その9

樫の棒

低学年のころ、学校が楽しいところではなく、怖さを覚えていたのは私の弱さによることだった。体も弱く、一学期間皆勤するのはめったになかった。けんかも弱かった。いじめっこの狙いやすいタイプだ。

 しかし、それだけでの理由だけではなかったと思う。学校そのものが軍隊の予備校化していた。なにせ一年生中ごろから、ゲートルを巻いて登校していたのだ。もっとも、その姿を見て「まあ、かわいい!」と言ってくれたひともいたが、 学校の先生は、何かと言うとすぐ、樫の棒でおしりをたたく。一年生はたたかない、ということだったが当てにはならなかった。すもうに負けた者はおしりをたたかれた。

 体罰にもそれなりに、教育上の理由があるのだろうが、すもうに負けたものを罰するのはよくない。悪いことをしてはいないのだから。お尻をたたかれても反省もできないのだ。

 だんだん学校へ行くのがいやになつてきた。そうこうするうちに、ある朝父を激怒させることをやってしまった。

 つづく 

11月4日
「ふとうこう」

ある朝、起きるのもいや、学校へ行くのもいや、という気分になりました。布団の中でごよごよしてなかなか起きようとしませんでした。
寝巻きのまま着替える気は全くなく、くねくねと身をよじらせるだけで、しゃんとしません。母親は学校へ行く時間がせまってくるので、起きるようにと一生懸命促しています。

父は、「おーおう、蛙みたいなかっこうして」と冷やかし気味に声をかけていた。母は「早く起きなさい、ぐずぐずしていたらお父さんが本気で怒るよ」と声をかけいました。

 それでも、ふにゃふにゃと身をよじらせるだけで起きませんでした.そのうちとうとう父のカミナリが落ちました。

 今までに見たこともない怖い顔で、大きな声で起こりました。私は泣きながら逃げました。逃げるとこがないので、便所に逃げました。
便所の中は安全地帯のはずでした。でも今回は安全性はなく、引き出され、ちちの怖い顔が迫ってきます。父の声に負けないくらい大きな声で泣きました.母親は懸命にとりなしていました。私をエプロンに包み込むようにして、かばって言いました。
「おとうさんに あやまりなさい」と。
何かいろいろ言いながら、私をかばいつつ、「ごめんなさい」とあやまるように促しつづけていました。
 あやまろうにも泣きじゃくって声も出ず、じたばたするだけでした。やっとのことで父に「ごめんなさい」とあやまることができました。
朝食をとるまもなく、服を着替えるのがやっとで、ランドセルを背負って登校場所へと走りました。どうにか間に合って皆が出発するところでした。泣き泣き列に加わり登校しました。
 
今風に言いますと登校拒否をしかけていたのでした。
 
 ではこのへんで         11月5日

その10 大阪の雪 へ

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