2002.12.2(2002/12/02
17:07)
那覇マラソン体験記
12月1日。那覇マラソンに出場した。
7月に研究室の女子学生たちが出場の話で盛り上がり、ついでに私もさそってくれたので、ついその気になってしまった。もともと乗りやすい性格だから。インターネットで登録して、お金は誰が払いに行くかジャンケンして、2日後には登録完了のメールが来た。そのメールを見て、とても後悔した。胃潰瘍が悪化して、胃の調子がとても悪くなってきていたから、走るなんてとんでもない。それから2ヶ月ほど、胃の調子は悪かったけれど、ぼちぼち良くなってきて、9月末から練習開始。ここで、K監督(小出監督ならぬmy
husband)登場。彼はかれこれ10年近いマラソン歴がある。
一生懸命走る必要はない。楽に呼吸ができるペースで、始めは短い距離から、物足らなくなったら距離を伸ばしていく。週に3〜4回走る。トータルで月に100km走る。
最初、4kmを走ってみた。自宅をでて、琉球大学のループ道路を一周して自宅まで。時速7kmぐらい。これなら走れる。何回か走るうちに距離が増えていった。北谷まで走って行って、買い物をして食事して、バスで帰る。これが我が家のレジャーとして定着してきた。最大は14kmぐらい走ったけれど、これは走りきれず途中から歩いた。けれど、10月、11月と目標の100kmを走ることができた。1ヶ月が過ぎてみると体調もきわめて良好。気がつけば時速8kmぐらいになっていた。11月28日から学会出張のため、最後の練習は27日だった。自宅から普天間基地の周辺を1周して自宅まで約13km。これを最後まで歩かずに走りとおすことができ、しかもまだ余力があった。タイムは85分。時速9kmぐらいの計算になる。このとき初めて、「ひょっとしたら完走できるかも」と思った。
一方、教授がつくった寄生虫の写真をTシャツにはりつけ、「寄生虫学講座」の文字も入れて、おそろいのTシャツ完成。私のゼッケンは17566番。
11月30日。午後7時50分羽田発の飛行機で帰ってきて、自宅到着11時10分。疲れた。すぐ寝た。
いよいよ当日。6時起床。眠いけれど、それほど疲労は残ってなさそう。ご飯と味噌汁で腹ごしらえ。サーターアンダギーでさらにカロリー補給。7時出発。K監督と東京から来た鈴木さんも一緒だ。8時会場に着。K監督から最後の指導。「中間点までは、とにかく走る。中間点まで行けたら、あとは食べたり飲んだり歩いたり走ったり、楽しめばいい。」ジャージのズボンポケットに携帯電話とお守りの1000円札(いざというときの資金)を入れる。8時半ごろ軽くストレッチをして整列。同じ教室のメンバーとはすでにはぐれて、携帯で連絡を取り合ってみると、彼女たちははるか前に居ることがわかる。けれどお互いあまりにも大勢の人に囲まれて歩み寄ることもできない。
9時にスタートの合図があったけれど、私がスタートラインを踏んだのはそれから15分後だった。人、人、人。周りどこもかしこも人。自分のペースで進むことは到底無理。スタートライン近くで足を踏まれ、靴紐がほどけて早くも立ち止まらざるをえなかった。天候、晴れ。練習中は水分補給の必要はほとんどなかったのに、5kmの初めての給水地点で早くも喉が渇き、コップを手にした。でも飲みすぎると良くないと思い、ひとくち、ふたくち飲むとあとは手や顔にかける。太陽をまともに受けて、ほっぺたが熱い。5km地点で50分経過。もう少しスピードアップしたいけれど、前には人だらけで、抜かそうとすれば隙間を選ばなければならず、横向けの移動がわずらわしい。学生風の背の高い男性が前の人を抜かそうとしていたのでしばらく付いていったが、すぐ置いていかれた。
10km通過。10時23分。これから15kmまでが快調で気がつくともう15km。携帯の時刻表示を見るのだが反射してよく見えない。となりを走っていた人に「おにいさん、いま何時ですか」ときくと「11時5分前」とのこと。そのおにいさんを軽やかに追い越した。20km地点に到達するまえに、しんどくなってくる。とにかく、走ったことのない距離だから。20kmまでは走ってその後、ほとんど歩いて中間地点。11時40分。足切り時刻まで20分の余裕。ゴールできそうな気配。ここでスポーツ飲料をくれた。これがおいしくて、おいしくて、グーっと1杯飲んだ。走り出すと急にトイレに行きたくなる。飲みすぎたか。「トイレはどこだ」と思いながら走るけれど、なかなかない。男性はキビ畑に駆け込んでいるけれど、女性はそういうわけにはいかない。ファミリーマートの看板が目に入り、ここならと駆け込んだら10人ぐらい並んでいた。もっと、女性用のトイレを増やすべきだし、トイレ設置の間隔も短くすべき。全部で2万人ぐらい走るのだから。けれど、ここでゆっくり休憩できたのは結果的に良かったのかも。
やっと走り出してしばらくすると、「お仲間はどこですか。寄生虫のお仲間は?」と声がかかる。同じ研究室の男子学生のおかあさんだった。Tシャツでわかったからと、声をかけてくれた。「もっと前を走っているはずですよ。探しながら走っているけれど、全然見あたらないから」というと、「このあたりで追いつくと思ったのですけれど」と軽やかに走り去った。25キロ地点で「6000人」と言われた。気がつけば私の周りは16000番代から20000番代の人ばかりだったはずなのに、いつの間にか四桁の中を走っている。1万人も抜かしたのか・・・?係の人が「次の足切り時刻まで1時間」といったので、あと7kmを1時間で走れるか不安になる。かなり筋肉痛がきていた。ここからは歩くことが多くなってきた。お腹もすいてくるけれど、疲れて食べる気にはなれない。沿道の人が差し出すみかんやお茶や黒砂糖をいただきながら(ありがたかった)、水をときどき口に含み、残りは腕と顔にかけて走った。気温は高いけれど湿度が低い分、助かる。中間地点を過ぎると向かい風が強いとも聞いていたけれど、あまりにも周りに人が多いせいか、感じなかった。
30kmに来ると、さすがに誰にも会わないことに不安になる。追いつくのは永遠に無理なのか。携帯で女子学生の一人に連絡をとると「女子3人はすでに中間地点からバスで帰ってきていますよ」とのこと。とすると、どこかで追い抜いたらしい。あまり多くの人で、気がつかずに通り過ぎてしまったのだ。もうすぐ32kmの足切り地点だと思いながら走ったり歩いたりしていると、赤いヤッケを着た高校生が両脇に並んでランナーとタッチをしている。「若い男の子とタッチできるなんで、出場したればこそだなあ」と感激しながら、ここだけはがんばって走って何人もタッチしながら通りすぎる。それにしても、足切り地点はどこだと思いながらまた歩いたり走ったりしていると、35kmまで来てしまった。どうやら、タッチのところが足切り地点だったようだ。37kmあたりで女子学生から電話が入る。「いまどこを走っていますか?」「走ってない。歩いてる。37kmぐらいかな」「すごーい。がんばってください」「まだ時間がかかるし、夫も居るから先に帰ってね」「わかりました」。さらにすでにゴールして待っているであろう監督と鈴木さんに連絡をと思い、鈴木さんの携帯に電話するも留守電。「いま、37km地点をとろとろ歩いています」とメッセージを残す。このときが1時57分。
袋に入れた氷をくれた人があったので、それで顔を冷やしながらずーっと歩いていたけれど、あと3kmの表示を見たとき「3km?始めの練習距離より短い。走れるかも」と走り始めた。するとどんどんスピードが出てきて、ごぼう抜き。ゴール地点近くでは2度もジャンプして本部席にアピールをして、自分でも意外なくらい元気だった。
5時間31分19秒。6572番。これが初出場、初完走の記録。やったー。まだまだ、おばさんパワーは底知れないのだ。おそれいったか。