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| 10月31日(水)午前中、作文の授業を3年生の1組2組と続けてやった。だいぶ日語科の授業は慣れて、どうやったらこの学生達の力を伸ばすことができるかを考えられるようになってきた。社会人院生が聴講に来てくれた。徐々に私にも人間関係というようなものができてきたような気がする。夜、NHKの衛星放送のニュースを見に日本研究センターへ出かけていくと、私のそばに院生が寄ってきて、放送のわからないところを質問してきた。放送が終わってからも、少し話をした。いろいろな機会を捉えて、学生達と話ができるようにしよう。学生が集まるところに積極的に顔を出してみよう。そうそう、午後スーパーに買い物に行った。食料品をだいぶ買った。今までスーパーの食品売り場での買い物がこんなに楽しいものだとは少しも知らなかった。やはり、食は文化だな、こんなにも人の生活に影響を与えることができるんだから。南開大学の京劇の劇団が、先日函館での公演を終えて帰国した。日語科の学生に日本の印象を聞いたら、「とてもきれいだった。でも毎日日本食はきつい。」と私と同じようなことを言っていた。何が一番おいしかったと聞いたら、「カニラーメン」といっていた。私は食べたことがない。是非その蟹ラーメンを北海道で家族そろって食べたいものだ。日本にいた時は、食事なんてとりあえず、おなかに入れればいいという感じで、特に生活の中で重要な要素ではないと思っていたが、いやぁこれほど重要なものだとは本当に認識を改めさせられました。さて明日は何を食べようか。 |
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2001年11月01日 10時33分21秒
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| 10月30日(火)今日は、午前中はのんびりと調べものなどをしていた。午後は、授業だ。5時頃帰ってきてお茶を一杯飲んで、6時から(日本時間7時)のNHKのBSニュースを見に行く。日本のニュースだが3分の2くらいは、アメリカとアフガン関係のニュースだ。それと雇用問題。日本の雇用問題については、先日少し大学院の授業の時にふれておいた。私の話、ニュースで聞いた話、似たような話をいろいろなところで違った角度から聞くというのはいいことだ。日本のいろいろなことを教えたい伝えたいのだが、中国と同じなのか違うのかがわからない。今日も定年制度や年金制度の話が出てきたのだが、中国でどうなっているのかがわからず、説明するのに手間取ってしまう。なんとなく、授業と言うよりお互いの情報交換の場みたいになってしまう。中には、教科書の読解はどうでもいいから、もっと日本の話を聞かせてくれと言う学生もいるくらいだ。まあ、せっかく日本人が持っている授業なのでそれでもいいかなとも思う。今度、ドイツ人が私の授業を聞きたいという申し込みがあった。もちろんお受けした。なんだかとってもグローバル。世の中、本当に明日のことはわからない。私が中国人に授業をし、それをドイツ人が聴講するなんてことは、今まで考えたことがない。将来がわからないからおもしろいのだろう。この不思議な体験を思おう存分楽しむことにしよう。明日も頑張るぞ。 |
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2001年10月30日 23時28分33秒
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| 10月29日(月)今日もいい天気だった。今日は、午前中ちょっと寝坊をして、天津の街中をぶらぶら散歩して、スターバックスコーヒーでコーヒーとサンドイッチのランチとしゃれ込んだ。スターバックスの入っているビル、「天津国際大厦」の2階に、ちょっとしたスーパーがあって(おそらく外国人相手)そこで、ケロッグコーンフロストを見つけた。もちろん買った。レギュラーサイズ250グラムで35元(約500円)どうだろう日本と比べて。どうしても日本にいた時に近い生活をしようとすると、高い買い物をするようになる。まあ日本円で考えるとたいしたことのない額だが、こちらでは中国の相場で中国元で給料をもらっているので、私の給料も日本円だと4万円にもならない。中国の金銭感覚で生活しないと給料が足りなくなるのかな。今のところ足りなくなったりしていないからいいかと思う。このビルに日航の営業所がある。カウンターに行って、国際線時刻表をもらってきた。きれいな女性ときれいな日本語で話をするのは本当に心が落ち着く。ここでは前日の朝日と日経を読むこともできる。また是非こよう。午後は作文の添削の続きをした。4時くらいまでかかった。どうなおしていいのか悩むようなものが多くてつらかった。説明のしにくいものも多い。日本人に教えるのとはまただいぶ違う。6時から、日本研究センターでNHKの7時のニュースを見ることができるというので行ってみた。日本のことを勉強している学生達が毎日たくさん来ているようだ。私も時間の許す限り来てみよう。インターネットでだいたい知っていることでも、人の声で説明されるとまた違って聞こえる。真剣に見ている学生達の反応を見るのも、おもしろい。さあ、明日から授業だ、頑張ろう。 |
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2001年10月29日 22時47分03秒
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10月28日(日)今日は、3年生の作文の添削をやった。なかなかよくかけていたので、次回からは、もっとレベルをあげた課題にしてみようと思う。午前中、掃除をしてもらっている間に天津タワーの近くにある「グッドラックストアー」というお店に行って来た。ここは輸入品が多い。日本のしょうゆ、みりん、ポン酢、そばつゆと何でもそろう。私は、ボンカレーにうどん、ポッキー、コーヒーフィルター、伊藤園の「充実野菜」(野菜ジュース)を買った。いかにも外国人の買いそうなものだと店員は思っただろう。こういう外国人向けのような品物は非常に高い。たとえば伊藤園の充実野菜(930g)は、53.3元(日本円で約800円)こちらで買うコカコーラの約十倍となる。ちなみにコカコーラは、もうすっかり中国人に浸透しており、ソフトドリンクといえばコカコーラだ。今日は非常に天気のいいすがすがしい一日だったが、空気は冷たかった。(左の写真は今朝私の部屋のベランダから撮影したものです。)ブルゾンなしでは自転車に乗れない。あっ、テレビに坊主頭のいしだ壱成が映っている。化粧品を手にした松嶋菜々子も。松嶋菜々子は中国でも有名だが、いしだ壱成も有名なんだろうか。それとも麻薬問題で報道されているのだろうか。今度学生に聞いてみよう。
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2001年10月28日 20時58分57秒
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| 10月27日(土)今日は一日天気が悪く、傘のない私は結局一日中部屋にいることとなった。何度か今までに、傘か合羽を買おうとしたことがあるのだが、あまり雨が降らないので結局買っていない。今日は、ホームページをだいぶ作った。HTMLもだいぶわかるようになったかな。もう一歩だけど、それでもとにかく作れるようにはなった。天津の案内と南開大学の案内は、どんどん充実させていくつもり。それから、まだ中国語を勉強する余裕がないが、そろそろやってもいいかな。気持ちの問題だと思うけど、なんか、特に不自由を感じなくなってしまったのはきっと良くないことだと思う。もっと困れば、やる気が出るのになぁ。今日、曲阜師範大学の鈴木先生からメールが来た。鈴木先生も随分頑張っているようだ。遼寧大学の岩永先生とも連絡が取れるようになったし、これからもっと中国の仲間とも連絡を密にとって楽しくやっていこう。明日は、学生の作文の添削をやろう。 |
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2001年10月27日 22時22分45秒
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| 10月26日(金)今日は午前も午後も授業だ。ここ二、三日天気が悪かったのだが今日はいい天気だ。天津では、一雨ごとに冬になるそうで、あと2回くらい雨がればきっとほとんど冬ですね。やっと一週間が終わり、私は月曜日に授業がないので、3連休となる。そうだ私は週休3日なんだ。今気がついた。日本だったらうれしいのに。ここではあまりうれしくない。最近本当に外食をしない。3食部屋で作って食べている。昼間、愛妻晴美より電話あり、夜は真弓姉さんより電話あり。やはり直に電話で話をすると、落ち着く。メールも内容を伝えるにはいいが。気持ちというか雰囲気というか、メールでは伝わらない温もりのようなものが肉声だと伝わるような気がする。明日からの3連休でホームページを作るぞー。ご期待ください。ではまた。 |
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2001年10月26日 23時44分15秒
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| 10月25日(木)8月の25日に日本を発ってちょうど二ヶ月になった。どたばたどたばたじたばたじたばたとあがいていたらあっという間にたった二ヶ月だった。妻に、あっという間だったなと言ったら、「あっと言うまぁー?」と聞き返されてしまった。我が家は我が家で波瀾万丈、日々是決戦のようで、我妻にとっては決して短い二ヶ月ではなかったようだ。本当に家族不幸な、頼りない旦那だ。しかし世の中よくしたもので、そういう旦那にはそれなりにしっかりとした家族が居るもので、みんなで悪戦苦闘楽しく、忙しい毎日のようだ。下の息子裕寿は、もうすぐ5ヶ月になる。日本を発つ時にはまだ首も据わっていなかったが、今はだいぶ体も大きくなり、首もしっかりと据わったようだ。電話の向こうで元気のいい声も聞こえている。声もだいぶ大きくなったようだ。そうそう、話は変わるが、今日大学院の一般教養の日本語の授業が終わった時に、聴講生の一人が(40代位の企業派遣の男性)、「先生の授業は大変ためになる。ほかの授業もでられる時があったら、聴講させてもらえますか?」と言ってきた。大変うれしかった。国が違おうと、文化が違おうと、誠意と笑顔はやはり通じるもんだと、大変うれしく、そして何とかこれからもやっていけるなという自信にもなった。こういう人がいる限り、楽しく内容のある質の高い授業をしていかなければならないとますます気が引き締まる思いだ。今日も寒い、日本はどうだろうか。明日頑張れば、今週も終わりだ。がんばろう!! |
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2001年10月26日 00時15分33秒
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10月24日(水)今日は、3年生の作文の授業の日だった。中国の名前をおぼれるのは日本の名前を覚えるのよりも慣れていない分だけ覚えにくい。まだまったくと言っていいほど名前を覚えていないので、今日は出席を取りながら写真を撮らせてもらった。部屋に帰って整理するともうそれだけでかなり覚えられてきた。ちょっとした工夫なり意識の変化なりで、覚えにくいものも楽に覚えられるようになる。今日は朝から、もやがかかったような一日だった。陽が出ずに、午後からは今にも雨が降り出しそうなそんな寒い一日だった。木々の葉が、一斉に落ちてきて、掃除の係りの人達は一日中忙しそうだった。この部屋の前の留学生宿舎の壁に蔦が這っているのだが、来た時には青々しい色だったのに、今日見たら真っ赤に変わっていた。時のたつのは早いものだ。今日のおもての景色は、もう冬の到来を告げているようだ。日本の今日はどんなかな。やはり寒いのだろうか。明日の授業の支度をすませたら休むことにしよう。では…。
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2001年10月24日 21時24分21秒
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| 10月23日(火)今日は、午前中は午後の授業の準備、午後授業と忙しい一日だったが、放課後5時過ぎに自転車をとばしてスターバックスコーヒーに行った。豆の残りが少なくなっていたのだ。やはりおいしいコーヒーが飲めると言うことは、大変心が落ち着く。6時半頃帰ってきて、7時頃から食事の支度、お隣の石橋先生に卵をいただいたので、明日のお昼は卵焼きでも作ろうか。そうそう、ホームページに南開大学の紹介と天津の街の様子を知らせるページを追加しようと思いついた。早速明日から写真を撮ったり、紹介文を書いたりしてみよう。実は、もうすでに実験的にページを作ってリンクを張ってみた。きちんと動いている。これならできそうだ。私のホームぺージもずつ改良され、来年帰国する前に完成と言うことになるのだろう。是非ともよいものにし、一生の記念作品としたいものだ。 |
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2001年10月24日 00時07分57秒
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10月22日(月)今日は月曜日、授業のない日。中国に来てはじめて一度も部屋からでなかった記念すべき日。前は部屋からまったく出ないのが、よけいなことをいろいろと考えてしまいそうでちょっと怖くて、できるだけ出るようにしていた。最近は、だいぶ精神的に落ち着いているので一日部屋にいても何ということもなく、優雅に過ごせるようになった。昨日に引き続き本を読んでいる。それに授業の準備に、テレビ(最近まったくわからないなりに中国語の放送を見るのが少しずつ好きになってきた)に、昼寝、それと昨日4年生の韓国人留学生が、卒論を私の指導で書きたいという。内容はアイヌの文化についてということだった。うーむ、いくら私が日本人でもアイヌは詳しくないよ。そう思ったので今日はインターネットでアイヌ関係の調べごとなどをした。ここで集められる資料は、だいぶ限られてしまいそうだ。部屋で過ごす時は、机の前にぶら下がっている折り鶴をよく眺めている。野球部マネージャー作だ。ひばりが丘高校のみなさんはどうしてるかなと思いながらね。
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2001年10月22日 20時37分01秒
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10月21日(日)今日は、大学院生(李研さん)に手伝ってもらって、応接テーブルを買いに行った。応接セットの中のテーブルが、何かの理由でばら売りになったという格安なお買得商品があると店員に勧められたのがこのテーブルだ。この私の部屋には不釣り合いなくらいに立派なテーブルだと思うのだがなんと、280元(日本円で約4千円)だという。信じられない。安い安いと喜んでいたら、学生が先生は金持ちだからだといった。中国の肉体労働者達、いわゆるブルーカラーの人達はだいたい月給が3〜5百元程度だという。私が今日買ったテーブル一個分くらいの月給の人はいくらでもいるという。大学を出た優秀なエリート達の初任給が2〜3千元というから、貧富の差が随分大きい。貧富の差、生活水準の差は日本より数倍大きい。私の日本での月給は中国元で言うと3万3千元くらいだ。これは中国のエリートの十倍、一般労働者の百倍の金額になる。いかに物価や給料に違いがあるかがわかる。しかし、年末には中国はWTOに加盟し、海外との経済交流が急激に盛んになるので、きっと物価や給料もどんどん日本や諸外国に近づいていくことだろう。もしかしたら、今年から来年にかけての中国を見ることができるというのは本当に貴重な経験になるのではと思う。
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2001年10月21日 17時27分43秒
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10月20日(土)今日は、鬼束ちひろの「月光」と今井美樹の「潮騒」インターネットでダウンロードして(1曲350円)、繰り返し何度も聞きながら料理を作ったり、本を読んだりしていた。今も「月光」が流れている。本は司馬遼太郎の「覇王の家」だ。こういう強く生きる人間の姿が描かれた作品を読むと生きる力がわいてくる。中学生の時、「青春の門」の主人公信介の親父さんにあこがれて、こういう口数の少ない強い男になりたいと思って、わざと無口なまねをしたりした。結局あまり強い男にはなれなかったが、今でも強い生き方をしている人を見ると立派だと思う。少しでも近づきたいと思う。夕食は昨日と変わらないが、昨日より要領よく、素早く上手にできた。キャベツともやしとベーコンの炒め物、冷凍食品の餃子、ご飯(どんぶり)、みそ汁(即席)こんなものでも、私にとっては信じられないほどの進歩です。我が家のコンピューターが復活し、やっとメールの交換ができるようになりました。家族の力は、やはり偉大で、たとえ離れていてもその人のために生きていくことができます。人はやはり、人に生かされていきているんだなと最近本当によく思います。
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2001年10月20日 20時25分22秒
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| 10月19日(金)今朝、7時半に大東文化大の実習生3名(池田君・矢口さん・三好さん)が日本へと帰っていった。日本時間の2時に名古屋着といっていたからもう自宅にいるだろうか。この間だいぶ日本人と話ができて、精神的にも安定することができた。本当に3人に感謝だ。一緒に見た「東京ラブストーリー」今日は一人で見ようかな。晩ご飯に、いつもの野菜炒めとベーコンとそれから冷食の餃子を一人で焼いてみた。まあ何とか食べられた。セロリが入っていたのにはちょっとあせった。中国の餃子は、種類がいろいろあって、多分袋にセロリ餃子って書いてあるんだろうな中国語で。私は、野菜が入っていると書いてあると思って買ってきたんだけど。みかんもたくさん買い込んだ。リンゴもおいしい。これからは暖かい部屋でみかんという季節になるんだな。明日明後日はのんびり読書と言うことにしよう。 |
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2001年10月19日 20時48分04秒
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| 10月18日(木)今日は、午後大学院の一般教養の日本語の授業があった。今日はプリントを作って持っていった。中国の人達は、言葉はともかくとして日本の政治家とか官僚のこととか私が考えているよりもっともっと詳しかった。昨日の講演会の講師秋山昌広という人は、今日インターネットで調べたら、一時期防衛庁のトップにいた人だった。ガイドラインを作ったのもこの人が中心になってのことだった。NEC、東洋通信と防衛庁の間で癒着が問題になった時もまだ、この秋山さんがトップだった。防衛庁からたくさんの逮捕者を出すという一大不祥事の責任を取る形で、秋山さんは辞職していた。どこかで聞いた名前だと思った。日本でいろいろと聞き流していたニュースや出来事が、ここ天津にいて少しずつ整理されていくようだ。本当に日本を離れることによって日本を知ることができるようになってきた。おもしろいものだ。明日の朝早く、日本から来ていた大東文化大の3人が、天津を離れ、帰国する。見送ってあげよう。見送りながらも、気持ちは見送られてしまうような気がするが。何しろ相手は日本へ向かうのだから。相手が日本へ帰るのか、こちらが再び天津へ行くのかわからないような感じだ。ときどきここがどこなのかわからなくなることがある。夜ふと目覚めて、辺りを見回すことがある。まあ、ここにいることにそんなに不自然さは感じなくなったが。一人の時間が少し楽しくなってきた。俺も大人になったということか。 |
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2001年10月18日 22時30分39秒
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| 10月17日(水)今日は、午前中ぎっしりと3年生の作文があるはずの日なのだが、夕べ連絡があって元防衛庁事務次官 秋山昌広 という人が日本研究センターで講演をするので、日語科の学生は聴講することになり、私の授業は休講となった。しょっちゅういろいろなことで休講となり、まあ楽でいいようなものだが突然なのがやや困る。元防衛庁の役人の話など、日本ではなかなか聞く機会すらないが、ここでは外務省やら防衛庁やらに直接関わった人がやってきて講演をするので、日本にいてはわからない日本の姿を知ることができる。またこういう話題を身近に感じることができる。こういうことがきっと日本を客観的に見るということなんだろう。今日の講演に対する質問の中で、日本の防衛は、中国を仮想敵国として作られたものなのかという質問が出て、一瞬どきりとした。講演者は非常に冷静に常識的にそして理論的にそうではないということをわかりやすく説明していた。しかし、そういう質問が出るということ自体が、問題なのではないでしょうか。考えさせられます。 |
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2001年10月17日 23時09分53秒
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10月16日(火)今日は朝8時から、大東文化大学の実習生矢口さんの授業があったのでのぞかせてもらった。三好さんの時といい、なかなか新鮮な感じで自分にもこんな時期があったのかなあと、何となくこちらが恥ずかしくなるような照れくさいような、そんな気がした。午後は例の大学院の一般教養の授業をした。みなさん聞き取るのが大変だが、それでも頑張ってついてきてくれている。こちらも頑張らなければ。夕方は、またまた大東文化大学の3名と天津タワーに登った。思った以上に高くて、とてもきれいだった。入場料50元という金額も高いが、それなりに良かった。また帰るまでに何回か登ってみよう。晩ご飯に今日は北京ダックに挑戦と思っていたのだが、そのお店が貸しきりとなっていて入れなかった。結局、よく行く韓国料理屋でもやしチャーハンを食べた。とてもおいしかった。明日は午前中だけなので、晩ご飯は自炊してみようかな。
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2001年10月16日 22時48分40秒
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| 10月15日(月)今日は、授業がなかったので朝から、9時から福岡教育大学の杉村孝夫先生の特別講義を聴いた。大学院生対象の講座で、10名程度しか受講生が居なくてもったいないような状況だった。しかし、こんなにしょっちゅういろいろな人を呼んで、よほどお金があるんだな。意味論についてだったが、ちょっと院生でも難しいかもしれない。明日は同義語なのでもっとわかりやすい内容になるだろう。昼は中国のカップラーメンを食べたがこれはちょっと口に合わなかった。この前食べた、日清の海鮮ラーメンの方がおいしかった。どちらも中国製。午後は、スターバックスコーヒーへと出かけ、カフェモカをその場でのみ、豆(スマトラ)を220グラム買った。その後スーパーに行って、晩ご飯の買い出しをした。部屋に帰ると、すぐに荷物が届いた。日本からの文庫本だ。楽しみにしていたのですごくうれしい。晩ご飯は、もやしとキャベツの野菜炒めがたっぷりとベーコン。それとご飯。うーむ……。レパートリーを増やさないと、栄養が偏ってしまう。しかし、ご飯はだいぶおいしく炊けるようになってきた。失敗はない。まあ、少しずつだな。日本では、我が家のコンピューターをなおすために、妻の義弟が大活躍してくれた。コンピューターは復活したが、無線LANカードがうまく認識されないようだ。そこさえ何とかクリアされれば、メールができるようになる。後少しだ。これがコンピューターの困るところだ。まだ、家電のようにはいかない。まあ、趣味とするものにとってはそこがおもしろいということにもなるのだが…。 |
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2001年10月15日 22時39分45秒
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| 10月14日(日)十月ももう中間点にさしかかっているんだなぁ。早いもんだな。今日は、午前中は読書、午後は和平路へ大東文化大学の3人と銀ぶらならぬ和平ぶらとしゃれこんだ。5時に帰宅し、カナダに留学しているひばりが丘高校の生徒にエアメールを書いた。中国からカナダへ手紙を書くんだから、俺も相当グローバルな人間になったものだ。晩飯は、4年生の学生5人と大東大の3人と一緒に食べた。うまい、やはり詳しい人と一緒だとこちらの好みをきちんと理解して合ったものを注文してくれるので、大変おいしく食べられる。思わず「仁和寺にある法師」(徒然草)の話を思い出した。本当に「すこしのことにも、先達はあらまほしきことなり。」だなぁ。 |
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2001年10月15日 00時15分48秒
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| 10月13日(土)今日は、朝すごい霧だった。何日か前にもすごい霧の日があった。前回はすごく寒い一日だった。今日は10時くらいにははれていいお天気になった。さあ天津タワーに登るかという感じだった。3時に大東大の池田君・三好さん・矢口さんが遊びに来て、「東京ラブストーリー」(vcd)をみんなで見た。今日は4〜6話をみた。ちょっとはまってしまった。何度見てもおもしろいぞ。その後今日は外食をして別れた。明日はみんなで、天津の繁華街を探検するつもり。昨日一人でいったが、またみんなで行くと違うことになるだろう。夜は4年生達と食事の予定。明日も楽しい一日でありますように。 |
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2001年10月13日 23時03分11秒
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2001年10月12日 23時32分42秒
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| 10月11日(木)今日は、午前中授業がなかったのでのんびりと寝坊をして優雅な朝を迎えていた。ちょうど朝食を取り終え、のんびりとテレビをみていたところ、我が娘・綾乃(4歳)から電話が入った。お兄ちゃん(慶行・6歳)が幼稚園に行ったので、これからゆっくりとゲームをやるんだと言っていた。なんか話の仕方が随分お姉ちゃんぽくなったなあと思う。その後ろから裕寿(4ヶ月)の大きな声が聞こえていた。みんな成長しているな。来年、2月に会うときには、もっともっと随分違うんだろうなあ。私も子ども達の成長を促すことができるように、まだまだ人間としての成長を止めるわけにはいかない。生活に慣れ、やっとくつろいだ生活ができるようになった。そろそろ中国語を勉強したり、料理をしたり、本を読んだり、今までできなかった自己研修をやってみよう。せっかくのチャンスなんだから。まだまだ伸び盛りです。 |
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2001年10月11日 21時50分34秒
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| 10月10日(水)今日の中国のトップニュースは、辛亥革命90周年でした。私がその話を授業の枕ですると、すでにその話はほかの先生もしていたようです。まあそりゃそうだよね。午前中は3年生の作文の授業。昼飯を大東大3人組とし、その後スターバックスコーヒーへとでかけ、優雅な午後の一時を過ごし、スーパーで買い出しをし、またVCD(宇多田ヒカルの中国オリジナル編集ベスト版のようなもの)を買った。その後みんなで私の部屋で焼き肉をし、VCD「東京ラブストーリー」第一話を見て帰っていった。食事会も楽しかったし、東京ラブストーリーは何度見てもよい。これでご飯も炊けるようになった。ご飯が炊けて、肉が焼ければかなり進歩だよね。次は何をしようか。どんどん生活が豊かになっていくようで本当に楽しい。やればできる。ではまた明日。 |
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2001年10月11日 01時04分29秒
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10月9日(火)今日は、朝起きてなんと自炊に挑戦。と言ってもベーコンを焼いただけだが。南京の丸山先生に影響されて、自炊を少しずつやってみようと言う気になった。その輝くべき第一歩は、ベーコンを焼くことだった。いや、丸山先生の豚のみそ漬けには遠く及ばないもののうまい。これは簡単でうまいぞ。こうなればやるしかない。肉は焼けばよい。次は、野菜だ。とりあえず、サラダかな。ドレッシングを探そう。食事が楽しくなるぞ。楽しく元気が出たところで、大東文化大の学生が授業をするというので、見に行った。実習生の割にはよく頑張っていた。簡単にアドバイスをしてあげた。午後は大学院の授業のはずだったが、日本研究センターで、日本の外交問題についての講演があると言うことで学生をそちらに出席させることとなり、急遽休講。私も聴講する。そうしたら、講師の山本学氏は私と同じ専家楼に住む、あの一緒に食事をした老夫婦のご主人のほうだった。東京大学の法学部と文学部の仏文科の両学部を卒業し、外務省に勤務。あのオイルショックの時には、中東の担当課長だったと言うからまさに当事者だったらしい。当時の経験談をお話になたった。こんな人と知らずに食事をご一緒させていただいていたなんて、ここでは何でもありだな。明日もいいことありますように。
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2001年10月09日 22時22分27秒
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| 10月8日(月)夕べは、ワールドカップの騒ぎで夜中まで花火や爆竹がなっていた。今日は、朝起きて洗濯をし、スターバックスにコーヒーを買いに行き、そこでお昼を食べ、帰ってきて読書をした。このところ大変よく本を読む。山田太一の「親にできるのは『ほんの少しばかり』のこと」と言う本を読み始めた。なかなかおもしろいぞ。山田太一の文章は、わかりやすくて一見平凡そうで、それでいてなかなか人が思いつかない内容が書かれていることが多い。読んでいてそうそうと納得いくというか、今まで整理されていなかった、自分でも気づいていない考えの整理ができる。その後、スーパーに行って食材を買ってきた。いよいよ明日から自炊に挑戦。スーパーに行ったついでに、王菲のVCDを買ってきた。なんか音楽番組の寄せ集めみたいなものだがそれなりにおもしろい。夕食は大東大の3人と一緒に食べた。実習中なので授業の準備が大変そうだ。体調もやや崩しているようなので、ちょっと心配だ。そうそう今日の夕方はこちらは雷雨となりました。こんなにざあざあと雨が降ったのは、中国に来てからはじめてのことです。そろそろ傘を買おうかな。ではまた明日。 |
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2001年10月08日 23時03分44秒
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| 10月7日(日)今、空には花火が表では爆竹がなってものすごい騒ぎとなっています。そう中国のサッカーナショナルチームがワールドカップ出場を決めたからです。中国時間9時25分くらいかな。近くでも遠くでも、花火爆竹が鳴り響いています。すごいなあ、日本も注目するけど、こういう騒ぎ方はしないと思う。テレビは試合に勝ったところでさっさと放送をやめてしまったが、その後の騒ぎは本当にすごい。どうしてこんなにみんなが騒いでいるのにテレビは放送をやめて、通常の放送をしているのかな。おかしなことだな。二十分たった今でもまだ爆竹や花火が鳴りやまない。本当にあちこちから花火が上がっている。花火好きだなとは、この前国慶節の時に思ったけれどもこれほどとは……。後は、本大会で日本との直接対決がないことだけを祈って今日は休もう。休めるかなこの騒ぎで。 |
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2001年10月07日 22時49分39秒
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| 10月6日(土)午前中、ぶらぶらと丸山先生と南京ショッピングを楽しみ、いっぱい25元の高級コーヒーを飲む。贅沢なひととき。10元のケーキもなかなかケーキらしいケーキだった。部屋に戻り、支度をして再び丸山先生とバスで南京駅へと向かう。昨日一日で何となくバスも大丈夫だなという自信みたいなものができた。駅で、朱林雨君と再会。4日の夜、実家に帰って以来だ。何となく久しぶりのような気がした。天津まで電車一本だが、14時30分発で、明日の午前10時30分頃到着だ。約20時間の電車の旅となる。乗る電車によってかかる時間がまったく違う。南京〜天津間は速い電車だと13時間くらい。私の乗った電車は、混雑期の臨時列車なのでダイヤの隙間を走っているので時間がかかるようだ。丸山先生から村上春樹の「羊をめぐる冒険」(上・下)を借りてきた。中国の大学生に人気なのだそうだ。天津に着くまでに、読みあがりそうだ。 |
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2001年10月07日 17時35分47秒
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10月5日(金)今日は、南京の街を丸山先生と南京大学4年生の周くんに案内していただいた。周君は二度ほど日本に行っているので、大変日本語が上手だ。日本語が上手で、日本のことを本当によく知っているので、もしかしたら大学の先生以上に知っているので、ちょっと大学の先生に疎んじられているようだ。授業の参加率も低いと言うことだった。しかし本当におもしろい男だ。まず最初に周君に連れて行ってもらったのが、中山陵というところだ。孫文のお墓だという。ここも人人人。多分この日一日で、十万人はお参りしているだろう。次に行ったのは、南京博物館。ここもすばらしい。紀元前のものがずらずらと並んでいる。すばらしいものがたくさんあり、しかも、人が少ないのも大変良かった。ケンタッキィーで昼食をとり、日本軍南京大虐殺紀念館へ向かう。まあ、内容的にはだいたい想像していたものだが、やはり自分の目で見るのは、ちょっと違う。それと日本人が、あの紀念館の中にいると、周りの人の視線が大変きついのを感じる。無言の圧力で、つい口数が減る。しかし、あの紀念館は日本人こそ見なくては行けない場所だと私は思うので、その視線にも負けずにじっくりと時間をかけて見てきた。その後に中華門(明の時代にできた城壁の門)を見て、晩ご飯の韓国料理屋へと向かう。ここの骨付きカルビもおいしかった。部屋に戻ってきても丸山先生絶好調。夜遅くまで、話し込む。大変充実した一日だった。左の写真は南京博物館にて。ページトップの2枚は中山陵での私と丸山先生、そして孫文の像。
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2001年10月07日 17時32分25秒
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10月4日(木)今日は、南京への移動の日とします。切符をとっていないので、まず蘇州の駅に行って、南京までの切符を買いました。駅についてのが9時過ぎで、並んで切符が手に入ったのが9時50分頃、とれた電車が11時50分頃と言うこととなりました。出発までの2時間は、何もすることがなく、駅前でぼんやりとおしゃべりをしていました。駅は本当にすごい人です。人は多いのですがお店があまりありません。日本ならば、すぐ喫茶店を探すところなのですが、あいにく中国には喫茶店はほとんどありません。コーヒーを飲む習慣がないからです。それと、中国では駅前の店は良くない買い物をしない方がよいと言うことが言われているそうです。一見さん相手の商売は信用できないと言うことでしょうか。どの街に行っても、繁華街は駅から少し離れています。やっと電車に乗って丸山先生の待っている南京大学に着いたのは、4時頃になりました。南京大学は、繁華街の中にあり、デパートでもスーパーでも本屋でも、何でも歩いて買いに行けます。南京の街は、かなりおしゃれな感じの街です。上海の影響を強く受けているのでしょう。晩ご飯は丸山先生の手料理をごちそうになりました。あの豚のみそ漬けの味は、絶品でした。本当にごちそうさまでした。私も丸山先生を見習って、手料理を作ろうかな……。
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2001年10月07日 17時27分57秒
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10月3日(水)蘇州に着き、まずタクシーで蘇州大学へと向かう。校門を抜けると右側に掲示板がずらっと並び、日本の小泉首相の靖国問題が大々的に取り上げられていた。日本の軍国主義復活と書かれていた。おいおい、どこまで本気なんだよ、と日本人の私にはとても冗談としかとれないような扱いだ。大学のホテルにチェックインし、荷物を置いて、虎丘(呉王闔閭の墓、山の頂上に47メートルの斜塔があり、観光客を集めている)・寒山寺と見てまわった。寒山寺を探すのに、ちょっと手間取ったが、寒山寺はなかなかのよい寺だった。ただし、虎丘にしても寒山寺にしても、人人人の人の波の中を歩かなければならないので、ちょっと情感に欠ける。すいていたならどんなにすばらしいだろうと思う。まあ、時期が時期だけにしょうがないか。
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2001年10月07日 17時26分34秒
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| 10月2日(火)今日は、蘇州・南京への旅行の出発日だ。旅の準備が済むと、曲阜師範大学の鈴木先生が、私の部屋に訪ねてこられた。ちょっとびっくりしたが、大変うれしかった。出発までの4時間ほどを一緒に昼食をとり、いろいろと尽きない話をして過ごす。3時に駅に向けて、専家楼を鈴木先生、4年生の朱林雨くんそして私の3人で出発する。駅で鈴木先生とお別れし、いよいよ私と朱くんの長い電車の旅が始まる。天津4時5分発の上海行きに乗って、蘇州まで16時間半だ。蘇州は上海の隣に位置し、東洋のベニスとうたわれる街だそうだ。よくパックツアーでは上海とセットで売られている。長い電車の旅で文庫本一冊読み上げる。 |
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2001年10月07日 17時25分13秒
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今日は午前中、寝坊をしてのんびりと9時頃おきだし、ホームページを手直ししていた。HTMLを少し勉強し始めた。なかなかおもしろい。午後は、山村美沙の推理小説を読み昼寝もした。夕方、大東大の3名が再びやってきて、花火を見ながら、のんびり話をした。中国の花火は、ちょっと違う、原色が強い感じがする。しかも開いた後にしばらくふわふわと空に浮かんでいるのはどういうことだろう。ちょっと不思議な花火だった。大東大の彼らは、本当に気持ちのいい青年たちなので、話をしていてとても気が休まる。明日から私は旅行に出るが、彼らは天津に残る。休日の過ごし方が難しいのを身にしみて知っているだけに、気の毒に思う。風邪で、寝ている我が息子慶行君、早く元気になれよ。また明日。
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2001年10月02日 00時47分38秒
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