その25

脱走

お寺での疎開生活一日の始まりは、起きぬけの朝礼からでした。
本堂を前に整列して「番号!」と、号令がかかり点呼です。遅い班は叱られます。
眠くて早くできない日も多くありました。
叱られるのがいやで、いっそ寝ないで起きていようと考えたり,服のまま寝て朝支度の時間短縮をしようと工夫しましたがすべて失敗でした。

 さて、ある朝のことです。あっちこっちで「脱走や!だっそうや!」と騒いでいました。
六年生の男の子が脱走したのです。
「6時頃見たときはもう居なかった」とか「○○君の靴を履いて行った」とか,色々とうわさが飛んでいました。
 私は「脱走」と聞いたとき、「そうか、ほんまにやったんか、すごいなあ」とうらやましいような,拍手でもしたいようなそんな気分でした。
脱走の話はそれまでに囁かれていました。
「逃げようと思えば家まで歩いて帰ることもできるのだ」と六年生たちの間で言われていました。
寺の山門を出て、まっすぐまっすぐ行けば淀川の堤防に出る。堤防をどんどん歩いて行ったら「塚本」の辺まで行けるんだと。

 その当時は本当に歩いて帰ったのだと思っていました。でも今思えば少々無理なようです。
理論上は歩いて帰れる距離かも知れませんが、遠すぎます。
栄養失調気味の小学生ではとても無理でしょう。
弁当も水筒もなしではなおさらのことです。おそらく電車を利用したのでしょう。

極度のひもじさとホームシックは、六年生であれ三年生であれ、心をいびつにしていきます。
体も栄養失調ですが心も栄養失調気味なのです。
規律のやかましい時代に、早朝寺を抜け出すなんてことは、簡単に決断できるものではないでしょう。よくよくつらかったのです。
家に逃げて帰りたい気持ちはみんな同じだったのです。
ぼくだって帰りたかったのです。


作後感
文章教室でこの作品の合評をしていたとき、メンバーの一人が「学童疎開のことなどを本に書かれているのを読んだかぎりでは、子供たちが田舎の生活を楽しんでいたかのように思っていました。ですから、脱走などと聞くと、弱虫だつたのではとも思ったと言います。」
わたしがこの疎開生活の結末部分まで実情を語ると、「よくわかりました」と言われました。

六年生の男の子が脱走する以前に,規律をやぶる兆候は出ていました。
庭の片隅に背の高い木が植わっていました。上のほうに梅のような実が成っていました。
おなかの空いた私たちにはとても美味しそうに見えました。
でも、先生から「あの木の実は取って食べてはいけません。食べたらお腹を壊すから」と注意されていました。
でも、眺めているとおいしそうです。とうとう六年生の男の子が我慢できないで木によじ登りはじめました。それを見ていた一人が走って先生にしらせました。
先生が大きな声で「○○君やめなさい!降りてきなさい」と注意したので未遂に終わりました。
お腹をこわさなくてよかったのか、食べることができずにくやしかつたのか。どつちなんでしょうね。

最近の社会でよく「キレル」という言葉がつかわれます。脱走事件はキレタのでしょうね。

ではまた。

      やまと

平成13年 3月15日

その26「病気の時はあまえたいのだ」の巻


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