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『懐石のこころ』追想録

筆者:松毬庵亭主・・・横浜市在住。

霜 月・・・"霜月騒動"は弘安8年、西暦1285年のこと。安達泰盛VS北条貞時。
2001.11.24 (土)
  ちょっと連休。でも年末近くどこにも行けず・・・。そんなわけでまたまた妄想、もとい追想。
 なんだか泥臭い話の多い昨今、オスカー=ワイルドという方の『ドリアン=グレイの肖像』にあ
 る「魂と肉体に(“の”だったかな)引き裂かれた状態」っていうのを思い出しました。理想と
 現実の乖離とでもいうか・・・ワイルドに言わせると「俗悪な現実主義と空虚な理想」ってこと
 になるのですが、(「俗悪」だの「空虚」だのとまでは言わないけど)やはりどこかそういった
 状況を感じます。自分の価値判断能力が機能できない世の中なのは否めない。「情報」に因ると
 ころも多分にあります。が、概ね世間一般の価値基準に基づいてその近似値で生活しているとい
 うのが事実です。当たり前といえばそうなのですが・・・でないと生きていけませんからね、で
 も一方でバカみたいに理想を追求する人に憧憬を覚えるのも事実。未だにそんなことを考えてい
 る次第。(苦笑)最近また『金八〜』(TBS)を見るようになった。大人の感覚ではちょっと
 「きれいごと」っていう世界なんですね。これが。でも、思い返すと自分が13〜15の頃って、
 真剣に「世の中」ってものを考えてたりしたなあ・・・と。で、いまではただ客観的に見ている
 ところが大きいのですが、先日電車の中で高校生の男の子達が「今日何見る?」って会話をして
 たんです。「○○?」って一人の子が冗談ぽく聞いて、もう一人の子が「金八っしょ!」って・
 ・・あとの2〜3人居た子達も「金八だよなー。」と続き・・・。正直私は『え!?あんた達が?
 まじで?』って思ったんですけどね。でもこういう子たちでも、その年齢を考えればやっぱり、
 「真剣」なことの方が多いのではと思いました。(まあ、アイドルとかの出演がある分は差し引
 いて)こういう子達の中にも『金八〜』ワールドへのニーズってあるんだなー、と。ちょい前に
 ユングの話を書いてたけど、自我(EGO)って芽生えるのはわりと早いんですが確立するのは10
 歳かそこらで、それまでは以外とまっさらな状態である場合が多いらしい。すると、確立した自
 我と世間との軋轢初級者の彼らがそういう感覚を持つのは当然といえば当然・・・。怖いですね。
 ゴールデン・・・以外とモラルの砕けがちなTV時間ですが、子供達の無意識には大きくひびい
 ています。悪くいうと文字通り単純なんですけど、それだけ素直というか正直というか・・・。
 これは「子供に返りたい大人」とか「子供の心の大人」たちとは根本的に違いますから。成る程
 冗談ですまされない場合が多いはずです。最近(もうだいぶ前からか・・・)多い滞在型SC、幼
 い子供がショッピングという名の大人のレジャーにつき合わされ、物に囲まれて1日を過ごす。
 そういう光景が日常となり、物欲社会の基盤を作り・・・これも恐ろしいことなのでは・・・と
 思う今日このごろ。でも、商業主義経済の牽引力・・・。アンビバレンツ。

2001.11.15 (火)
  学生の頃、あるレポート課題の為に占星術関係の本を読むことになったのですが(ユング的な
 解釈を引用したので)、これがシンボライズされたものの解釈に非常に役立ったことがあります。
 例えば、よくあるのが太陽と月のモチーフ。占星術によればそれぞれ"太陽"=意識の世界、"月"
 =無意識の世界という解釈をされているようです。ここで、シラーの戯曲『オルレアンの乙女』
 (存在を知る人はいるのか?)について少々・・・。大筋はいわゆる「ジャンヌ=ダルク伝説」
 で、登場人物も当時の実在の人物がモデルになっていると思われるのですが、私にとっては"ライ
 オネル"という人物だけが不明でした。研究者によっては、英国の"獅子心王リチャード"がそのモ
 デルだという人もあり、やや定説のようにもなっていますが、実は「獅子と乙女」というモチー
 フこそ作者のテーマに通じるものではないかと思いました。というのも、先述の占星術と深い関
 わりのある「タロットカード」に"力−power"というカードがあったのですが、それには若い女
 性がライオンの口の中に手を入れている絵が描かれていました。占星術そのものに興味のあった
 わけではなかった私にとって、このカードの絵はとても不可解なものに思えました。"力"という
 と男性のもののような気がしますし、当然力強いマッチョな男の人の絵などがぴったりなのでは
 ・・・と思いました。しかし、そこでいわれる"力"とは精神の力を意味するのだったのです。強
 い精神力を持つ人間(あえて女性)が獰猛なライオンを手なずけて、さらにその口に手を掛けて
 いる。危機感を覚える状況に女性の顔には余裕すら感じられるのです。つまり、シラーのテーマ
 はここにあったのではないかと思ったわけです。精神の力こそが危機を乗り越えられると・・・。
 何だか真面目な話になってしまいましたが、実際「精神力」というのは肉体的な力を超えるもの
 があり、肉体よりも鍛錬が困難なものでもあるのではないかと思うのです。(仕事でも大変なも
 のほど、先に体力が尽きていたりします)『オルレアン』ではそこにもう一つ宗教的な力が加わ
 っていますが、それを持たない私にとっては「まずは我慢から」などという、途方もない試練の
 道には違いありません。

2001.11.14 (水)
 最近ハマっているものとして日○新聞に連載中の池宮彰一郎氏の『平家』。これはタイトルの通り
 そのオリジナルが『平家物語』です。で、私の中では『平家物語』ブームが起こっていて他に橋本
 治氏の『双調 平家物語』や宮尾登美子氏の『平家物語−青龍の巻』(だったかな?)なども平行
 して読んでたりします。池宮氏の『平家』は事件の展開の描写が細やかでかつ、人物の心理と相乗
 して流れているので、日刊紙連載ながら1日でも読みはずすと辛いものがあります。橋本氏の作品
 は単行本で中央公論社から出版されているのですが、スパンが長く、次巻まで半年〜1年を待ちま
 す。こちらは多分そのベースが慈円の『愚管抄』ではないかと思うのですが、歴代の王朝と藤原氏
 摂関政治〜平家の台頭と、スケールがでかいです。その分、歴史の一大転換期として活躍しながら
 短命に終焉をむかえた平氏一門の「はかなさ」の様なものを感じます。加えて合理的でない人々の
 心理が歴史を動かしていて面白いです。宮尾氏の著作は氏独特の大河ドラマ性があって、"流れ"を
 意識させられます。物語としてはこちらのほうが面白いかもしれません。『平家物語』といえば吉
 川英治氏の著作が最初の出会いだったのですが、歴史的事実が私の中で明らかになるにつれ、池宮
 氏や橋本氏の著作に惹かれるようになりました(笑)。とはいえ、それぞれの個性ある作品達なの
 で各氏の歴史解釈による『平家物語』と、多くの史実上の人物達の実在のドラマが私の中で混在し
 ている状態です。(笑)

2001.11.14 (水)
 久々に昼間の六本木へ行き(仕事で)。うーん、夜はなんだか明るすぎて分かりませんが、外苑東、
 ここにもフーゾクっぽいお店多くなった模様。一見普通の(?)マンションにまで・・・。六本木
 といえば、六本木交差点・・・私の知る限りかなり工事してます。が、しかし!再開発とやらでテ
 レ朝通り(あってるのか?)方面にも巨大なビルが建つ模様。外苑東・・・大丈夫でしょうか?!
 おしゃれな店もハイソな名所もすでに麻布へと移行し・・・。

2001.11.12 (月)
  これは日記なので、話しかけていることも「自分に」ということになるのですね。
 えー・・・やっとマイライン登録し、「ところでマイラインって何もの?」と、送られてきた説明
 書を読む始末。やっぱり、私の生き残りは不可能 !?さて、中国もWTOに加盟しました。日本も景気
 回復がんばりましょうね・・・あ、また落ちた・・・。(何が?)本来飛ぶはずのないものを飛ば
 しているわけだから、「落ちた」といっても当然なのだろうけど。リスクというのは思わぬところ
 に潜んでいるものですね。自分の意志で回避できるものと異なって、こういう場合は「不幸」とい
 うことになるのでしょうか?いずれにしても受けとめられない「不幸」はいずれ他へ(あるいは対
 岸の当事者へ)押しつけられることになるのでしょう。不謹慎(といっても自分にも可能性がない
 わけではないんですよね)なので話題を変えつつ・・・。

2001.11.11 (日)
 Intelの会長アンドリュー・S・グローブ氏のとある著書によると、 これからの時代経営者は"onl
   y the paranoid survive"だそうです。 つまり「極端な臆病者だけが生き残れる」と・・・云々。
 (もちろんパラノイアにも条件はありますが) 
 そこで、私自身とその周囲について反対要素をいくつか挙げてみたんですけど、 
  1、NEW家電製品等の使用に際して説明書を読まない 
  2、好奇心だけで知らない土地に行ってしまう
  3、ついつい『なんとかなる』と思ってしまう
  4、『これは出会いだ』と思い切った衝動買いをしてしまう 
  5、国際線の機内で他人の席を自分の席だと言い張ったことがある 
  6、知らない友人が多い 
  7、自分以外の人間の行動に関心がない 
 3項目で「終わってる」って言われてしまいました(笑)。 
 しかし一方で究極のオプティミズムっていう方法もあるわけで・・・ ただ、こちらの場合は「迷い
 が生じないうちは」という条件付き。 となると、深刻な時代が深刻な事態を招いているというのも
 案外的外れではないのでは? (「予定調和」の時代の不幸でしょうか・・・。)
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