!そう感じた瞬間だった。
それからは息子に 学校へ行くようにという事は一切言わないようにしたが このままでいいとは思えなかった。

あの頃はまだ今のように「フリースクール」のようなものも 耳慣れない時だったが ないわけではなかったので そんな話しもしてみたり 転校する事も出来るよ と提案してみたりもしたが 本人からは何の返事もなかった。

学校へ行かない自分と 本人なりに悩み戦っているんじゃないか と思えた。
ほとんど日中は自分の部屋で過ごし 家族が寝静まると居間などにも来ている様子で こんな事を長くさせていては 今で言う「ひきこもり」になって行くのが目に見えていたので とにかく私自身が「学校」という所へ息子を戻そうという気持ちを 吹っ切らなければ息子がダメになって行くような気がした。

数少ない友達から 時折電話がかかって来たりしていて 電話では楽しそうに会話をしていた。その度に「明日こそ行くゾ」と、思っていたようだった。

最終的に私は息子に「学校だけが全てではないから 行かなくてもいい」という事や「人間は 何もしないで無期限でただ家でゴロゴロして 好きな事だけをしていればいい と言う事はいけない」という事などを話し合い 自分の中で答えが出るまでは のんびりしていてもOKにし ただ、朝はちゃんと起きて朝食をとる、出来る範囲で家の手伝いをする事、夕食も家族と一緒にとる事などを伝えて 学校の事には一切触れなかった。

そうこうしているうちに ある日突然学校へ行き始めた。 それもまたなぜかはわからない。今思い返してもわからない。きっと自分の中で何かが吹っ切れたのかもしれない。

結果的には 2ヶ月半程欠席していたんだと思うが この間に私と息子は いろんな事があった。息子はあまり暴力的になるような事はなかったが それでも言い合いになり 側にあるガラスの灰皿を私の方に投げつけてきたり ドアを思い切り閉めてみたり 自分の部屋の壁を思い切り殴って穴を開けてみたりなど。物を私に向けて投げて来ても 一応私に当たらないように投げているのが見てとれるようだった。

暴力というのは エスカレートする傾向にあると思うので これ以上息子の行動が暴力的になってはマズイと思い そのような状況にならないよう心がけたりもした。息子が暴力的になるのは 学校へ行かない事の原因を知りたくて 私が問いかけても答えが返って来ない事へのいらだちから 結局は息子を責めるような言葉を投げかけたりしているあたりから息子もいらだち そのようになって行くんだなぁ、と感じ 常に「今1番苦しんでいるのは 本人なんだから」と 自分自身に言い聞かせた。

なにが原因で登校拒否になり 何が原因で再び彼を学校へ向かわせたのかは 結局の所 親には何一つわかなかった。
だがおろかな母は 学校へ行くようになった息子を当たり前のように見送っているうちに その時の苦しさなどはすっかり忘れてしまうのだった。
学校が全てではない いろんな道がある などと、さもわかったような事を偉そうに言ってたくせに それも忘れてしまった。



その後中3になり そのクラスや先生とは気が合ったのか かつて登校拒否をしたなんてウソのように 学校生活を楽しそうに送っていた。

いよいよ進路相談が始まった。
成績は始めにも書いた通りだったが 全体的には中の上とうカンジだった。しかし 進路相談の1回目で先生から言われた言葉は 本人も私もショックだった。

「2年生の時に 何の理由もなく長期欠席してますよね。これって成績がどうのって言うよりも マズイんですよ。こんなに休んでいた子は どこの学校も取ってくれないんですよね。」だった。

あの休んでいる期間に 私は学校に対しSOSを求めた時に学校側は 知らん顔をしたではないか!・・・本当に驚いた。 あの当時は今のように「イジメ」や「登校拒否」などを 学校も世間も真剣に取り組む姿勢はなかった。登校拒否=なまけ病=甘やかせ という認識程度だったのだ。

息子はすっかり進学の気持ちはなくなり 高校へは行かない と言い出した。
私はあせった。。。 そして いやがる息子をなんとかいい含めて 私立の高校へ進学させたのだった。