その11
みのうのおばさんありがとう
みのうのおばさん
昭和20年のはじめ、小学二年生三学期のときでした。大阪に集中的な空襲があるという情報があって、市内に居る学童は一時避難することになりました。集団疎開とは別のことです。
学童の疎開は19年から本格的に進められていました。すでに、私の姉も徳島に集団疎開していました。縁故疎開も含めるとかなりの数になつていたとそうぞうします。
集団疎開は三年生以上であったと記憶します。ですから、私たち下級生と疎開の済んでいない上級生が、避難しなければなりませんでした。
私たちはみのうに行くことになりました。みのうの小学校に一時集合しました。夕方になって、パンの差し入れがありました。下級生の私たちは、大きなコッペパンが一つで、上級生は小さ目のコッペパンが二つでした。私は、小さくてもいい二つの方がほしいなあぁ、と悔しく思いました。
そのあと数名ずつに分かれて宿泊場所に先生が引率してくれました。両側に家の垣根があるとても細い道を歩いていきました。途中強い草花の匂いがしました。我が家の近くにはない匂いでした。
草花のことにはオンチな私には、何の花の匂いであったのかは分かりません。でも、数年前或高級住宅街を歩いていたとき、家の垣根越しに匂ってきたその匂いが、「あっ!みのうの匂いや」と当時のことを思い出しました。匂いがその時の雰囲気と共に記憶されていたのでしょうか。
或民家に案内されました。部屋に上がって落ち着きなく、神妙にしている私たちに、先生は家のおばさんを紹介してくれました。おばさんは、なにやら挨拶をしていました。よくは覚えていませんが、ただひとつ大事な?ことを覚えています。便所の場所を教えてくれていました。
しばらく部屋の中でなんとなく過ごしていました。現代でしたらテレビでも観て楽しむのでしょうけれど、そのようなものはありません。また、楽しめる状況でもありません。緊張そのものです。
そのうちウンコちゃんがしたくなりました。おばさんが教えてくれた通りに便所に行きました。扉を開けて中に入ってからとまどいました。きれいなそこは小便器のある所です。「無い、大便するとこがない!」ぐるっと見渡したのですが、もうすでにパニック状態になりかけ。おばさんに聞きに行けばいいのですが、よそのおばさんに口をきくのはなかなかできない気弱な性格、それにもう待てない状態になっていた
「ままよ」とばかりにその床の上にこんもりと盛り上げてしまいました。おなかがすつとして落ち着いたら壁だと思っていた一面は扉でした。その下の方の隙間から大便器が見えていました。「そうか、あそこか、家と一緒やったんか」と気が付きましたが、おそかりしです。
おばさんにしくじった事を申し出なければならないところですが、それもようせず、そのままにして部屋にもどりました。
しばらくして、先生が「皆集まりなさい」と言って私たちに話をされました。「さきほど誰かが便所の床の上に大便をしていました。おばさんが後始末をしてきれいに掃除をしてくれました。おばさんは便所の中にきちんとするように注意だけしてください。決して子供さんを叱らないでくださいと、言っておられました。だから、誰がしたかは問わない.名乗り出なくてもよろしい。ただ、もう二度としないように」と。
私はほつとしました。叱られてもしかたのないことです。当時の学校の先生の怖さは相当なものでした、何せ相撲に負けただけでも樫の棒で尻を叩くのですから。
今、当時の出来事を思い起こしています。家の垣根から漂うほのかな香りと、狭い便所の中でのことを。
そして、何よりも「決して子供さんを叱らないでください」と、とりなしをしてくださったおばさんの暖かい心を。
みのうのおばさんありがとう。
2月19日
その12「子供の目線で見た戦時の風景」の巻へ
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