その12

こどもの目線で見た戦時の風景

 さて、 やまとのヒストリーも二年生3学期まできました。いよいよ3年生、集団疎開の話に入ります。今回自分史を書こうとしたのも、これを書くためでした。でも、ちょっとその前に、19年から20年にかけての戦時風景をこどもの眼で見、耳で聞いたことを書き留めたいと思います

@ 学校での授業
  教科書も戦争を謳歌する内容でした。読み物の中に「肉弾三勇士」というのがありました。敵陣を突破するために、尋常ではままならず、三人の兵士が、大きな砲弾を抱えて敵陣に突っ込む話です。無論兵士は戦死です。生還できない作戦が美談視されていたのです。実のところ「ぼくにはできない」という思いでした。平和論とかの、かっこいい話ではなく恐かったのです。口には出せません。
あざけられ、非国民扱いされるでしょう。

 戦場の河を渡るのに、急ごこしらえの橋を何人もの兵隊さんが水の中で支えている。その上を突撃隊が駆けていく。そんな図もありました。そんなこと自分にはとてもできないと思いました。

  作文の時間に「兵隊さんありがとう」という慰問の手紙を書かされました。何でも先生の言うところによれば、兵隊さんは手紙をもらうのが好きで、とても喜ぶのだそうです。手紙がきたと聞いたら散髪をしている最中でもそのまま駆け出して取りに行くのだそうです。そういうことで手紙を書くことになりました。何を書いていいのか分かりませんが、先生に誘導されながら書きました。

 戦争の色が濃くても、授業ができている内はまだましでした。空襲警報発令とともに、家に走って帰ることが多くなり、勉強どころではなくなりました。

A 家の中でのこと
  灯火管制が厳しくなって、警報が鳴ると電灯は点けられません。そこで父は電灯の傘から黒い布で覆いを、畳すれすれのところまでしていました。その隙間に新聞を置いて読んでいました。父は新聞を読むとき声に出すことがよくありました。読み終わった後、「またぞろ嘘っぱちを言っている何が、我が連合艦隊は健在なりだ!健在ならこんな空襲になるわけがない。」とぼやいていました。何となく日本が不利だと思いました。

 ラジオ放送で「臨時ニュースを申し上げます。近畿地方空襲警報発令大阪府、奈良県、滋賀県、京都府南部、京都府北部、、、」などと現在の天気概況を伝えるように放送されていました。ただ、印象に残っていたのは、いつでも最後に「ただし、福井県は除く」と言っていました。「福井県はええなあ」とうらやましくおもつたことです。でも、戦後に聞くところによりますと、雪解けとともにそうとうやられたそうです。

 裏庭に大きな穴を掘って、食器など埋めていました。戦災にやられても、掘り出して使うつもりであったようです。興味深くじつと見ていました。

  本日はこれまで。Bは「隣近所」です。
                       ではまた、  2月24日 
 

その13「子供の目線で見た戦時の風景」の巻(2)

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