その13

こどもの目線で見た戦時の風景その2

B 隣近所

 当時はなんと言っても、隣組の時代といえるでしょう。様々な情報の伝達も、食料や生活必需品の配給も隣組を通してでした。防空、防災、資源回収も隣組の役割です。

 1 常会
  父はよく「きょうは常会や」と言って出かけていました。この常会でいろいろと決めていたようです。常会から帰った父はよくぼやいていました。「防火訓練や、救護訓練は納得できるが、竹やり訓練をしたいなどと、わけのわからん事を言うやつがおる。あんたらは戦争というものがどういうものかわかっていない。あのB29にどうやって竹やりで立ち向かう?かりに上陸してきても、敵は重戦車で攻めて来る。そんな役にも立たないことをするよりも、防火訓練をしている方がいい。」と言ってきた。などと母に聞かせていました。そばで私はしっかり聞いていました。

2 防火訓練
 家のすぐそばに丁字路があって、まがつた所は6メーター道路でした。そこに国旗掲揚台がありました。そこを中心に隣組主催のことが行われていました。空襲による火災に備えて防火訓練をしていました。バケツリレーを大勢がならんでしていました。

3 救護訓練
 けが人を設定して、担架で運ぶ訓練をしていました。
 女の人が、三角巾の使い方を指導していました。三角巾さえあれば、腕の怪我でも、頭の怪我でも応急処置ができると説明して、実演していました。私は聞いていましたが、難しいと思いました。

4 資源供出
 家にある金属類などを各家庭から出していました。私の家は仏壇の中にある部品を出していました。鉄の門扉を出した人もありました。

5 19年秋頃でしたでしょうか、隣組の仕事が頻繁になってきて、若い女の人が、専門に事務を執るようになりました。大家さんの隠居部屋の一室を借りて窓口となりました。現代の自治会でいうところの書記さんになるのでしょうか。

6 その他
 隣近所の話題は、戦争のことが多くなりました。「お隣の息子さんは二人とも予科錬に入ったんやて 」というような話題が多くなりました。


以上が簡単に描いた風景です。戦後父から聞かされた話によりますと、我が家にも焼夷弾が一日に二発も落ちたそうです。はじめの一発は裏庭に落ちました。用意していた防火用水は樽ごと吹っ飛んで役立たず、大きな声で「誰か居るかあー」とどなつたら、三人の男が駆けつけてくれて、「なにくそー負けるもんか」とがんばってやっとのことで消したそうです。

 やれやれと思い、表にまわり家を眺めていたら、今度は玄関近くに小型の六角形の焼夷弾がおちました。これは水ではダメで、砂をかけるのですが、訓練の時のようにうまくいかなかつたといいます。それでもどうにか消し止めました。一ヶ月以上住むことができず、大家さんの部屋を借りて生活をしたそうです。

      きのう兄さんとしゃべっていたとき、このことを言っていました。  
 いじょうです。

戦時風景のおわり
              ではまた 2月25日

その14 「だいじょうぶ?」

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