その10
大阪の雪<改訂版>
大阪では積もるほど雪が降るのはめずらしい。それだけに、雪道を歩いたときの経験は、その時の出来事と共に記憶に残っているものです。
昭和20年のはじめ、小学二年生3学期の頃のことです。ある日の夜中、母親に揺り起こされました。声を潜めて、しかし、強い調子で「早く着替えなさい空襲警報や!」と急き立てられました。だんだん目覚めてきて気が付くと、不気味な断続的なサイレンの音が聞こえていました。
この頃は、戦況も悪化していましたので、空襲に備えて、寝る前には自分の着るもの
を、探さないで直ぐに着ることができるように、枕もとへきちんと揃えていました。備えは親に言われるままにできていましたが、いざ真夜中に揺り起こされてみると「早く着替えなさい」と言われても、寝ぼけ眼ではなかなか早く着替えることがけできません。結局母親に手伝ってもらい、ようやく着替えを済ませました。防空頭巾をかぶり母親に手を引かれて防空壕へと急ぎました。
外は雪が積もっていました。灯火管制の厳しい頃のこと、街灯も、各家から漏れる光もありません。
でも雪道だからでしょうか、道は明るかったように記憶しています。我が家から200メートルほど離れた所に防空壕がありました。雪道独特のきしむような音を聞きながら歩いて行きました。
子供にとっては,、雪は友達のようなもの。もし平和なときで、そして昼間であったなら、この積もる雪は楽しいものであつたでしょうに。
防空壕の中で皆と一緒に身を潜めていました。爆音も聞こえはじめました。間もなくして「ドカン!」という大きな音といっしょに地響きがしました。どこかに爆弾が落ちたのだと思い、震えていました。その時、誰かが「心配せんでもええ、あれは爆弾と違う、味方の高射砲の音や」と言って安心させてくれました。狭い防空壕の中でうずくまりながら、「こんな怖い目に、敵にもしてるのかなぁ。。。」と、そんなことを考えていました。
しばらくして壕の隙間から外の様子を見ました。何本も照らしているサーチライトの、斜めに突き刺すような光がきれいに思いました。
爆撃機が私たちの所から遠のき、空襲警報も解除されたのでしょうか、大人たちと一緒に壕から出て、空の様子を見ると、遠く東の方角に爆撃機の編隊が見えました。
飛行機から斜めに落ちていく焼夷弾がはっきりと見えました。父は「気の毒に、あれは堺方面やろ」といっていました。この時にはもう怖さも忘れて、落ちていく焼夷弾を見ていました。
2月25日<やまちゃん編集版>でした。
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