その26
病気の時はあまえたいのだ
集団疎開中のお寺での生活では,空腹とのたたかい,ホームシックとの闘いなどがありました。加えて小さい頃から病弱だった私は、病気とのたたかいも何回かありました。その内の強く記憶に残っている出来事を書き留めることにします。
@ 待合室
あるとき、足のふくらはぎにできたデキモノがひどくなってきました。先生方は「これは病院に行った方がよい」判断しました。でも,先生の数が少なく、誰が病院に連れて行くかということになりました。
「私が連れて行きましょう」と若い女性が申し出てくれました。その方と一緒に“高槻病院”へ行きました。待合室で長い間待って,自分の順番が来て診療室へ入りました。黒いベッドのような台の上に上がって足を診てもらいました。先生は何か言いながら手当てをしてくれました。薬をぬり,黄色い油紙をあて、包帯をしてくれました。
治療が終わったあと、もう一度待合室で待っていました。薬をもらうのと,会計を済ませるためだったのでしょう。
私は、この待っている間がなぜか心地よいひとときに思えました
「お寺に戻りたくない」
「みんなの所に帰りたくない」
「このままここにいつまでも一緒に居たい」
そんな気持ちでいました。病院に保護者として連れてきてくださったこの女性が,特別に優しくしてくださったというわけでもないのですが、病院に来るまでの道中でも、待合室で待っている間も、いつもとは違う優しさを感じていたのです。
親元から離れて久しく,母親の優しさに飢えた者の欲求がそのように感じさせたのかもしれません。
「このまま長く待合室でこの女性と一緒に居たい」と思っていましたが、窓口でのご用が済めばまた、お寺に帰らなければなりませんでした。
作後感
あの時の女性がどなたであったのか気になるところです。昨年の春一乗寺を訪問した折、応対してくださった女性が、昭和20年当時20歳であつたとのこと、ひょっとしたらこのお方であったかもしれません。次回お会いした折お尋ねしたいものです。
A 蚊帳越しの声
あるとき熱を出して寝込んでいました。みんなと一緒に授業にも出ないで、ひとり蚊帳の中で寝ていました。突然遠くの方から声が聞こえてきました。その声はだんだん私のほうに近づいてきました。
「ながやすくん、病気で休んでいるんだって?」そう言いながら枕もとに座られました。声を聞いたときから森本先生だとわかりました。二年生のとき担任だった好きな先生でした。
「だいじょうぶ?」
と蚊帳越しに声をかけてくれました。私は「うん」と答えただけでした。
もっといろいろ話たかったのですが、何を言って良いのかわからなかったのです。
とてもうれしく思いました。「病気になってよかった」と思いました。
作後感
小さい頃から病気がちでした。かぜひきや麻疹など一般的なものからジフテリヤのようにきわどいものまで経験していました。
病気中に一番感じることは母親の優しさでした。嘔吐で苦しむ時に、声を掛けながら背中をさすってくれた感触は今も尚残っています。病気の時は甘えてあたりまえのような気でいました。
この“あまえ”の心が女の先生の「だいじょうぶ?」という優しい声が、母親の代役をしてくれていたのかもしれません。
ではまた。
やまと
その27「白いめし」の巻
平成13年 3月26日
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