「できちゃった」について。思うところがあるので綴ります。

    私が妊娠した時、元恋人と結婚の話が出ました。
    それまでは一度もそんな話をした事はありませんでした。
    「きみの決意を尊重したい」
    「子供には父親が必要だ」
    「一緒に生きていきたい」
    「何があっても絶対に後悔しない」
    病気になる前の彼は、力強く言っていました。


     今でも時々思い出し、現在の彼との違いを思い知らされます。
    病気が彼を変えたのか、元々そういう人なのか、今となっては分かりません。分かろうとも思いません。


    結果として、私は子をこの世に送り出す事は出来ませんでした。
    数ヵ月後に病気となった父親である元恋人は、私に別れを告げました。
    親である私たちの間に愛が無くなったのであれば、親が別れる事は仕方のない事かもしれません。

     だからと言って。
    あの子が生まれなかった事は、結果として良かった事なのでしょうか?

    私の答えはNOです。
    親であった私たちの恋は、あっけなく散りました。それは仕方ありません。
    でも子供は
    「母親が産む決意をした瞬間」から、それは望んだ妊娠と言えると、私は思っています。


    「できちゃった」から産む。
    お手軽な感じに聞こえるかもしれません。
    他の人がどういう考えなのか、私には分かりません。
    でも。
    私の体にいると確信してからの短い数日、私は確実に母親だったのです。
    そして年月が経った今も、私はやはり母親なのです。


    「できちゃった」結婚。又は「未婚」で産むこと。
    それも幸せの選択肢であると、私は思うのです。
    勿論親になる人の年齢、立場、色々な視点から見ると、全てが私の考えに当てはまるとは思っていません。
    「母親に覚悟があること」
    これが筆頭の必須条件であると、私は考えています。

    でも産むばっかりでもいけないと思います。
    私の思う覚悟は、産む覚悟・育てる覚悟・独りで背負う覚悟
    これらが必要と思います。
    私は実際産んでいないので、ここから先は偉そうな事は言えません。

    ただ、私には、覚悟だけはあった。
    できた当初は覚悟など無かったけれど、後から腹は据わった。
    あの子が欲しかった。一緒に幸せになりたかった。
    それだけなのです。





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