ちっちゃいつ〜ちゃんの想い出

はじめまして…
「ちっちゃいつーちゃんの想い出」へようこそ。

つーちゃんは、K市に400年以上も続いている旧家で生まれました。
お父さん、お母さん、お兄ちゃん、妹…その他にもたくさんの家族がいました。

核家族と呼ばれる家庭が多かったその時代に、つーちゃんはお友だちよりもたくさんの経験をしながら育ったような気がします。
今、子育てをしながら、断片的に子どもの頃のいろいろなことが思い出されます。
兄と妹の真ん中で育った私が、同じように男の子・女の子・女の子の母親になって気が付いたこともたくさんあります。
そんなことを、思い出したときに思い出したままのかたちで書き留めてみようかな?と、こんなページを作ってみました。
いつ更新できるのかもわかりませんが、時々覗いてみてください。

1.正義の味方
 つーちゃんはおとなしくて、そんなに悪いこともしなかったはずなんだけど、たまにお父さんに叱られて、反省するまでお外に出されちゃったことがあった。
かやぶき屋根の農家。お外、と言っても土間から外に出た所で、玄関の引き戸も開いているし、中の様子も伺えるような…その程度の場所。
謝るタイミングがつかめなくて、お外で困っているつーちゃん。
泣いたり騒いだりはしなかったと思う。神妙に時が経つのを待っていたんだと思うなぁ。
 「つーちゃん、これを使って、お家に入っておいで!」
裸足で外廊下に座っているつーちゃんの所に、お兄ちゃんが段ボールを2枚届けてくれた。
一枚に乗って、もう1枚を前に置いて、そっちに移動して…。
それを繰り返して、いくらでもある入口から、そっと居間
の隅っこまで戻っちゃった。
もう、お父さんも怒っていないし、誰もつーちゃんを責めたりしない。
お兄ちゃんは笑っていた。「良かったね。」って笑っていた。
2.幼稚園初日
つーちゃんは、日蓮宗の幼稚園に2年保育で入ったよ。
家は曹洞宗なのに、近くの幼稚園に通ったよ。
バラ組の先生はほっぺのふっくらした笑顔のかわいい先生。
幼稚園に行くのが楽しみだったから、最初の日から泣いたりはしなかったんだけど、お迎えの時間に天気が悪くなってきて、急に不安になっちゃった。
歩いて通える幼稚園。
お母さんのお迎えを待っていたら今にも雨が降り出しそうに…。

お母さんが来た!傘を持ってきてくれた。
少し泣きそうになっちゃった。ほっとして、泣きそうになっちゃった。
4.ヒデミ くん
幼稚園ではいつもヒデミくんと遊んでいました。
しゃがんで、足をスモックの中に入れて「チビちゃんごっこ」というのをよくやっていました。幼稚園児のチビちゃんたちが、もっとチビちゃんになって遊ぶってかわいいね。
ヒデミ君は背が高くて、つーちゃんにとっては頼もしい存在だったのかな?
う〜〜ん。お教室では、つーちゃんがいろいろ教えてあげたような気がします。
ヒデミくんの家で覚えているのは、レールを組み立てて電車を走らせるおもちゃがあったこと。なぜか、しまってあった場所も覚えています。
ヒデミくんのおかあさんがお買い物に出かけると、ヒデミ君がテーブルの上から飛び降りたりして遊ぶので、危ない!と思いながら、ちょっとかっこいいなぁ。。。と思いました。
5.算数が好き。
なぜか小学校3年の時のこと。
30代の男の先生。プレハブの教室。
算数の時間。先生が黒板に三角形をたくさん書いた。
全ての三角形に角度が書いてあった。
「全部の三角形を比べて見て、何か気が付いたことはありますか?」
元気の良い男子がどんどん手を挙げる。
女の子もなかなか良い発見を言っている。
「そうだね〜、でも、そうじゃなくて他に気が付かないかなぁ?」
・・・授業終了のチャイム・・・
「惜しいなぁ。誰かが答えを言ってくれるまで休み時間にならないよ。」
「え〜〜〜!!」
実は私は少し前から気が付いていた。
手を挙げるのが苦手だから、ずっと三角形を見比べていたから。。。
でも、たくさんの意見が出た後で、違っていたらどうしよう?って心配で
手が挙げられなかった。
静かになってしまった教室。ドキドキしながら手を挙げた。
「三つの角度をたすと、どの三角形も180度になります。」
たったそれだけのこと。でも、塾に通う子もいない当時の3年生。
なぜか私だけが気が付いた。
算数は大好きだったけど、その日からもっと好きになった。
小学校の算数大好き。中学の数学好き。高校は・・・言いたくない。
6.妹
たった2つしか違わないのに、妹はかわいくて小さくて、私が守ってあげるんだ!って気持ちが強かった気がします。
せっかちなつーちゃん。のんびり屋の妹。
仲良しに見えたと思うけど、たまにはこわい?お姉ちゃんになっていたのかも知れないなぁ。今頃反省しても遅いかな?
今、デュッセルドルフにいる妹。
こんなに離れたのは生まれて初めてだね。
幼い頃のことを思い出すよりも、今、会いに行きたい!!
身長が抜かれてしまった中学時代からは、親友になったみたいだね。
エピソードは思い出したときに書きましょう。
書いても書いても書ききれないくらいあるんだからね。
妹は言うでしょう。「つーちゃんって、誰?おねはおねでしょ。」って…。
7.お揃いの服
今の子どもたちにはあまり無くなってしまったけれど、つーちゃんたちが子供の頃は、普段着とよそ行きの服にかなり差があったんだ。
「よそ行き」の服はいつも妹とお揃いで、渋谷のTデパートか新宿のMデパートあたり(お母さんの好みだったんだ。)にわざわざ買いに行ったんだよね。
妹とは色違いで買うことが多かったかな?つーちゃんのお下がりが必ず妹にまわるから、同じ色だと、妹は何年も同じ服を着てるみたいになっちゃうからね。
お正月とか、夏休みの小旅行とか、そんなときに「よそ行き」の服を着たんだよね。嬉しかったな。
◎大人になって、就職活動するとき、その頃のイメージでMデパートに決めたんだけど、入った翌年あたりに社長のスキャンダルで大変な騒ぎになって、「よそ行き」どころの状態じゃなかったけれど、今はそれも懐かしい思い出。(これから、大きくなってからの余談は◎で書いてみますね。)
8.大家族
つぅ〜ちゃんが生まれたときは13人家族だったのかな?
祖父母の他に、お父さんの弟や妹が(腹違い・連れ子含め)たくさんいて、次々に結婚していったのだけど…。
下の方の叔母さんたちとは小学校に入っても家族でしたね。
お買い物に連れて行ってもらったり、編み物(簡単なもの)を教えてもらったり…。お風呂にもよく一緒に入りました。

あと、もう一人、お父さんのお兄さん(伯父さん)も大切な家族でした。
赤ちゃんの時に小児マヒになって、座ったままの生活で、上手にお話しすることも出来なかったおじちゃん(そう呼んでいました。)だけど、いつも、私たち3人兄妹を守っていてくれた気がします。
19才の時に(おじちゃんは50才)亡くなるまで…途中、思春期の頃は「家族」として友人に紹介できなかった時期もあったけど、おじちゃんは、大切な大切な家族でした。

◎家族に「介護」の必要な人がいる。それはつぅ〜ちゃん兄妹には普通の暮らしだった。
食事の支度があるから家を留守に出来ないし、お風呂に入れるのも大人が数人がかり…。
それは生まれたときからのことだから、特別なことじゃなかった。
でも、主におじちゃんの世話をしていた母は本当に大変だったと思う。
今、ヘルパーをしていて、私がケアに入ることで、そのお宅のご家族が少しでも自由な時間が持てたら、本当に嬉しい。
家族が全てを見るのが理想かも知れないけど、あの頃、介護保険でヘルパーが頼めたら…母はもう少し好きなことが出来たかも知れないな。と今になって思う。子どもの頃に感じたことが、今、私の仕事の中で生きている。 特別じゃないってこと。心は通じ合うってこと。。。
9.転校生のトモミくん
小学校2年の時にすでにお引っ越しは9回目だと言っていました。
トモミくんのお父さんは、東名高速道路を造るお仕事だったんです。
つ〜ちゃんの家の近くを造っていた1年間。トモミくんとは大の仲良しでした。とにかく運動神経が良くて、つ〜ちゃんと同じくらい体は小さいのに、前宙だって余裕で出来ちゃうくらい…。昆虫採集も得意で、トモミくんが集中して標本を作っている姿を、何も話さずに、邪魔をしないように、ず〜っと見つめていた瞬間の映像が今も蘇ります。
2年生の3学期に席替えをするときに、当時新卒だった23才の男性教諭が「好きな人ととなりになれるように、二人ずつ名前を書いて出してもらうよ。」と予告しました。
私とトモミくんは帰り道で相談して、「1番同士に書いてしまって先生に発表されたりしたら恥ずかしいから、二人とも2番目に名前を書こうね。」と決めました。
結果、二人はそれぞれ1番に書いたお友だちと隣同士になってしまいました。作戦失敗。ちょっぴりせつない3学期となりました。

3年生の夏にトモミくんは次の場所にお引っ越ししました。
お別れ前日は、本当に悲しかったのを覚えています。
初恋の人はトモミくんだったのかな?と今になって思います。
10.高校生になったトモミくん
高2の秋だったと思います。トモミくんの定住地が、妹さんのお友だち経由でわかりました。迷って迷って…つ〜はお手紙を書きました。
すぐに返事が来ました。
度重なる転校で、1箇所ごとの記憶がとても薄いこと。でも、お母さんは「つ〜ちゃん」を覚えていた、ってこと。今は野球のために入ったT大相模高校でレギュラーへの道のりに挫折して、音楽に熱中しているってこと。。。
3往復ぐらい手紙のやりとりをしたと思います。
とてもきれいな字で、(きれいな字の男性、今も好きですね。)きちんとした文面でした。
「ライブに是非来て下さい。」と日時・場所の案内がありました。
つ〜は、行ってみたい気持ちと、やめた方がいい気持ちが半々でした。
結局、行きませんでした。たぶんライブでのトモミくんは昆虫採集をしていた彼とは別人になっているだろうな。と思ったからです。
正直に言うと、その時は他校の卓球部の素敵なBFがいて、もし、トモミくんがカッコ良かったら困るなぁ。なんて…。そんな心配もしたのでした。
なにせ・・・惚れっぽいものですから(笑)。
11.洗い場プール
つぅ〜ちゃんの家は農家で、大根やネギなどを市場に出すときは、きれいに洗ってから出しました。だから、家の敷地内にコンクリート制の野菜の洗い場がありました。(今もあります。)2m×3mぐらいでしょうか?
その洗い場をきれいに洗って、夏には水遊びをしました。
水遊び・・・というのか?水泳の基礎。浮き身の練習をいっぱいしました。
まさか、お母さんが泳げない!なんて、ちっとも知らずに、かなり鍛えられた気がします。だから、「少し泳ぐ」だけならすぐに出来ました。

でも、息継ぎしていろいろな泳ぎ方となるとだんだん苦手意識が…。
まさか、高校で3種目50m規定タイム内。なんて課題があると思わなかったので、小学校の高学年・中学時代は「微熱」、とか言ってサボったものです。
その分、お年頃(!)の高1の夏の補修でしぼられましたが。。。(悲劇)

水の中のボコボコ・・・って音。あまり好きじゃないです。
泳ぎの得意な人に憧れます。
12.サトシくん。
小3の次女を見ながら、ふと、小3の頃を思い出しました。
一緒に学級委員をしていた「サトシくん」。
初めて意識した「色白で勉強が良くできるタイプ。」
学級会できちんと意見を言う姿にうっとり。
知的な男の子っていいなぁ〜。安心感があるのかなぁ?
元気系も捨てがたいけれど…(何でもいいのか・・・?)

◎そうそう、サトシくんの姓はM下でした。
今、次女のクラスに同姓同名の男の子がいます。
その子のお父様とは、今年地域の活動などでご一緒する事があり、お子様のお名前を耳にするたびに、私は勝手に「色白&知的」なサトシくんを連想するのでした。
サトシくんとは中学まで一緒でしたが、どうして小3の時、あんなに気になっていたのか、自分でも謎?になりました。
つまり、私の好みは、頭脳じゃなくて、もちろん顔や体力(笑)でもなくて、「個性」重視になっていったのです。
13.民族芸能人。
つぅ〜ちゃんのお父さんは、お正月の2日間はいつも家にはいませんでした。「獅子舞」で地域の家々をまわっていたからです(たぶん厄よけなのでしょう)。住んでいた地域に「囃子連」という組織があり、若い頃から参加していたお父さんは、笛・太鼓はもち論のこと、獅子舞やばか面おどり(おかめ・ひょっとこなど)、なんでもこなしました。
それらの芸に磨きをかけるため(たぶん)、40代のころは日本舞踊も習っていて、ちゃんと名前もいただいています。
「先生」と呼ばれ、若い人たちに芸を伝える役も果たし、今は現役では無いけれど…。
かつては、K市に海外からのお客様がお見えになると、歓迎レセプション等に招かれたり、父たちが海外に出向いて親善大使役をこなしたこともありました。
面白いところでは、時代劇の風物詩的効果でお囃子風景として出演したり、お正月のコンビニのコマーシャルにも出たことがありました。

10人(!)の孫たちにも触らせない、かぁじい(愛称)の大切なもの。
お仏壇の下にしまってある、笛やお面。。。
つぅ〜ちゃんにとっては、お父さんの民族芸能人ぶり?はあまり好ましくなかったのだけど(だって、恥ずかしい感じだったんだもん)、今になると、あんなに一筋に、何かに打ち込める父親って、本当に素敵だと思います。


トップへ
戻る