「新座市次世代育成支援行動計画」に、あなたの意見を!


03.11.29推進大会
子育て講演会
04.8.8
るーえん子育て講演会

03.11.29推進大会 子育て講演会より

地域子育ての新時代“次世代育成”と“子育てネットワーク”

東京大学大学院教授
新座市次世代育成支援行動計画策定委員会委員長
汐見稔幸氏
【Vol.1】 先がよめない変化の激しい社会が子育てを難しくしている
【Vol.2】 かつて子どもは地域に放牧され、そこで多くのことを学んできた
【Vol.3】 新時代にあった、子育てが上手にできる社会を創造する
【Vol.4】 制度には組み込めない、「義理」「人情」のこころが社会を救う
【Vol.5】 自分に必要なネットワークは自分でつくる
【Vol.6】 −四市の子育てネットワークの活動報告を受けて−
当事者の視点、声、ニーズを伝える子育てネットワークの役割とは

【Vol.1】 先がよめない変化の激しい社会が子育てを難しくしている

 今日は近所の四つの市が集まって「がんばれ、子育てネットワーク」という、子育てを皆でサポートしあっていこうという、新しい組織づくり、あるいは、新しい社会づくりですね。中心になって担っておられます皆さんから、その経過とこれからの課題の報告がありました。ぼくに与えられたテーマが「地域子育ての新時代、次世代育成と子育てネットワーク」というタイトルです。「新時代」と「ネットワーク」のふたつがキーワードなんだろうと勝手に思いました。子育てを支えていくような社会、あるいはみんなで子育てをしているような社会が、新しい段階に入るんだというふうに思うんですね。次世代育成の法律ができて、国全体で進めていこうという段階に入ったんだと。そこに「新」というのが入った、その意味を考えようというのがひとつのテーマだと思います。もうひとつはその「新時代」を支えていく、ひとつの大きな核となるものが、「ネットワーク」だと考えられているんだと思いますね。
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 今の時代は十年ひと昔じゃないですよ。三年くらいでひと昔になってしまう。十年前、みんなこういうところで、会場に入ったら「携帯の電源をお切りください」なんてね。みんなが携帯で連絡しあうようになるなんて、十年前誰が予想できたか。あるいは子どもたちがいろいろ事件を起こすんだけども、その事件がね、「人を殺す体験をしてみたかったから」。ほんとうかどうかはわからないけれど、そういう動機で人殺しをする。つまり生きるってことに対する激しいこだわりというよりもなんか、死にたいという願望が強くなっている人たちがたくさん出てくる。誰が予想したか。また10年後、どうなるかわかりませんよ。
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 そういう社会の大きな変化が今、起こっている。なぜそれが起こっているか、というとまちがいなく、すべての根っこにあるのは、コンピューターなんですね。コンピューターって何かっていうとね、人間に代わって情報を記憶したり、加工したりする道具なんですね。実はね、人類はさまざまに発展してきました。それは進歩かどうかわかりませんけれども。正確に言葉によって情報が伝わるわけです。そして相談でき、考えることが始まる。人類が獲得したコミュニケーションツール、それは文字なんです。数千年前に文字を作った民族が文明を作り、同時に国家を作ります。文字が発明されているのと国家ができるのとほとんど同じなんです。次に、ガリレオが「地球は回っている」と言った。ガリレオは望遠鏡を使っていた。人間が情報を処理するときに、目で見ること、耳で聞くこと、肌でさわる、とからだで感じていたのが望遠鏡とか顕微鏡とか五感の能力を何百倍にも拡大するツールを手に入れたんです。そのとき遠くの人と通信できる電話だとか、耳の能力を何万倍、何億倍に拡大したんです。その次になんとかのセンサー。今はビデオなんかぜんぶ目の能力を拡大しているんです。人間の五感の能力、今度は機械で全部とって代わってきているんです。それを何万倍、何億倍にすることによって、新しい文明を作っていくわけです。これが産業革命を引き起こします。
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 現在はそうやって、人類がコミュニケーションツールをいろいろ開発してきて、第三段階にきたときに、それまでどうしてもできなったね、自分が手に入れた情報をちょっと記憶しておいたり、その情報をきれいに整理したり、さらに加工したり、つまり考えるって作業を、今度機械にさせ始めた。これが現在起こっている文化革命です。文化革命に応じて、社会のあり方、どんどんかわっていきます。どうかわるか見えません。今、国が考えている「ユビキタス社会」っていうのは、たとえば、朝起きるとき、目覚まし時計がなるんですけどね、それはコンピューターに組み込まれていて、コンピューターが「今日は雨だから用意に時間がかかるからさ、25分早めに起こしてやれ」って自分で考えて、起こしてくれるんです。「♪朝ですよ、朝ですよ」と起こすわけ。それで25分早く起きて、台所に行って、洗面所で顔を洗うと、鏡にコンピューターが組み込まれて、鏡はその人の顔を見てね、「今日は疲れているんだから化粧を濃くしなさい」とかね、画面が出てきます。昨日を用意しておいたボタンを押すと、冷蔵庫からガチャガチャってね、朝のたまごとか出てくるんです。そしたら冷蔵庫がピッピッと言ってね、「たまごがありませんから、注文しておきましょうか」って出てくるんです。そしてポンと押すと「注文しました」ってくるわけです。すべてそういう社会になるということ、これ、国のモデルですよ。ぼくが勝手に言っているんじゃない。
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 そういう社会にしたいですか? すべてコンピューターに組み込まれているからね、ポンと押したら、今日の新聞とテーブルが出てきます。そういう社会にしようとしているんです。たぶんなるでしょうね。今そういう社会が激しく変化していて、いったいどうなっていくかわからない中で、われわれは子育てせざるをえないんです。だから、子どもに対して、どういう力を育てていけばいいのか、何が大事になってくるのか。それをみんな戸惑うわけです。

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【Vol.2】 かつて子どもは地域に放牧され、そこで多くのことを学んできた

 これまで子育てっていうのは、その社会にふさわしいやり方があって、たとえば、昔だと子どもたくさん生んだでしょ? なんで子どもたくさん生んだかというと、貧しいからなんです。貧しい社会は子どもをたくさん生む多産多子社会なんです。なぜかというと子どもが次の労働力の担い手だからです。これは基本的には法則があって、豊かになると子どもが生まれなくなります。子どもを育てるのが大変ですから。自分たちは子どもに頼らなくても何とか生きていける、となったらだんだん生まなくなりますよね。子どもに頼らず生きていける社会を生むんです。
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 ぼくの母親が大正8年生まれですけど、まだ貧しかったですね。大正8年、そのとき、日本人の女性は平均で6点何人生んでいました。これは結婚しなかった人も含めて平均値ですから、生んだ人だけでいうと、7人近く平均で生んでいました。どうですか、7人。生めますか? なぜね、物質的な条件が貧しくて、寿命がずっと短いのに、一人平均7人近く生んでたのかな。それはひたすら子どもが必要だったからです。子どもがたくさんいる社会っていうのは、貧しい社会だから、親が長時間労働するわけです。昭和30年のデータを見ますとね、日本の女性が1日働く時間が平均13時間30分くらいなんです。今はどうですか。1日13時間、働いていますか。とってもそうじゃないでしょう? 13分半くらいでしょ? つまり13時間半も野良仕事も家事もやらなければいけない。そういうときに、7人子どもをずっと世話し続けられるか。これ、不可能じゃないですか。これに7人の育て方の秘密があるわけです。卑弥呼の時代からそうです。7人、8人、生んでいたわけです。そのときにみんなは1日の労働時間十何時間やっていたわけでしょう? どうやってそうやっていたんですか。2歳、3歳になった子どもをですね、今みたいに「じゃあ、公園行こうか」、「ブランコ乗ってごらん」とかね、ずっとついてやっていたら、ご飯がこげつく。つまり以前は、1日中はりついて育てることはしなかったんですよ。朝、ごはん食べさせて、お母さん忙しいときにまとわりつかれたらたまらんから、「ちょっと外行って遊んでおいでよ」「おにいちゃん、この子面倒みてやって」。そういう形で兄弟みられる、近所の人にみられる、あるいはちょっと外に出す、というね。「ちょっと外行って遊んでおいで」って言えて、子どもが「はぁーい」って飛び出して行って、そこで楽しく遊んでいるという環境があったら、子育て、誰も苦労しません。そちらに行ったほうがよく育つもの。
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 そうして、3歳になって、4歳になって、5歳になってね、地域社会の中でいろいろ遊びに巻き込まれていくと、知らないうちに木登りも上手になってきます、魚も上手に採れるようになってきます。コマ回しも鬼ごっこも上手にできるようになる。そうして知らないうちに、からだのたくましさだとか、社会性だとかね、ストレスに対する耐性だとか、挑戦心、冒険心だとか、困難に耐える力だとか、人間性の基礎みたいなものは、誰に教わるのではなく、遊び仲間だとか地域社会の中で身につけていくわけでしょう? そして夕方になったらね、「あ、ごはんなのに帰ってこない」って「どこ行ったの?」って言ってね、そうするとゾロゾロゾロって帰ってくるわけ。つまりこれまで長い間、昼間は地域社会に放牧していたわけです。そして、夕方になったら厩舎に戻して、ごはん食べさせてやって、風呂入れてやって、病気しないようにしてやったわけでしょう? しかも隣近所にいっぱい知り合いの厩舎があったわけ。「あ、どこどこの厩舎に行って遊んでどるわ」ってね。「どうもありがとうございました」って連れ帰せばいいしね。食べ物余ったら「ちょっと食べてくれない?」なんてね。たまご買ったら、こっちは「たまご、一個ない?」とか、そういうときはいろんな厩舎を回れば手に入るわけです。これがこれまでの標準モデルなんです。
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 6人も7人も生んだ子どもを、一から十まで朝から晩までぜんぶ親が手をかけ足かけ育てたわけでなくて、大事な部分は育てて、家庭の中でやれなくって外でやったほうがよく育つような、そういう遊ぶ力とかは地域社会に委ねたわけですよ。放牧したわけです。ピテカントロプスの時代から。文明化によって、それがはじめてできなくなったんです。たとえば、道路が全部舗装されて車がくるわけです。「遊んでおいで」って3歳の子をパッと外に出したらワーッとひかれるかもしれない。だからしょうもないからずっとついて行かなければいけない。そのうち危ないから出さなくなったりする。文明が発達しますと、家の中でおもちゃとかいろんな遊び道具ができます。「家の中でもいいわ」となってしまいます。そうすると放牧して育てていた部分が、家庭の中に持ち込まれる。放牧するということは、子どもたちがそこで走り回る、友達といろいろふざけたり、けんかしたり、冒険する。そういうふうにして育つものを家庭の中で育てなければいけなくなる。こんなもん上手にできるわけないです。社会性だとかからだの力とか。社会性は子どもがともにたくらんだりするから伸びるんです。
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 それを家庭の中で親がやっている。「いい、やさしくなるのよ」なんて言って、なるんだったら苦労はしませんよね。そういう難しさを今かかえてしまって、いったいどうしたらいいんだというので、だんだん子どもを生まなくなってきている。しかも食べるだけだったら何とかなる社会をクリアしちゃったわけでしょう。そうすると、「私たち、どうしても子どもがいないと食べていけないからね。早く育てなきゃね」という時代ではないではない。そうすると、子どもを生むか生まないかは結婚した夫婦にとってひとつオプションなんですよ。選択行為。「どうする? 生む?」とかね。「あんた、ちゃんと手伝うの?」なんてことですね、「やるよ」って言って、生んだら、「こんなピーピー泣くガキ、生めっていった覚えねぇ」となると、「二人目はいらないわ」って。そういうふうな時代にはじめてなったんです。
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 つまり人類の歴史の中で、子どもっていうのは基本的には家庭の中で生み、最初の段階はあたたかく育て、ある程度大きくなったら地域社会に放り出して、隣近所の厩舎を借りてやった。そうして夕方になったら戻すというやり方をやっていたのが、これができなくなっちゃったわけでしょう。すべてが家庭の中でやらなければならない。これは人類史の中で、文化革命が第四段階に入ったのと平行して、子育てについては第二段階に入った。それでみんな苦しんでいるわけ。子育てを昔には戻せない。昔には戻せないけれども、すべてが母親が出てやらなければいけないとかね、たまったストレスも自分で解消しなければいけないという、ある意味残酷な、環境なり社会を、もう一回現代風の放牧関係、現代風の地域の子育て環境をつくることによって、少しでも子育てというものが親にとって喜びになり、「知らぬ間にたくましく育ってくれたね」っていうふうな、そういうものになるように必死で知恵を重ねていく時代になってきたわけです。

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【Vol.3】 新時代にあった、子育てが上手にできる社会を創造する

 これからどういうふうになっていくか、わかりませんけれどね、ぼくは子育てが新時代になってきている、この「新」というのは結局、私たちが文明化だとか都市化だとかね、コンピューターがどんどん進んできたような、そういった形で作ってきた社会変化、そのことによって子育てが窮屈になってきた。それをもう1回ね、ぼくの家じゃね、ちょっと外で出て小さな子どもと500メートル行けば、1ヵ所そこには子育てサロンがある。子どもを育てているお母さんたちが「アハハ、アハハ」笑いあっているところがあるとか。500メートル行けば、1ヵ所ね、子どもが「こーんなおもしろい遊び場あるんだ!」ってね。そこは木に登ってもいいしね、焚き火してもいいとかね。花を折ってもいいしね。サスケやってもいいというような、子ども用の公園がね、ちゃんと完備されている。ちょっと大きくなれば一人で遊びに行ける。「お母さん、500メートル行けばある」。そこでちゃんとみてくれている大人もいるっていうような、そういう社会にもう一回戻さないと。戻すというよりそれは、創造するんですね。そういうものをつくらない限り、「子育てって楽しいよね」とかね、「子育てって昔に比べてずいぶんラクになったね」というふうな社会にはならないと。そうして子育てってしんどいなと思うかぎり、そのしんどさを必ずどっかにぶつけます。子どもにせよ、なんかにね。
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 だからぼくは今日のテーマの新時代の「新」というのは、人間がもう一度子育てを上手にやれるような、そういう社会がつくれるか、そういう新しさがつくれるかどうかが試されているという意味での「新」なんだと思っております。ぼくはそれほど重みのあることだと思っています。これがひとつ。
 それからもうひとつのキーワードが「ネットワーク」ですよね。「ネットワーク」という言葉は、これから広がっていくし、定着していくと思うんですが、そうであればあるほど、「ネットワーク」とはなんだろうということをもう1回みんなで議論しなければいけないと思うんですね。「ネットワーク」って何かと言ったら、クモが上手に巣を張る、ああいうネットを作ることをネットワークと言うんですね。子育てに限らず人間が生きていくときに、困ることがよく起こる。人生には予想しない困難なことが待ち受けているわけですね。それを上手に乗り切れるかどうか。これが人生上手に生きられるかどうかです。その乗り切るときに、何をいちばん頼りにしますか。お金ですか。お金持ちはそうかもしれないね。だけど、いちばん頼りになるのは、友達。人脈があるかないかでぜんぜん違うじゃないですか。
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うちの娘、引っ越して沖縄に行っているんですけど、向こうで保育園に入れようと思ってもまったくないわけですよね。だけど、ぼくはいちおう保育関係いっぱい知っているから、「保育園がみつからない」って相談したら、あいているところを教えてくれてパッと入れたんです。こういうのもひとつの人脈の冥利ですよね。子育てだとか、生活をしているときに、ちょっと困ったときに、いちばん頼りになるのは、いろんな人脈を持っているかどうか、ってことなんです。それがとってもありがたいんですね。で、子育てだろうが、なんだろうがですね、「あの人、頼ればなんとか知っている人、紹介してもらえるよ」とかね。「あ、だったら、ここ行ってごらん」とかね。「うちの子不登校なんだけど、どうしたらいい?」って言ったら、「不登校だったら、なんとかさんが世話しているから、そこ行ってごらん」とかね。そういうのをパッと紹介できる。人脈がある。「ネットワーク」って人脈づくりなんだと思うんですよ。自分がこういうときに困ったときに、パッと頼れるとかね。助けてもらえるとかね。そういう人たちをどれだけたくさん持っているか。もちろん社会的な活動をいっぱいしている人脈が多い人もいればね、結婚してから引っ越してきて誰も友達もいない、人脈なんてあまりないといのも当然います。だからそのネットワークづくりというのは人脈があまりない、つくれないという人に対して、要するに「ここへ来れば人脈がつくれますよ」あるいは「人脈づくりを応援しますよ」っていうことなんだ、と。そういうふうに考えれば、もう少しわかりやすくなるんではないかという気がするんです。実は日本の社会には、かつてそういうことがあったわけですよね。

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【Vol.4】 制度には組み込めない、「義理」「人情」のこころが社会を救う

 近代社会をつくるときのひとつのモデルは、民主主義。これはフランス革命の中で、あきらかにされた考え方なんです。フランス革命というのはルソーの理想を実現しようということで社会運動になったり。例のルイ16世とマリーアントワネットの話ですよね。そのときフランス革命を起こした民衆たちが掲げたスローガンが、有名な「自由」、「平等」、「友愛」です。新しい社会をつくるときの原理は、その三つだったわけです。「自由」と「平等」というのはわかるんです。「自由」というのは、一人ひとりが何にも拘束されないで、自分が自分の主人公になれるわけですね。「平等」というのは、人間がこの世に生まれた限りですね、誰もが同じように幸せになる権利がある。そういう考え方ですね。このふたつは往々にして矛盾する。「自由」だけを強調すると「金儲けも自由じゃん」ってね。「俺は金持っているし財産持っているし、金儲けも自由競争だ」と思いますね。そうすると、力がある、才覚のあるやつがのしていきます。そうでないものは落ちこぼれていって、結局貧富の差が激しくなるでしょう。自由競争だけでもね。それではまずい。資本主義をバーッとやっていると、恐慌はくるし、貧富の差は激しくなるし、それがいやになって社会主義にするか、というと、社会主義は今度は硬直してしまって、人間の平等というのが実際は人間の不自由になってしまう。このふたつをどう調整するか、っていうのが今起こっている。新しい動きが始まっているんですが、実はその中で抜けていたものがあるんですよ。何かといったら、「友愛」。この「友愛」というのが何なのか、ぜんぜん深められない。「友愛」って英語で言うと、"friendship(フレンドシップ)"なんですよ。わかりやすく言うと、すごい困っているやつがいると助けようじゃないか、ということなんです。すごい困っていたやつがいて、「おまえ、黙っていられるの?」。そういう考え方なんです。
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 日本でいちばん近いのが「義理」「人情」です。社会を救うには、制度としての自由、平等以外に、なかなか制度にはならないが、それがないと人間の生活が円滑に運営されない、潤滑のような権利、「友愛」が必要なんです。「義理」「人情」です。隣の人が入院したからね、「だんなさん、ごはん、どうしているの?」「困っているでしょうね。誰か順番に作っていってあげない?」とかね。そういうふうなことをしなければ、子どもを生んだお母さんが朝から晩まで孤立している。「かわいそーにね。みんなで順番に見に行かない?」ってね。 そういうふうなことをやる人間を評価しよう、励まそう。あるいは社会の中でそういうボランティア活動をもっと制度でやっていこうとね。その辺にもっとお金を使ってもらおう、とか。そういう友愛の原理をワワァーッって縦横無尽に発達させるということが、もうひとつ社会の原理で必要なんだと。日本に昔あったんだよ。
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 ぼくの妹がイギリスで暮らしています。家族は日本人なんですけどね。昔、アゼルバイジャンかどっかで大きな地震があって5万人くらいが死んだ。次の日に、「アゼルバイジャン行きませんか。アゼルバイジャン行きませんか」って人を募集している。お金は行く人の分「カンパしてくれ、カンパしてくれ」。地球全体で困った人がいたら、「とんでいくのが当たり前じゃないか」って。オランダには、1年間稼いだ金をどれだけ寄付できるかを競うあう村祭りがあるんですよ。ぼくがそれを読んだときに、いちばん多かった人、500万稼いで400万寄付したって。それが人間として尊いことだっていうことを競い合う。日本でもあったと思うんですよね。だから仏教関係、がんばれって、言いたいんですけどね。仏教に基づけば「慈悲」。そういうものをどう制度化していくか、どう新しくつくっていくか、っていう、そのことが応援するベースにいっそうならなければいけない、と思っているんですね。
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 「ネットワーキング」というのは、社会を「自由」、「平等」、そしてもうひとつ「友愛」、この3つで救っていこうとしているけど、日本は「友愛」というものを深めてこなかった。それでうまくいかなくなった。「困っているお母さんがいたら支えあいしようじゃない」と。そういうような社会づくりっていうのを、始めようって、そういうことだと思うんですね。

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【Vol.5】 自分に必要なネットワークは自分でつくる

 誰かがそういうネットワークづくりをしてくれるのをずっと待っているとかね。「そのうちつくってくれるんじゃないかしら」っていう、こういう姿勢はぼく、ダメだと思う。要するに、自分の隣で孤立している人がいたら、「どう?」って訪ねて行って、話をしてストレス解消させてあげようとか。自分も動けるんだったら、誰かを助けてあげよう、とか。同時に、自分も困っているとき、助けてもらおうとかっていうね。待っていたらできないんだから、一歩出ていこう、ってね。だから、極端に言うと、「今私困っているんです。孤立しててね。助けてください」っていうね、そういうことが言える。「それが大事なんだよね」っていう、「黙っているよりそうやって言っているというのが大事なのよね」っていう、そういう雰囲気づくりが大事な気がします。それを訴えてきた人がいたら、「えらいねー。よく勇気ありましたね。言えたね」というふうに掲げる雰囲気がなければ、「うちの町はないのね。ダメな町よね」というふうになって、血の通ったものにはならないと思います。たとえば、「私は5人目、どうしても育てたい」という「5人育児の会」なんてあるわけですよね。でも、そのためには、いろいろ抵抗もあると。「うちの町には、不登校の親たちがみんなで励ましあう会『不登校の親の会』をつくろう」とかね。「うちの子、アトピーがひどいんだよね」。「アトピーの親の会」というのもあるわけですね。そういうのを自分でつくっていこうとかね。悩んでいる人に、「そういうのあるから、一緒につくらない?」っていう形で励まして。自分たちがこれがあったら助かるだろうな、というような組織をつくって、それを応援していく、また、部隊をつくっていく。その形でどんどんできていくんだと思うんですよ。保育園の関係者なんか「ネットワークがないからうまくいかないんです」とよく言うんですね。でも、それは違う。「ネットワーク」は待っていたらできるもんではない。たとえば自分の保育園のまわりに、主任児童員さんだとか民生員さんだとか、「そういう人が何人、どこに行っているか、ちゃんとつかんでる? そうしたところに行って訪問してる?」って。そうしていろいろ根回しして、「一緒にやりましょうよ」って。「ぜひ、保育園に来てくださいよ」って。人脈というのは自分でつくるもんなんです。自分でつくるという姿勢があって、そこでまたもうひとつ応援しようというグループがあって、はじめて「ネットワーク」ができていくわけですね。ないんだったらどんどんつくろう。困っていたら、どんどん助けていこう。そういう人がいたら、あの人自分から出て行った、ということで、その人をすごく大きく評価して、どんどん応援していこう、という、そういう運動なんだという気がします。
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 そういう運動が起こってきたときに、さっき言った「自由」と「平等」と「友愛」の関係なんですけどもね、ある程度までいくと、必ず専門性が必要な問題にぶつかってきます。たとえば、虐待をしていてどうしてもやめられないとお母さんがいて、「私たちの団体ではちょっとムリだ」とかね。「うつ傾向が強くなって、ちょっと出て行けないお母さんがいる」って。あそこ確か小さい子がいるのに、公園に遊びに連れてこない、なかなか出てこないよね、いうような人がいるとか。そうなったときに私たちがうつのお母さんに「がんばりましょうよ」って言ったら大変なことになってしまうわけですよ。「がんばりましょう、って言われなければ、私はがんばれない人間なんですね」ってことになっていって、もっとひどいことになってしまうわけ。だからそういう人は専門家につなげなければいけない。そうすると、行政が何をしてくれるのか。そのつなげの仕事は、しろうとだけではなかなかできなくなってしまうので、プロが入ってくると、プロの中にいい人がいたらいいけれど、そうではなかった場合になかなか動けないと。そうすると行政が、「これはこの町には必要な組織なので、そういう形で関わってもらえないか」とがんばって動いてくれるとか。そういう形で行政と子育てのボランティアが、いい形で協働しなければ、それ以上はぜったいにうまくいかない段階、必ずくるわけです。そこで今度は、普段からNPOだとかそういうところが、行政のメンバーと情報をしょっちゅう交換していれば、行政のメンバーの中に、かゆいところに手が届くような地域づくりをしていくためには、そのNPOの人たちと情報交換をしていかないとやっぱりダメなんだということがわかる人が出てくるはずなんです。そこでそういうパイプをつくっていくってね。
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 行政の役割とは、NPOだとかいろんなところがいい活動をしていて、かなり公的な性格があるというときに、それに対して財政の援助をするべきじゃないの。つまり金をがんばって取ってくるとかね。場所を提供するだとか。そういう「ネットワーク」づくり、新しい地域づくりですね。
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 どうしてもまだ男性が豊かに登場しているというイメージができてないんですよ。やっぱり、父ちゃんは山に芝刈りに、母ちゃんたちが家で洗濯して、路地に横につながって井戸端会議しているんです。できるだけ父親が地域社会の中で活動するとか、こーんなにおもしろかったんだ、という、父親の要求に基づいたネットワークづくりというものに、アイディアをいっぱい出していただきたいと思うんですね。今の日本、父親は大変です。長時間労働だし、いつリストラされるかわからないという雰囲気の中で、でも、ここに来ると自分が取り戻せたというかな。子どもと一緒に遊ぶと、こんなに自分がラクになるとか。お父さん同士が肩書きはずして、いろいろやると、実は自分より大変な人、いっぱいいたとかね。それでもがんばっている人がいて、「俺、励まされたよ」って言ってね。いい夫婦関係のモデルがいっぱいあって、「おれたちも参考になるな」とかね。毎年結婚記念日に、もう1年やるか契約書を交わすとかね。「おもしろいな」てそういうふうなことがそこで出会えるっていうかな。だから、何かつくるときに、母親がだけがいろいろやるっていうイメージをつくっていくのはなくて、これはぜひ、お父さんにやってもらう、というようなことをどんどん提案して、前提をしていただきたいというのがありますけどね。

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【Vol.6】 −四市の子育てネットワークの活動報告を受けて−
       当事者の視点、声、ニーズを伝える子育てネットワークの役割とは


 今、(コーディネーターの)坂本さんがおっしゃった「当事者主権」という問題なんですけど、今日、ぼくは最初に新しいというのは、大きな歴史の中、流れの中で、子育ての仕方が第二段階に入ってしまって、それで難しさが出てきて、それをもう1回、創造しなくてはいけない、というお話をしましたね。新しい地域づくりでやっていくしかないんだと。いろんな原理を回復しなければいけない。「自由」と「平等」だけでなくて、もっと「友愛」という原理を大事にした社会をつくっていかなければいけないとか。さっきも話をしたけど、コンピューターの文明がどんどんのしてきて、手作りでつくる文化の世界がだんだん縮小してきています。文化で手作りの世界は"culture(カルチャー)"ですから、カルチャーって農業です。カルチャーって、土を耕すことっていう意味ですよ。自分で手作りで何かを育てていってカルチャーなんでね、文明は、"civilization(シビライゼーション)"でね、もともとニュアンスが違うでしょう? 文明も必要なんです。文明というのは端的にいうと、私たちの要求を大規模に効率的に実現するというしくみで、要するに、夏目漱石の定義によると「ものぐさ」を制度化したものだと言っています。それは確かに必要なんだけれども、そういうふうな世界がどんどん入ってくることによって、人間が一生懸命、苦労しながら、おいしい料理を子どもと一緒につくるとか、家族で一緒にからだつかってハイキングして、「今日、おもしろかったね」と言う。それが思い出になっていくという。そうやって、遊びひとつ、ハイキングひとつ、これをぼくはつくる、つくった。ハイキングの世界を作品としてつくることだと思う。「ハイキング行ったら、どしゃ降りで大変だったね。やっと帰って来れたね。今日は大変だったなぁ」って、思い出がひとつの作品ではないですか。そういう作品を一生懸命手作りでつくるって、これが文化だと。そういう家庭の文化というもののね、それぞれの家庭でみんなが上手につくれるように、お父さんも子育て中は早く帰れるように、とか。そういう意味で、いろんな新しさがこれから必要になってくると思うんです。だから、今までの社会をモデルにして発想できなくなると、その新しさをイメージできないかもしれないのだけれども、そうでなくてね、これはほんと新しい社会をつくらなければいけないのだから、原理も何ももう一遍、原点から考え直すんだ。そのひとつが当事者主権だということですよね。
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 子どもの権利条約が出てきたときに、どんな子どもも自分の自我に関わることについては、ちゃんと意見を表明する権利があるってことがでてきたでしょう。新鮮でしたよね。たとえば、その原理でいうと、小学校2年生の子どもたちが教室でどこにすわるかは、「先生が決めたほうがいいの? 君たちが議論して決めたほうがいいの?」と聞くべきなんだ。それから小学校あるいは幼稚園や保育園に入ったら、「これから1年間この部屋で暮らすね。この部屋にどんなもの飾りたい? どういうふうにしたらこの部屋、ステキになる? みんなでちょっと議論してくれる?」とかいうようなことでできる。そういう形で当事者のいちばん求めているものというものを、ちゃんとこちらが聞いて。カウンセリングの中に「ピアカウンセリング」というのがあるんですよ。これ何かっていうと、たとえば身体障害者であったら、それを支えていくのは健常者という目になりますよね。ところがそうでなくて、身体障害者が身体障害者を支えるんです。つまり、自分が身体に障害を持っているから、どれだけコンプレックスでどの辺に苦労をするのか、自分がいちばんよく知っている。健常者にはわかりにくい。「だから私は支えてもらっていてね、ここまでやるようになったらか、その私は新しい身体障害者を支えていこう」と、そこから始まって子育てを応援する子育てカウンセリングってあるじゃないですか。それをどのカウンセラーにやってもらうかじゃなくて、子育てを経験した、子育てに苦労したという、この私だからこそ支えてあげよう、という、そういうことのほうが実はいいんだということになってきているわけです。そういう意味で、当事者主権というのは、たとえば、子育てをやっている若い世代に、子育てを経験した人がサポートしていく、ってことを含めてね、当事者だからこそわかる。いろんなニュアンスをこめて、これから広がっていく概念だとぼくは思っています。
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 最後に一言、お願いしたいのですが、今日はあまりくわしくしゃべらなかったんですけど、子育てで苦労しておられる方は、子どもが3歳になったら急に苦労するとかね、5歳になったら急に苦労するというケースもあるんですけれども、そうではなくて、赤ちゃんのときから苦労した延長で苦労しているケースが多いんですね。実は赤ちゃんの中には一定の割合で、手のかかる子がいるんです。おっぱいぜんぜん飲んでくれないし、ちょっとしたことで泣いたら簡単に泣き止んでくれないし、やっと泣き止んだと思って、そろそろとおろした途端からギャーと泣かれたりとかね。あるいは、トイレの水がジャーとなっても泣いてしまうし。お母さんが昼間トイレで水が流せないんだとかね。そういうふうな子どももいるんですね。生まれつきそうなってくるんですよ。それは結局人間の脳が100パーセント、バランスよく発達して生まれてくるわけでなくて、あるところはすごく発達したけれど、別のところには見合っていなかったりすると、自分が自分をうまくコントロールできなかったりするって。それが原因だろうと言われているんです。そういう子どもに当たったお母さんは大変なんですよね。日本ではだいたい30パーセント弱いると言われています。つまり3人に1人、4人に1人くらいは、多少は扱いが難しい子。その扱いが難しい、手のかかる子の3人に1人は、お母さんがわかってだんだん上手になっているんです。でも、3人に2人は、あんまりわからなくて「お兄ちゃんはラクだったのに、あなたはどうして〜」とかいう形で、親子がなかなかいい関係をつくれないまま推移していく。そういうふうになったときに、子どもは親とうまくアタッチメントできないでいってしまうでしょう? だから子どもの発達が送んないのと、親のほうもイライラしてくるとカチンとやったりするってことが起こる。そういう人は子育てが魅力に感じきれないわけです。
* * *
 昔は「あー、そういう子、外に出しちゃダメ」とか、「ああ、そういうの買い物して、連れている人いるのよー。そんなの気にしちゃダメ」とかって、安心させてくれる人がいて、「あんた、上手ね」って言ったのね。今は子どもが一人か二人で、その子が扱いが難しい子だったら、大変なわけですね。そこで提案というかお願いなんですけど、子育て支援はね、生まれたすぐ後からお母さんを応援していくっていう、とりわけゼロ歳のときに、孤立したままね、悩みを一人で解決しなければいけない、そういうお母さんをできるだけ減らしていく。たとえば、ある市の中で、NPOをつくって世話やきおばさんを100人くらい組織しておいて、生む予定の人に事前に、「もし生まれた後、毎日世話やきに行くという制度があったら利用しますか」と聞いて、「利用したい」というのがあったら、生まれたあとにすぐに電話して、「生まれましたか? 私なんとかおばさんですけれど、これから毎日お世話に行きますけどいいですか?」って言って、毎日短時間でもいいから行ってあげて「どう?」とか、「買い物してあげるわよ」とか、「そうだったら何とか先生のところに行けばいいわよ」とかね、そういうアドバイスをどんどんしてくれるという。そういう人を例外なしにどの人にもはりついていく、そういう体制ができれば、「あの人はちょっとしんどそうな人よ」って。「自分も病気だからみんなで応援してあげなさい」。そういうことがどんどんわかってきますよね。子育て支援って「出てきなさい、出てきなさい」ってサロンに出て行ける人はいいんですよ。出て行けないという人たちがたくさんいるわけで、「私はどうも社交的でないから」とか、「実は家で子どもをしょっちゅう殴ったりしていやでいやでしょうがなくて、とても人前に出て行けないのよ」。そういう人たちこそがサポートされて自信を回復して、「私もそうだったんだ」と言えるようになる。そういう町づくりをやっていく必要があって、そのためには、ゼロ歳のときのサポートが大事なんだと思います。そういうアイディアを、それぞれのNPO、あるいはネットワークの中でいろいろ考え、それを行政と一緒になって具体化していくような、そういうこともぜひ取り入れていただければな、と思います。埼玉のこの辺がエラク燃えているってね、そういう時代が来るんじゃないかと少し話しながら聞いていましたけど。(完)

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04.8.8 るーえんの子育て講演会より

夢のある子育てをしよう

〜家庭で、地域で支えあう子育て〜
講師:汐見稔幸氏

 8月8日、新座市立栄保育園で、栄保育園と地域子育て支援センター「るーえん」の主催で、汐見稔幸氏の子育て講演会が開催されました。日曜日ということで、夫婦で参加してくださった方をはじめ、大勢のみなさんが参加してくださいました。子どものお子守役を担い、ママを車で送迎するパパの姿も見られました。その講演の概要をご紹介します。
 
子育ては、自分が親にどう育てられたかという記憶をモデルとした営みの繰り返し
汐見先生  子育ては、自分が子どものころに、どう育てられたかという漠然とした記憶を最大の手がかりにして、行われる営みなんです。育てられ方、愛され方、こういうことをしたら楽しかった、おもしろかった等々。ずいぶんむつかしいことをやっていますね。
 貧しかったけれど、いい家族だったという場合は問題がありません。でも、小さいときの思い出は楽しくない、無理をしていたなという人はモデルがないから、それなりに工夫をしなければいけないんです。殴られてイヤだったなぁ、と思っているのに、自分もカッとなったらなぐってしまうというのはよくあるケースです。小さいときにネガティブな感情をもって育ってきて、本人もなんでかわからないのに、子どもとの関係がうまくいかないという場合もあります。それは、自分はできなかったことを、わが子は自由にやっている、という子どもに対する嫉妬も半分あります。そうした感情は無意識の中にあるのです。

ネガティブな子育て体験は、語り合うことで感情の処理をする
 では、どうしたらいいか。夫婦で子育てをしながら、二人で語り合わなければいけません。本人もわかっていない感情ががそこにあるわけですから。どう育てられたか。それをとことん話し合って感じなおすことです。シングルなら親しい友人に、あるいは先輩のお母さんと語り合うこともいいでしょう。話し合って、小さいときのしんどい思いに片をつける。感情の処理をすることです。
 ひとつの例ですが、わが子がかわいいと思えなくて悩んでいた母親がいました。その母親はある日、ハタッと思考の回路がつながったそうです。自分は小さいとき、お母さんに習い事をいっぱいさせられて、イヤでイヤでたまらなかった。そこで、自分の母親のところに行って、小さいときの習い事がいやだったと抗議をしたそうです。生後30年ではじめて母親にした反発だった。その人のお母さんもえらくて、その言葉をきいて、「ごめんね」と言ったそうです。それで彼女はワーッと泣くことができた。彼女は私に言いました。「先生ね、不思議なもので、それからわが子がすごくかわいく思えてきたんです」と。
 彼女の場合、小さいころの無理が大人の時点で解消されていなかった。嫌なことは、どこかで発散すると自分がラクになる。そうしたら、親としてやっていけます。
汐見先生2

親として、考える体験と違う文化を理解できる体験をさせてあげよう
子どもを遊ばせながら参加  これからの時代、親としてできることはふたつだと思います。ひとつは、考える体験をいっぱいさせてあげること。車でいけるところは歩いていく、自分の手でつくる、など、文明社会に逆らって、体を使う生活をさせてあげる。ふたつめは、違う文化と接したときに、違うからおもしろいと思える感覚を養ってあげることです。親と意見が違ったとき、「おもしろいね」と肯定してあげる。機会があったら、子どもに一度アジアの国をみせてあげてください。水道も電気もないアジアの国、でも、子どもたちの目がキラキラと輝いている。いろんな体験をさせて、違う文化を理解できるヒントを与えてあげてください。


ほめるより共感する子育てを
 講演後、会場から汐見先生への質問タイムがもうけられました。著書『ほめない子育て』の内容についての質問には、ほめる行為は、親に気に入ることをしてもらう手段で、親の気持ちを子どもに押し付けてしまうので、ほめるのではなく共感してあげる、たとえば、子どもが積み木を積みあげて「やったぁ」と思っているのなら、ほめるのではなく、子どもと同じように感じて「やったね」と共感してあげましょう、と汐見先生。「なるほど」と大きくうなづくお母さん、お父さんの顔がたくさんありました。
会場の様子
 また、子どもとふれあいたいと思ってもなかなか時間がとれないけど、どうしたらいいのか、という父親からの質問には、早く帰宅できず父親にとっては厳しい社会だけど、土曜、日曜日はがんばって子どもと付き合うとかたく決意をこめて、時間でなくて質で勝負しては、とアドバイスがありました。自然の中で遊ばせるのがおすすめだそうです。

 終了後のアンケートからは、「すてきな講演できてよかった」、「もっと夫婦で話し合ってみようと思った」などの感想が寄せられました。

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