
いくちゃんをその前の月の8月27日より家から一番近い私立の保育園へ
預けました。そうでなくても人見知りのひどい子でしたから、
初日は勿論、大大大泣きでした。
短大卒業後、5年近く保育士の仕事をしてきましたが、始めて預けて
働く『母親』の気持ちが分かり始めたのです。朝の別れ際、いつまでも
我が子と離れられない母親に保育士として「お母さんがいつまでも
見ていたら泣き止みませんから・・」なんて言ってたのがなんてひどく
心無い言葉だったのかなぁ?っと、反省しました。自分が預けて
始めて気付くんですよね。。その日は、朝いくちゃんと別れて一人
門を出る時には涙が出た。
でも、子どもは「案ずるより・・・」って感じで親の姿が見えなくなると
泣き止んだりするもので、いくちゃんもその一人だった。。
さて、そのその日の連絡帳を紐解いてみよう・・・・。
8月27日(木)
今日は朝はやはり泣いていまていましたが、抱っこすると時々
泣き止み、お絵描きの時は泣くことなく上手にかいてくれていたので
びっくり。えらい、いくちゃんです。
そして、5日後、URANの仕事は始まった・・・・。

URANの方は、早退やお休みさせてもらう日が多く、気がひける
思いと、いつクビになるかという不安でいっぱいだった・・。


そして、その後、『中耳炎』に掛かった。
その日の日記には、こう記されていました。。
いくちゃんの調子がまたまた悪い。やっぱり先週無理したのが
あかんかったよう・・・。月曜日に帰ってきた時は元気やったのに
夜になってからなんかグズリだした。それも左の耳の辺りを押さえて
「いちゃーい、いちゃーい」とか泣く。それに寝付けないようで10分おきくらいに
大泣きの繰り返し。それでこれは「おたふく?」って慌たけど、まぁその
晩は様子見て・・って感じで、その寝れない・大泣きのいくちゃんに
付き合ってこっちもなんか全然寝てない状態で朝を待った。そして
火曜はとにかく休んだ、朝方になってぐっすり眠りだして10時半頃
小児科へ行った、でも、幸いにおたふくではないってことで風邪のようやけど
もしかしたら痛がるのは中耳炎かも・・・ってことで耳鼻科へ。そうしたらやっぱり
「急性中耳炎」だった。初めての耳鼻科にドキドキだったのにその場で
お医者さんは「鼓膜を切開して膿を出しましょう」とかいうから増々ドッキドキ。
勿論いくちゃんは大泣き・・・可哀想やった。郁海の耳鼻科通いの日々の
始まりだった・・。けどいくちゃんくらいの子どもの「いたい」なんてあてに
できひんわ・・って思っててんけどいくちゃんが押さえてた方の耳が中耳炎
やった。。やっぱりよく観察して子どもの言うことも聞いてみるもんやなぁ。

そんな中、こんな言葉(↓)にも敏感になってるURANであった。。
玄関のところで管理人さん(おばさん)に会った時の出来事。。
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管理人:「URANさん、働きに行ってるねんねー」 私 :「そうなんです」 管 :「じゃあ、子どもさんは保育園に行ってるんやねー。なんか こんな小さい子は可哀想やなぁー」 私 :「そうですねー」・・・心では「そんなん・・・」って落ち込んでる。 管 :「もう、慣れたん?泣いたりしたらまた可哀想やなぁ・・・。1才 くらいやろー」 私 :「もう、慣れました!!始めは泣いてましたけどね・・・。 もうすぐ(?)2才なんですよーーー!!!」
・・・って『可哀想』を連発されてむかつきながら仕事に向かった・・・。 |
やっぱり一般的には1才くらいの子を預けて働くって「可哀想」なこと
なんやなぁ・・・。って痛感したけどまた落ち込んだ。折角の決心も
また鈍ったり・・・。その日は1日ブルーだった。これが保母と母の立場で
揺れるURANの心だった。。

いくちゃんの入院生活は10日でした。原因は結局のところはっきりせず
ドクターも「風邪からくるものでしょう」と、曖昧でした(^^ゞ URANは
仕事を10日以上欠勤。。。この間に『クビ』も
覚悟は出来ていました。

『この入院は私の仕事のせい?無理やり保育園に連れて行ってるの?
いくちゃんは保育園きらいなの?慣れない子はいないなんて勝手に
信じてる私が悪い?働きたいなんて私の身勝手?わがままなの?』
そして
『預けて可哀想』
あの言葉にもちょっと負けそうになってた。
でも、職場で待ってくれる人がいる!そう思ってもう一度頑張ってみることにした。