結婚25周年記念登山
2003/08/21 12:14
結婚25周年記念登山
胃潰瘍と幾多のストレスを抱えた身に猛暑の沖縄は堪えた。おまけにクーラーの故障。耐えかねて沖縄脱出。冷夏の信州にたどり着いた私を、夫企画『結婚25周年記念燕岳登山』が待ち構えていた。
エピソード1 雨の登山
起点となる標高1460mの中房温泉は長袖を着ていても寒いくらいだが、テントの一夜は地熱の暖かさもあって快適だった。
8月14日朝6時10分。燕岳むけて出発。同時に雨が降り始める。テントを含め25kgはあるリュックを背負って夫が先に行く。だんだん雨が強くなってくる。7年ぶり登山の私は、しばらく行くとお尻が痛くなる。日ごろ、いかに腿をあげることがないか思い知らされる。「お尻が痛い」とブツクサ言う私に「登山が終われば1cmはヒップアップしているよ」と夫。
そうだ、この調子の良さに騙されたのだった。文学青年の彼は、女のくどき文句もたくさん知っていた。でも、私以前に誰もひっかからなかったというのはどういうわけか。私が面食いではなかったからだ。いや、ちがう。私が惹かれたのは、周りがどうあろうと自分の信念で生きていく強さだった…。25周年記念が頭にあったからか、結婚前のことが埒もなくあれこれ回ってくる。靴に雨が沁みる。そんなことでも考えていないと雨の中、歩いてはいられない。まさか私がこんなことを考えながら歩いているなんて、前を行く彼は知る由もないと思うとおかしい。でも、向こうは何を考えているのだろうか。
そうこうして合戦小屋(2400m)に近づくころには、いっきに標高があがったせいか後頭部が痛くなってきて、頭の中は真っ白。何も考えられなくなった。合戦小屋でスイカを食べながら休憩。
燕山荘テント場(2700m)についたのは10時。翌日の餓鬼岳への縦走にそなえて、激しくなってきた雨の中、テントを張る。一度張ったテントを「雨の中、トイレが遠いのはいやだ」という私の主張をいれて、移動する。
テントに入ったものの、びっしょりかいた汗が冷えて震える。リュックの雨除けが合わず、寝袋も濡れている。乾いた衣服に着替え、乾いた夫の寝袋にもぐり、ガスバーナーで暖をとりながら昼食。やっと落ち着いた。夫は雨具の防水が悪くズボンがずぶぬれ。おまけに濡れた私の寝袋を使っているので、がたがた震えている。そんな状態でも食事の用意をし、いろいろと気持ちを引き立てるような話をし、「これくらい濡れていても、情熱で乾かしてみせる」と言う。若い!強い!脱帽。
午後は、これまでの家族登山の思い出や、とりとめのないことをあれこれ話しているうちにあっというまに過ぎる。5時ごろには夕食。テント内10℃。外気温はさらに低い。6時ごろには暗くなり、私はヘッドランプを頼りに少し読書をし、ラジオを聞きながら寝てしまった。
テント内の蒸気がしずくになって落ちてくる。毛糸のセーターも着こんでいるが寒い。足が冷える。寝ているのか起きているのかよくわからない。そんな状態で朝4時半ごろ起こされたが、なかなか気持ちが目覚めない。
天気予報はその日も降水確率100%。靴下がずぶぬれになれば、もう換えはない。ぐずぐずいう私に夫は下山を決意。幸いテントをたたむとき、雨は止んでいた。
午前6時、下山開始。降りても途中の道路が閉鎖されていて、中房温泉から車の通るところまで約12kmを徒歩で行かねばならないと知らされる。それでも雨の中を7時間縦走してなおかつテントに泊まるよりましだ。
帰るとなると現金なもので、鼻歌が出てくる。他にだれも出会わないのを良い事に、山や夏をテーマにした歌を夫と競うように思い出しながら次々と歌って下る。2時間半で中房温泉に着くと、膝が笑っていた。
エピソード2 間の悪さ
中房温泉に出かける日、盆でバスの時刻が変わっていると知らず、バス停に早めに着いたと思って私がポストにはがきを入れている間にバスが行ってしまった。
次の茅野行きまで1時間あるので、少し遠回りになるが、30分ほど待って来た上諏訪行きに乗った。バスが終点に差しかかるころ、急にトイレに行きたくなり、私がトイレに掛けこんでいる間に松本行きの電車が行ってしまった。これなら、茅野行きを待っても同じだった。
仕方ないのでこの間に昼食をすませようと思ったら、どこも準備中で開いていない。11時半になってやっと開いた店をみつけて、急いで昼食をとった。
そして、雨。道路の閉鎖。
エピソード3 終わり良ければすべて良し
中房温泉から車の通っているところまで約3時間歩く覚悟をしていた。ところがパトロールカーが様子を見に来て、下山する車だけ降ろすと言う。ちょうど燕岳から下山してきた人が「車で来ているので二人なら乗せられる」という。徒歩組は私たちを含め5人。みんなで車に乗るのを譲り合ったが、結局、年齢(他の人は30歳前後)、女性、荷物の重さと条件のそろった私たち夫婦が乗せてもらうことになった。
車の持ち主は60歳前後の夫婦。同乗者に女性側の友達3人。町営温泉しゃくなげ荘へ行くという。私たちも温泉でさっぱりしたかったので、そこまで乗せてもらって別れた。
温泉から、夫の知人に電話。安曇野の別荘で8月だけパステル画を展示する吉田みゆき美術館を開催している(みゆきさんは若くして癌で亡くなられた)。近いから車で迎えに来てくれると言う。
下界は雨が降っておらず、有明山の見えるベランダで紅茶と手作りの杏シロップ漬けをいただきながら談笑する。景色も吹く風も気持ちいい。昨夜との落差の大きさ。天国のよう。
展示されていたパステル画も気にいった。
おまけにおつれあいが料理研究家で、その方の最近出版された本をはさんで話が合う。プロが選んだのだから、地元のお年寄りが漬けたという杏がおいしいわけだ。
帰りは穂高駅まで送ってもらった。
その日が上諏訪の花火大会とは知らなかったが、早めに出たのでたいして混雑に巻きこまれなかった。
夫が上諏訪駅から乗りこむK夫妻を発見。京都在住のとき、同じ団地の一軒置いて隣に住んでいた。一駅だったが久しぶりの出会いを喜び合った。夫妻の故郷が岡谷と茅野で同じ高校出身だったと、そのとき初めて知った。K家の三姉妹はよく我が家に遊びに来ていた。
夜は、屋根の下で乾いた衣服でぬくぬくと眠る幸せをかみしめながら、布団に入った。
20周年記念が何だったかさっぱり思い出さないが、25周年は忘れないだろう。
エピソード4 「悪いけど」について
しゃくなげ荘まで車を運転してくれた男性に、湯船で一緒になった夫は言われたそうだ。「お宅の奥さん、こう言っちゃ悪いけど…」続けて何て言ったと思う?というので「さあ」というと「美人ですねって。どこの出身と聞かれたから、色が黒くて信じられないだろうけれど京都ですといったら、『いや京美人だ』と言ってた」とうれしそう。
「出身を訊いたということは、フィリピンとか東南アジアを予想していたのよ」「どこでもいいじゃないか、美人と言ってくれたんだし」
もっと悪く取れば、日本で嫁さんが見つからずに、東南アジアで見つけてきたのかという意味も含まれる。おそらく言うほうは悪気なく口にしているが、実は侮蔑が含まれる。そうでなければ「悪いけれど」という枕言葉は不要だ。もし私が本当に東南アジアの出身だったとしたら何気ないその一言で傷ついたかもしれない。
これだけ外国人が身近に増えたというのに、日本人の国際感覚はまだ偏見に満ちている。
でも、いつもスッピンの50歳になった私を美人といってくれる人がいるのは素直にうれしい。外側は磨いてこなかったが内側は磨いてきた(つもり)。「私は美人だ。これから一花も二花も咲かせるぞ」とさけぶ私を、夫は呆れ顔で見ていた。