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2002年12月
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12月9日に生後1ヶ月の息子と、東京に戻ってきました
妊娠中のヒマヒマが懐かしいほど、あわただしくなりました
| 12/31(火) 今日で今年も終わりである。 今年は、リンセー誕生と、オット博士号取得と2つも大きな出来事があった我が家だった。 来年もいい年でありますように。 ところで、お正月の支度については、もちろん私はおせち料理は作らないし、せいぜい年越しそばとお雑煮くらいである。 さっき、オットの実家からおいしいおもちが届いた。 毎年ありがたいことである。 リンセー誕生から2ヶ月。 このまま健康に育ってくれますように。 それでは、よいお年を。 |
| 12/30(月) 今日は疲れているので家事は手抜き。 でも、オットがいると、子守からオムツ替え、お茶碗洗いまでしてくれるのでとても助かる。 ふと気づけば今年もあと明日と明後日の2日しかない。 とりあえずクリスマスツリーをやっと片付けて、門松(100円均一でおととし購入)を飾る。 さらに、カレンダーを全て付け替えて年明けの準備は万端になった。 ちなみに、カレンダーの付け替えも全てオットがしてくれた。 みなこはその間何をしていたかというと、おもに授乳とお洗濯である。 授乳も忙しいが、お洗濯も忙しい。 リンセーの洋服やオムツなどですごく仕事が増えたのだ。 オムツも洗濯機にお任せすれば楽だと思っていたが、洗剤をきれいに落とさないと、オシリがかぶれてしまうので、丁寧に手で洗うことになってしまった。 ちょっと誤算だった。 でも、1日15回もおしめを替えるのに、紙オムツだと非常にもったいないと思うのだった。 リンセーは最近、斜めうつぶせの状態で首をもたげるのがお好きなようだ。 また、手を握って歌を歌うとすごく喜んで笑うのだ。 かわいくてたまらない。 ![]() |
| 12/26(水) 今日は天気がよい。 子供が生まれると、洗濯物がずいぶん増えたので、晴れると助かる。 冬の太平洋側はいいね。 午後から銀行へ行くのに、リンセーを連れて行った。 彼は子守バンドに固定されると、たいてい眠ってしまう。 帰宅した今も寝ているので、この隙に夕飯の支度とメール書きなどをする。 これからヤツが不機嫌なときは、子守バンドにくくりつけようと思う。 ただ、まだ横抱きしかできないせいか、私の首に子供の全体重がかかるので、ものすごく肩が凝る。 長時間これで歩くのは、無理そう。 |
| 12/25(火) リンセーは朝から機嫌がよい。 ここ1週間で、乳児湿疹もだいぶよくなり綺麗なおカオになってきた。 今日は、助産所におっぱいチェックに行く日なので、オットに茶碗洗いなどをしてもらい片付けを済ました。 9時から授乳をして、9時半頃 「おでかけするよ。」とリンセーに声をかけて上着を着せようとしたら、ニコニコし始めた。 この上着を着ると外出できるということがわかったのかな。 家の中にずっといるのも退屈してきて、お外へ出るのが嬉しくなってきたのかも。 おっぱいの方は問題なかった。 13日に乳腺炎になり、一時よくなって17日に再発して、それからずっと助産所通いなのだ。 ただ、リンセーの体重増加がちょっと少なめなので、来月(もう来年だ)また行くことに。 母乳の飲み方と体重増加は密接な関係なので。 彼は、東京に来てから、午前中少し眠り、夕方5時頃も眠るので、その間に洗濯と掃除、夕飯の支度ができる。 私の実家・北見では全然寝なかったのに。 私しかいないときは、孝行してくれてるのかな。 |
| 12/24(月) 息子リンセー誕生から54日、東京に戻ってから2週間が経過した。 親子3人の生活は楽しいけれど、毎日ばたばたして、リンセーが機嫌のよい隙、寝た隙に家事をするのでとても忙しい。 さらに、授乳という仕事が加わり、あっというまに時間がなくなる。 授乳は思っていたよりも難しく、一生懸命していたつもりなのに数回乳腺炎にかかり(後に詳述予定)、断乳まで検討するほどだった。 しかし、リンセーはまあ夜は比較的眠り、日中は機嫌がよいので、今のところ楽かもしれない。 オットが相手をすると、リンセーはめちゃめちゃご機嫌になる。 私が相手をすると、うまく泣き止まなかったり、おっぱいを所望されてしまう。 オットと息子は相性がよいのだろう。 胎教のおかげもあるのかな? 今日はクリスマス・イヴである。 ご馳走を作ったりケーキを焼いたりしたいのだが、そんな時間もなく、また、ご馳走もケーキも乳腺炎のテキなので、質素な食事になる。 とりあえずツリーだけは飾ったのでよしとしよう。 |
おっぱい騒動もひと段落して、その後連休もあり、親子3人での生活もだんだん軌道に乗ってきました。 お風呂にいれるのは大抵オットが受け持ちます。 リンセーは、お腹がいっぱいだと大抵ご機嫌で、あやすとよく笑い、音のする方を見たりします。 寝返りはもちろんまだしないけれど、首を左右にぶんぶんふったり、上に首をもちあげたりなど、元気な1ヶ月児です。 お腹がすくと、私の方をじっと目でおったり、両手をさしだしたりします。 夜は12時近くまではりきって起きているけれど、その後寝てからは2時間おきに授乳して後は朝まで寝ます。 たまに、明け方お目目ぱっちりになって起き続けちゃったりするけれど。 最近覚えた指しゃぶり |
| 12/19(木) 実は断乳相談をしようと思い、妊婦検診に通っていた産婦人科に行く。 オットはスーパーフレックスという制度を利用し、午前中リンセーを見てくれた。 本当に心配と迷惑をかけている。 医師にも薬での断乳はできるが、切開するほどひどい乳腺炎ではないし、もうだいぶ治ってるし、赤ちゃんもまだ小さいのだからもうちょっとがんばりなさいと、やはり自己管理で乳腺炎は防止できるからと言われた。 午後からは、市からの新生児訪問があった。 2人目妊娠中の助産婦さんで、感じがとてもよかった。 いろいろ訊きたいことを全てきいて、気が楽になる。 リンセーの体重は4300gだった。 標準である。 ちょっと軽いかな。 彼は最初寝ていて、起きてからおっぱいと大騒ぎをして、またご機嫌になった。 |
| 12/18(水) この日の午後も助産所へ行く。 行きのタクシーは遅れた上、道に迷った分まで勘定をとられたので、帰りは電車で帰ってみた。 電車では、高校生の男の子が席を譲ってくれてかなり嬉しかった。 おっぱいの調子はだいぶよくなっていた。 次は金曜日に行くことに。 乗り物では、リンセーは必ず眠ってしまう。 寒い季節なので、風をひかせては大変と厚着をさせる。 |
| 12/17(火) 母が帰る日。 9月30日に帰省して以来、過労で倒れながら私と生まれてきた息子のお世話をし、東京までついてきてくれた。 本当にありがとう。 誕生から1ヶ月半も一緒にいた孫とのしばしのお別れが辛そうだった。 しかも、北海道東部は大雪でまた飛行機が心配だった。 結局はほとんど遅れずに着いたらしくてよかった。 しかし、母の帰った後、また右のおっぱいが騒ぎ出した。 懸命にマッサージと授乳を繰り返すも、だんだん悪化してきて、金曜日の状況になってきた。 また悲しくなって泣きながら授乳をした。 もう断乳したいと痛切に思った。 リンセーは不満そうにおっぱいを飲む。 というか、吸ってるだけで飲んでいない。 とうとうだめだと思い、金曜日に来てもらった助産婦さんに電話をする。 都合が悪いということで、別な助産所を紹介され、タクシーで行くことにした。 泣きながらオットに電話をし、ことの次第を説明すると、帰ってきてくれるという。 6時半頃オットと3人で助産所に行き、施術を受けた。 実はかなり有名な母乳コンサルタントの助産婦さんだったらしい。 「何度も乳腺炎になって辛いので、断乳したい」と訴えた。 我慢しても涙がでてきた。 でも、優しい方で、施術をしながら、しっかり管理すれば大丈夫だと、赤ちゃんもまだ小さいのだから何とかやっていったほうがよいと、話してくれた。 また、おっぱいトラブルは鬱っぽくなりがちだという。 だから、私もずーんと暗い気分になるのだろう。 イモシップをしてもらい、ユキノシタという傷にきく薬草をもらう。 私がこの1週間、懸命にしていたマッサージによる残乳処理は、かえって刺激により胸をはらせてしまい、よくないこと。 だらだらと授乳せず、片方5分以内2,3往復の授乳でやめ、授乳の回数を増やすこと、胸を冷やして母乳を作らないようにすることなどの指導を受ける。 さらに食事制限。 牛乳や豆類などは母乳を出る(作る)ための食品なので、当分禁止。 パンもだめで、お米と野菜などの少しのおかずにすることなど。 何よりパンと牛乳が好きで、おかずたくさんご飯少量派だった私には、とても辛く感じた。 管理できるようになれば母乳育児もうまくいくと励まされたが、乳腺炎の恐怖に怯え、食事制限をし、毎日おっぱいの具合を気にするのは精神上よくないし、母乳管理がうまくいくまで、せっかくのかわいいリンセーの成長を余裕もって見られないのは本末転倒だと思い、この日はなんとかして断乳し、ミルクに変えようと思っていた。 参考までに、助産所でのおっぱいマッサージは1回4000円である。 この日は初診なので5000円だった。 往復のタクシー代を合わせると9000円にもなる。 前回受けたマッサージなどと合わせると既に2,3万かかっている。 母乳は経済的というけれど、これでは不経済である。 また、精神的肉体的負担も大きいので、母乳のメリットよりもこれじゃデメリットの方が大きいとこのときは思った。 |
| 12/15(日) オットにリンセーを預けて母とお産返しの買い物に行く。 師走の街は混んでいて、たっぷり3時間もかかった。 オットはオムツ替えのほか、オムツ洗いまでしてくれていて、またほとんど寝なかったリンセーをずっと抱っこしていて、かなり疲れた様子。 お疲れ様。 |
| 12/14(土) オットのご両親、お兄さんご夫婦と甥姪がリンセーに会いに来てくれた。 車でいらしたのだが、4時間もかかって、みんなお疲れだった。 しかも、早起きしてお赤飯やおいしいおかずをたくさん作ってきてくれていた。 さらに、お洋服やおもちゃ、ベビーカーなどいっぱいプレゼントをいただいた。 嬉しくて涙がでそう。 2歳の姪は、 「あかちゃん、見せて」とか「リンセークン」「おっぱいあげてるの?」などと、かわいらしくお話して、息子を抱っこしようとしてくれた。 ものすごくかわいい。 5歳になる甥は、すっかりテレやになっていて、なかなか息子のそばには寄ってこない。 以前は「みなこさん、みなこさん」と膝に乗ってお話してくれたものだったのだが。 大人になってしまったのね。 めいっことリンセー おいとめいとベビーカー |
| 12/13(金) 月曜日に東京に帰ってきて、北見から送った荷物の整理や、食料品等の買出しなどであっというまに金曜日になった。 母が子守をしてくれる間に用事を済ませようと、毎日出歩き多忙だった。 そのせいか、授乳時間も短く、回数も減り「楽になった。」などと思っていたが、これが失敗だったのだ。 木曜の晩に調子よく授乳していたら、突然リンセーが 「このおっぱいじゃない」と言わんばかりに悲しげに泣き出し、飲まなくなった。 ちょっと右のおっぱいが張っているような気がしたが、リンセーが受け付けないので、オットがミルクを飲ませ、その間マッサージなどをしてみた。 夜中の3時にリンセーに起こされると、右のおっぱいが信じられないくらい大きくなりぱんぱんになっていた。 朝になるとさらに悪化しており、重力を感じるだけでズキンズキンと痛むのだ。 熱っぽいし、胸に岩をくっつけたみたいで、悲しくなってきた。 これは大変と思い、オットが調べてくれていた助産所に電話をし、訪問マッサージに来てもらうことにした。 9時半には助産婦さんが見え、 「これは治るまで時間かかるよ。」と言われた。 マッサージの威力はすごかった。 1時間強もしてくれたのだが、たまっていた母乳がタオル4枚とブラウスをびしょびしょにするくらい出たのだ。 そして、あのカチンコチンだったおっぱいがだいぶ柔かく戻ったのだ。 助産婦さんはいい方で、夕方も次の日も、心配して電話をくださった。 乳腺炎の治療は東洋医学的で、イモシップとか、牛蒡の種など不思議な物を使う。 そしてやはり食事宣言を言い渡された。 これが私の好きなものばかり。 ほっと一息ついたが、夕方また左側がぱんぱんになってきて、さすがに涙が出てきた。 乳腺炎は鬱症状を伴う場合があるそうで、ものすごく暗く悲しい気分になるのだ。 リンセーを抱きしめておいおい泣いてしまった。 もっとも左側は夜中にはだいぶよくなってきたし、熱は夜には下がったのでまあよかったのだが。 オットや母にはものすごく心配をかけて、迷惑をかけてしまった。 母には子守のみを頼むつもりだったのに、家事もかなり手伝ってもらった。 しかし、乳腺炎はこのままじゃ終わらなかった。 |
| 12/9(月) とうとう東京に帰る日だ。 朝10時15分発予定の飛行機である。 母も一緒に東京まで着いてきてもらい、1週間ほどいてもらう。 羽田ではオットが迎えに来てくれていて、タクシーで国分寺の我が家まで帰る予定だった。 ところが、東京が珍しく雪が積もるほど降っており、空の便は乱れに乱れていた。 朝の8時のニュースで雪が降り積もる景色が写った。 なんど国立駅ではないか。 前の晩、リンセーも緊張していたのか(?)なかなか寝てくれず、すごい寝不足だった。 子守バンドにリンセーを抱えると、ヤツはあっさり眠ってしまった。 羨ましい。 幸い30分程度の遅れで飛行機は離陸し、無事に羽田に着いた。 着陸時に泣き出すことを考えて、哺乳瓶にお湯を入れて持って行ったのだが、飛行機の高度が低下するときにリンセーは目覚めて60ccも飲んだのだった。 ミルクではなくお湯をいれたのは、ミルクでリンセーがお腹いっぱいになり、私のおっぱいを飲まなくなると張って大変になるからだ。 北海道ー東京間の飛行機の旅があんなに長く感じたのは、初めてだった。 羽田では、ちょっと疲れた表情のオットと再会。 オットも雪のために中央線が遅れたり、飛行機のことが心配で眠れなかったのだ。 羽田でサンドイッチなどの昼食をとり、オムツを替えて授乳してタクシーに乗る。 かえって、雪のおかげで高速道路はすいており、午後3時には我が家に到着したのだった。 北海道の住宅と違って家はスースーするので、道産子の母はとても寒がっていた。 リンセーはあっというまに家でくつろぎ、オットのあやしに喜んで反応したのだった。 もう既にリンセーはよく笑うし、目も合うし、私やオット、母を認識しているのだ。 女満別空港で父と 飛行機の中でのリンセーと母 羽田空港での親子3人 自宅でくつろぐリンセー |
| 12/7(土) 乳腺炎の具合を見るために、私だけ病院に行く。 行く前にしっかり授乳をしていった。 熱も出ていないし、だいぶしこりもなくなっているので問題なかった。 病院で、残乳処理?などを教わり、安心して帰ってきた。 しかし、次の週にもっとひどい乳腺炎が待ち受けているとは、そして残乳処理のためのマッサージがかえって悪化を招くとはこのときの私は想像していなかった。 |
| 12/5(木) 12月になり、北見はめっきり寒くなった。 夜中の授乳も辛い。 ここ数日は添い寝のまま授乳するという技を覚えたので、だいぶ寒い思いをしなくて済んでいるが、それでも布団から出る肩が冷たくてたまらないときもある。 リンセーは、顔にニキビがずいぶんできた。 たぶん乳児性湿疹だと思うけれど。 心配。 今日は1ヶ月検診だった。 母に付き添ってもらって1時に病院へ行く。 なぜか、5時までかかると言われていたので、憂鬱だった。 予約制なのに、30分以上待ってやっと名前が呼ばれた。 私とリンセーの血液をとり、まずは産科に私が行った。 体調はもうすっかり妊娠前に戻っていて、また授乳のおかげで体重も妊娠前に戻っていた。 貧血も治っていたが、正常値ぎりぎりなので、いいものを食べなさいと言われた。 しかし、乳腺炎の疑いアリということで、ちょっとショックを受け、抗生剤を処方された。 しかも、栄養のある食べ物(主に乳製品・肉・魚などのタンパク源など)は、母乳がつまりやすくなるということで、できるだけ控えなさいとのこと。 そんなあ・・・。 リンセーの検診までがずいぶん時間かかった。 測定を終えてもなかなか名前を呼ばれず、4時過ぎてからやっと順番が来た。 体重は3975g。 1日約30g増えていればいいそうで、順調だった。 血液検査も問題なく、湿疹も軽い方だと言われ、安心した。 この日は、6ヶ月検診とインフルエンザ予防接種があったようで、時間がかかったのだ。 一番抵抗力の弱い1ヶ月児を先にやってくれればいいのにと思った。 母(おばあちゃん)と病院で |
| 12/2(月) オットの学位本審査の日である。 昼に電話がきて、無事終わったとのこと。 主査副査から判子ももらい、学位授与の運びと決まった。 本当におめでとう。 今まで仕事しながら、家庭も大切によくがんばったよ。 3月の学位授与式には、親子で出席しようね。 |
| 12/1(日) 今日は弟が帰る日である。 母は久しぶりの息子の帰省にはりきってご馳走を作ったり働きづめだったせいか、倒れてしまった。 母が更年期障害だと言うと、専門家の弟は違うと言い張る。 病院嫌いの母にみんなで病院に行くように説得するが、首を縦にふらない。 2,3日中にはよくなったのだが、何だろう? ただの疲労だといいのだが。 私がお産してから、家事はもちろん、リンセーのオムツ洗いまで全て母にやってもらっていた。 雪の季節で買い物も大変になるし、私も出来る限り母の負担を減らさなければと思った。 |