| 極小未熟児と脳挫傷そして、硬膜下水腫 |
トップページへもどる極小未熟児。それは1500グラム以下の未熟児のことを言う。
最近ではそんなに小さい赤ん坊ではない。実際に私の通っていた病院で800グラムの子供が育った。
3人目の子供を妊娠し、妊婦にもすっかり慣れていた。私の場合、出産日まで子供がお腹の中に居たことが無い。長女は38週 2920グラム 次女は36週2320グラム。
3女は30週 1460グラムの極小未熟児としてこの世に誕生した。長女も大きい赤ん坊ではない。しかし、3女は長女の半分くらいしかない。。。
出血し、入院し、10日間の絶対安静でベットの上で点滴を打ち続けたが、産んでしまった。。。
生まれた時の声は、ネコの赤ん坊が泣いているように「ミーミー」という声だった。
か弱いこえだったけど、元気な子供だった。でも、その病院では極小未熟児の受け入れ(NICU)の設備がない。この近辺では受け入れられる病院は2件ほど。
そのうちの1件に入院することができた。初めて知ったのだが、携帯用保育器?というのがあって、その保育器の中に入れて移動したそうだ。産んだ私は、子供も見せてもらえなかった。
産婦人科と、小児科(NICU)は車で40分くらい離れている。当然私は会いに行くことすらできない。
産婦人科の先生に交渉して、産後4日で退院した。その足で子供が入院している病院へ行った。
NICU新生児集中治療室というところは、入るのに規制が多い。白衣を着て、手は消毒 履きものを履き替え髪の毛が出ないように帽子をかぶる。注意書きとして、周りの子を見ないでください。比べるようなことは絶対にしないでください。と、書いてあった。
中に入ると、沢山の保育器の中に入った赤ちゃんがいた。うちの子はどの子? ねぇ 家の子はどの子??
出された保育器の中に入ってる自分の子供を見て、びっくりした。
いろいろなものを体に貼り付けられ、小さな腕には大きな点滴の針が刺さり、口から管が入ってる。
「お母さんどうぞ触ってあげてください」と、看護婦さんがにっこりしながら言う。でも・・・・
触る所がない。みんな包帯や、管や、心電図のようなシールが貼り付けられていて、触る所といえば、頭くらいなもの。まさか、こんな姿になってるなんて・・・・ 涙が出てきた・・・
別室で主治医の話を聞いた。
「極小未熟児によく見られる傾向ですが、呼吸が途中で止まってしまいます。そのための点滴を1本打ってあります。」
「呼吸が止まるんですか?」
「それから、羊水過多で生まれておりますので、だいたい、その場合はなんらかの症状が出る事が多いです。」
「え?羊水過多ですか?」
聞き返した。
先生は「ご存知でないですか?産婦人科の先生にそのように言われてます」と・・・・・頭の中が真っ白になった。
「今は点滴は手から入れておりますけど、赤ちゃんの血管がそのうち収縮してきます。そうなると、点滴を打ち変えなくてはなりません。手の次は足です。足の血管が収縮してきましたら、頭の血管から入れます。と・・・
それから、このように小さく生まれた子は、後遺症が残る場合がります。それが、どのように出るのか と言われたら今の段階ではなんとも言えませんが・・・ある程度の覚悟はしてください。」
と・・・・・
どうしよう・・・どうしよう・・・ 考えても名案が思いつかない。。。
でも、今は無事に育ってくれることを願うしかない。。。と・・・・
見に行くたびに子供は大きくなっていった。結局2ヶ月入院して、無事の退院となった。
それから1ヶ月が経ち、お宮参りをする事になった。
私は子供を抱いて歩かない。外に出る時はたいていベビーキャリーに乗せて移動している。
そんな話を先日義母と話していた。義母は納得いかないような顔してた。、私がベビーキャリーで移動してるのがとても不思議だったらしい。。。
お宮参りをし、みんなで和やかに食事を済ませた。
その頃はちょうど2月で隣の町の沼に白鳥が来る時期だった。
一人がその白鳥が見たいと言い出し、みんなで白鳥を見に行く事になった。
そこへ着くと、3女のミルクの時間だった。旦那が3女を連れて行った。「ちょっと待って ミルクと・・・」と言う私はおいてきぼり・・・・ 車の後ろの座席に入ってしまったベビーキャリーをごそごそと取り出していたのに、みんな行ってしまう。。。。
ようやくミルクも作り終わり、子供の所へ行ったら、義母が真っ青な顔をして子供を抱いていた。
「どうしたんですか?」
「子供、落としちゃった・・・・」
「え?」
と、聞き返した。
「転んじゃったの。子供落としちゃった・・・」
「でも、そんなに派手に転んだわけじゃないでしょ?ちょっと落としただけ・・・・・・・・・??」と、言う私も顔が青くなってきた・・・子供が泣かない・・・・・
子供を渡され、私に抱かれた瞬間に小さな声で泣き出した。
「病院に行く?」と、聞かれ、どうしようか一瞬悩んだ。。。
でも、赤ん坊だし、何かあったら大変だから一応行く事にした。
本当にすべって落としたくらいでたいしたことないと私は思ってたんです。
車に乗り込み、「大丈夫大丈夫 あ ちょっとたんこぶができちゃったかな」なんて言ってた。自分では落とした本人のほうが責任感じちゃ悪いから と、思って言った事だった。
でも、義父に最初に言われた言葉は
「わざとやったんじゃないんだから」 だった・・・
この言葉がなかったら、私もそんなに憎しみを抱かなかったかもしれない。。。。
病院に着き、診察を受けた。どのように落としたんですか?
病院の先生は当然聞くだろう。義母は「覚えてないんです・・・・」 と・・・
私に何か言われると思ったのだろうか・・・その一点張り・・・
覚えてないんじゃ、診察にならないじゃん。。。心の中で思ったけど、まだ、たいしたことないと思っていた。
その病院の脳外科では なんでもない という診察ももらった。
次の日になって・・・・
子供が明らかにおかしい・・・頭の形は半月のように片側だけ腫れ上がり、目は右目は右よりに、左目は左よりに。。。目の焦点が合わない。。。。。
でも、おかしい。。 おかしいのは昨日落として頭ぶつけたから。。。でも、でも。。。。でも・・・
おかしくなってる自分の子供を認めたくなかったのだと思う。
前にも言ったが、極小未熟児だったので、月に1回の検診があった。それから何日かして、検診の日になった。事情を話し、脳外科に回してもらい検査してもらった・・・・・
義父のほうといえば、「おおげさな・・・・」と、言わんばかりだったけど。。。
結果は
「頭蓋骨が割れている・・・脳挫傷もある・・・・」
レントゲン写真を見せてもらい、びっくりした。 真後ろと、真横がくっきりと割れている。。。。あんな小さな頭なのに、ひびの入ってる後がくっきりと出ている。。。その後は数センチなんてものじゃない。十何センチというのか・・・ ひびは後ろ側が3方に別れ、真横は2方に別れて入っていた。
「これが脳挫傷です。」CT写真だったか、MRIだったか。。。。それを見せられて、絶句した。
「先生、どうしたらいいんですか?」
と、聞く私に先生は、「骨折は普通の場所の骨折と同じ治療法しかない。でも、赤ん坊の頭なので、発育するものなので、ギブスをはめて固定 という訳にもいかない。
脳挫傷のほうは、脳の怪我なので、自己治癒を待ったほうが危険性はないと思う。」
と・・・・・・・・・・・
イカリがこみ上げてきた。こんな怪我を負わせるような転び方をしたから、あの時にわからないという返事をしてたんだな・・・・ 許せない・・・・
あの時あんなに言ったのに、どうして、ベビーキャリーにいれてくれなかったんだろう・・・と
帰って旦那に話したら「わざとやったんじゃないんだから」と・・・・
わざとじゃなきゃ 何してもいいんかい!!!! もう、私は半狂乱だった。
数日して、脳外科へ行った。
「お母さん しっかり聞いてください。脳と頭蓋骨の間に水が溜まってます。この水が脳を圧迫しています」
診察室から子供を抱え出てきた私は、どんな人だったんだろう・・・覚えが無い。
ただ、「今、何時なんだろう・・・・」と思い、時計をぼーと見ていたら、涙が後から後から溢れてきた。
私、なんで泣いてるんだろう・・・・・ ぼーーーっと時計を眺めた。
「水が脳を圧迫しています。このままこの水がひけば問題はないのですが、これが圧迫し続けるとなると、子供にも傷害が出てきます。」 診察室で言われた先生の声がその時になって 遠くのほうから聞こえてきた。
呆然としていた。
実家に行き、母親に「頭に水が溜まってて、脳を圧迫しているって・・・ どうしよう・・・」
そこまで言った私の目からは涙がポロポロこぼれてきた。。。。
私は滅多に泣かない。悔しいときにしか泣かないのを母は知っている。
母は何も言わなかった。。。 いや、言えなかったのだと思う。
旦那に言ってもしょうがなかった。でも、言った。帰ってきた言葉は同じ。「わざとじゃないんだから」・・・
呆れた・・・そこまでして自分の母親をかばいたいのか・・・・自分の子供の一生と、自分の母親の立場とどっちが今は大事なんだろう・・・って・・・・
その頃にはもう、私は狂っていた。「私があいつの子供ぶっ殺してやる!!」「あいつの子供が脳挫傷 頭蓋骨骨折 硬膜下水腫になればいいんだ!!」「返して!あたしの赤ちゃん元に戻して!!」と、 泣き叫んでいたような気がする。
ある日、義母から電話があった。でも、私はその時に子供のオムツを変えていて、電話には出られなかった。留守電に切り替わり、向こうから声がする。。。 でも、手は離せない。。。。
やっと、オムツの交換が終わった時に、今度は私の実家からの電話だった。母はなぜか怒ってる・・・
「あんた!お母さんに何言ったの!泣きながら『○○が電話に出ないって私の事を嫌ってるんだって』 こっちに電話してきたわよ!」と・・・
私には身に覚えのない話であり・・・・ 私は自宅では荒れていたけど、外では悪口も言った事がなかった。
どういう事なんだろう・・・・ と、思ったけど、私にしてみたら 踏んだり蹴ったりな話だった。
「冗談じゃないわよ!なんで私が悪者なのよ!子供傷つけられて、今度はなんの説教よ!ふざけるのもいい加減にしてよ!あいつはなんなのよ!加害者のくせして、何もしないじゃない!毎日面倒みてるのは私なのよ 何してくれたっていうのよ!私にこれ以上何しろっていうのよ!いい加減にしてよ!」母に 逆切れしてしまった。
病院へ通う日々。でも、いっこうに水のひく気配がない。。。
先生から提案があった。1.このまま放置する 2.入院して水を抜く 2択の選択だった。
このまま放置すれば、何事もなくひく場合もある。でも、ひかない場合は脳の圧迫で傷害が出るであろう。
入院して水を抜くのもあるけど、針を入れる時に謝って脳を傷つけるかもしれない。それでもダメな場合は、わき腹のあたりから管を皮膚1枚くらいのところで頭まで通し、水を抜くことになります。。。と・・・・
もう、何を言われても平気だった。
家に帰って考えた。何度も考えた。旦那にも一緒に考えろと、言った。
出した答えは、「水を抜く」だった。
赤ん坊の頭は頭のてっぺんのところの骨がまだくっついていない。そこから針を刺して水を抜くという方法だった。
入院の日に義母が来た。「ごめんね。私がこんなことしなければ この子はこんなめに合わずに済んだのに・・・・」泣き出した。その義母を見て、私は言った。「ここは病院です。いろいろな病気の人がいます。私達よりももっと重い人もいるし、私はここへこの子が治るのを信じて来てるんです。病院で泣く時はこの子が帰らなかった時だけです」と。 今から考えればよくも冷静にそこまでいられたな って思う。
入院してすぐに針を刺された。先生から帰ってきた言葉は「真横の水が抜けない」だった。。。
量的にはてっぺんに溜まっていた水の量が多かった。真横もかなりの量でたまっていたけど、真上から抜いておけばなんとかなるかな。。。 って思ってたような気がする。本当に、今から考えると恐ろしい母親に変貌していたかもしれない。
退院の日が来た。
やっと、家に帰れる。でも、水は全部抜けたわけじゃない。でも、この子にはできる限りの事をしてあげたつもりだ。
それから、通院の日々が続いた。MRIをかけるには、赤ん坊は寝かさなくてはならない。睡眠薬を飲ませ、病院で寝かせる。大変だったけど、毎回頑張った。本当に頑張ったのは3女なのに・・・・
それから、真横の水がひきはじめた。ここまでくれば安心と先生に言われたのはいつ頃だっただろう・・・・
結局、3女は背負い投げのような形で、落とされたというより、投げられた怪我だった・・・・
今、何事もなく育ってる3女を見ると、本当によかった って 思う。
次女は1月生まれ、3女は同じ年の11月生まれ。。。
正式な場所に行くと、今でも聞かれます。
「本当にこの子はあなたの子ですか?」って
もちろん、私の子供です。でも、ちょっとだけ、早く産んでしまっただけなんです。。。。。