
| あの日から私はしばらく時間が止まってしまった 何も覚えていない・・・ あの後の一ヶ月間の記憶がまったくと言っていいほどない ただ覚えているのは 今はきっと悪い夢を見ているんだって ずっとずっとそう思ってた毎日だったこと ずっとずっと夢の中をさまよってたあの頃 夢から覚めたらきっと美妃がまた今まで通り 笑って抱きついてきていっぱいいっぱいキスしてくれる そう思ってた・・・ そう信じたかったから 現実から逃れて夢の世界に紛れ込んでいたのかもしれない どれくらい会社休んでいたのか いつから会社行き出したのかも覚えていない でも お兄ちゃんが私にあの時 「みきちゃんはね、透明人間になったんだよ ぼくたちには見えなくなっちゃっただけだよ でも、ずっとずっとぼくたちのそばにいるよ」 って言ってくれた その言葉にどれだけ助けられたろうか そうだ 美妃は永遠に私達の胸の中に生きている そして どんな時もいつも見守ってくれている そう思うことで私は少し心が楽になった 美妃を失ってからママは極度の不眠症になる かなりひどかった ほとんど寝れない お兄ちゃんやパパが横で寝ているのも怖い 寝息が聞こえなくなるたび 二人の鼻をつついたりして生きていることを確認する それを10分間隔で毎日やっていたあの頃 きっとパパもお兄ちゃんもゆっくり眠れなかっただろう 夜中がとにかく怖かった 眠るのがすごく怖かった でも、そんな母親の姿を見るにみかねたのだろうか 美妃が私の夢の中に現れた あれは美妃の四十九日(35日目) 七七日のことだった 夢の中で美妃に私は 「今すぐ美妃のもとへ行くからね」と叫んでいた 美妃はそれを拒否した ぜったいに来ちゃダメだと・・・ 私は一人で大丈夫だからと・・・ もうすぐママのもとにもどれるからと それが何年先か何十年先になるかわかんないけど かならずママのもとに帰ると言った 「でもママはそんなに待てない」と言うと 「じゃあ、ママ私についてきてみて」とそう言いながら 私の手をとりぐんぐん天井へと引っ張っていった 美妃の身体は天井をするりと透過し なのに私の身体は天井で何度も何度もぶつかり 天井から先には進めない・・・ そして美妃は私にこう言った 「ここから上へはママが神様にお許しがもらえるまでは どんなに頑張っても上にいけないんやよ」って 「もし神様にお許しもらってないママが今こっちの世界にこようとしても 私と同じとこには行けないんやよ そうしたらママと私はずっとずっと永遠に逢えなくなってしまう だから私が戻る日までもう少し待っててね」 そう言い残してどんどん美妃は上へ上へと高く高く上っていった その時美妃が上っていく空は お花がいっぱいのとても明るい空だった 美妃の姿が見えなくなった途端 私の身体は床へと叩きつけられるようなそんな衝撃を感じた 今もその夢(?)ははっきり覚えている あの時の美妃の感触も言葉も 天井にぶつかった感覚も床へたたきつけられた感覚も はっきり覚えている はたしてあれは夢だったのだろうか??? それから、私はやっと生きることを心に誓った 誓わざるをえなかったのかもしれない そうしないと、もう2度と永遠に美妃に逢えないと言われたから・・・ それからだったと思う 私は辛い時には辛い分だけ逆にニコニコ笑って過ごすようになった まるで道化師の仮面をつけたように・・・ 泣きたい時はみんなが見ていない時に泣きわめくようになった そうしないとまた美妃に怒られちゃいそうで・・・ パパやお兄ちゃんに心配かけないでって そう美妃が私に言っているような気がしたので・・・ そんなある日、会社で 常連のお客様から 「結局SIDSって窒息死なんやってなぁ〜 子供殺してんたのにニコニコ笑ってやがる」と言われた 殺し・・・ すごくすごく心に鋭く刺さった あの頃 まだ私は美妃の死因は自分に落ち度があったからなのではと ずっとずっと自分を責めていたのですごく辛い一言だった SIDSは窒息じゃないって言い返したかったけど SIDSの原因にうつ伏せ寝が引き金になりやすいとしいので だからSIDSのことを知らない人が SIDS=窒息死 そう勘違いするのも仕方のないことなのかもしれない 私もやはりSIDSって窒息死なのかなって思ってしまった それから私はSIDSの事について知りたくて 毎日仕事帰りに図書館に通い 家庭の医学等 医学に関する著書を読みまくった 一度に10冊づつ借りてきて SIDSのことがが載っているのはたった一冊に一行 しかもSIDSとは乳幼児突然死亡症候群と記載されているだけ それでも私は次から次へと本を借り 全部でいったい何冊の本を読み尽くしただろうか? といってもSIDSという文字を探すだけのために 本を借りていただけだったが・・・ しかし何の手がかりもなく途方にくれる毎日だった ある日美妃の夢を久々に見る 夢の中の美妃はいつもよりきらきら輝いて 「ママ、みきちゃんもうすぐママのところに戻れるから・・・」 そう話しかけてきた よくよくみると美妃の横には 美妃とうりふたつの女の子が それから数日後ママは妊娠をしていることがわかった ママはあの夢を信じた あの夢がとても嬉しかったから・・・ ママは美妃が帰ってくる日を待ちつづけていたから そんな夢を見たのかもしれない でも、それでもいい 美妃が帰ってくると思いたかったし それからはまたママに笑顔が戻った 毎日毎日 お腹の赤ちゃんに 早く戻っておいでと語りかけていた それでだろうか? いつもこの頃見る夢は次に生まれた赤ちゃんのお顔は美妃の顔 夢の中で美妃の顔を毎日のように見れた とてもとても毎日が嬉しかった 夢の中だけど美妃に毎日会える 嬉しくて嬉しくてたまらなかった いよいよお腹の赤ちゃん美妃の妹が生まれる瞬間 ママは急にお産をためらった もうママの身体から赤ちゃんが出ようとしているのに 産むのが怖かった 産んで育てていく自信がないから また美妃のように突然ママの目の前からいなくなっちゃうんじゃないかと そう思ってしまって 産むのがとてもとても怖かった ママは赤ちゃんの頭が出ようとしている瞬間、助産婦さんに 「産みたくない この子は私がお腹の中で育てるから」と できもしないことを口走った 自分でもそんなことは絶対できるはずがないってわかっているのに なのに・・・ その時、助産婦さんはママを叱ってくれた 「何言ってんの しっかりしなさい 赤ちゃんは出たがってるのよ 産みなさい、がんばって産みなさい」 と大粒の涙を一粒こぼしながらママを叱ってくれた その一粒の涙がママにはすごく嬉しかった 助産婦さんの温かい気持ちがジンジン伝わってきた だからママはその時 我にかえって産むことを決心 そして、美妃の妹の誕生 ママは嬉しさと不安との入り混じった複雑な心境で 涙があとからあとからあふれ ずっと泣き続けていた ママに抱かれた美妃の妹は びっくりするくらい美妃にそっくりだった 妊娠中に見た夢とまったくおんなじ 美妃が戻ってきたんだとそう錯覚するくらいそっくりだった その上美妃と血液型もおんなじAB型 それからママはまるで3年前に美妃を産んだその時に まるでタイムスリップしたかのように 何もかもやり直しているかのように・・・ だから嬉しいと思う反面、毎日が不安でいっぱいになる この美妃の妹も美妃とおんなじ人生をたどってしまうと思い込んでしまった 毎日毎日寝顔を見るのが怖かった 寝ている間に美妃お姉ちゃんのもとへ行っちゃうのではという不安にかられる その不安は美妃が生きていた日数分ずっと続いた もう美妃のようなそんなことはありえないんだからと 自分にそう毎日毎日 語り掛ける しかし、もう二度とありえないで欲しいと願う反面 ママはこの美妃の妹までもが美妃が生きていた日数分だけしか 生きられないのではと思い込んでしまう それは日が一日一日増すごとにその不安はひどくなる 一ヶ月検診の頃 市の保健婦さんが家庭訪問してくれた 前もってお電話頂いていたので お電話の時に自分の心境をお話しておいた それで保健婦さんはSIDS家族の会があるということを 私のために必死になって探してくれていたらしい その雑誌の一部にSIDS家族の会の事がかかれた記事の切抜きを 私に見せてくれた 「何もしてあげられなくてごめんね どう言葉をかけていいのかわからなくてごめんね これが私にできるたった一つかもしれないけど もし、もしよかったら 一度ここで相談してみてね ここならおんなじ経験をされた方が いろいろ相談にのってくれると思うから 今の私にはこれを渡すしかできない お力になれなくてごめんね」 と、ボロボロと大粒の涙をいっぱいこぼしながら その記事を私に手渡してくれた これが私にとってとても嬉しかった たった小さな小さな切り抜きの記事だったが 大きな希望の光となった そして何より保健婦さんの大粒の涙が私の心を慰めてくれた 今でもこの保健婦さんに心から感謝しています 名前がわからなくてお礼も言えなくてごめんなさい せっかく保健婦さんが私のために必死になって探してくれた記事なのに まだこの時私は、TELをする勇気がなかったl しかし、いつもこの記事を持ち歩いていた 美妃とお兄ちゃんと美妃の妹の写真と一緒に 毎日毎日どこへ行くにも持ち歩いていた いつも最後まで電話番号をかけるのに 呼び出し音がなるかならないかの瞬間 気がつけば受話器を下ろしていた そんな日々が 美妃の妹が生まれて1年半近く続く 日ごとに生きていく自信をなくす 子育てしていく自信をなくす 何もやるきがない 何もかも自信がない 美妃の妹が寝ているのが怖い 生きているのが苦痛の日々 何度子供たちと一緒に美妃のもとへ行こうと考えただろうか? しかし私には死ぬ気力も失っていた 毎日毎日がまるで死刑を宣告された死刑囚のように ただ何もできず、時間が止まるのを祈る日々 一日が経つのが怖かった 美妃が生きていた日数とおんなじ536日目を常に意識する あと何日で美妃の亡くなった日とおんなじになると 毎日毎日無意識のうちに数えてしまう この頃には、また極度の不眠症になっていた ほとんど寝ていないに等しかった 寝ようとしても寝れない 眠ったかと思っても1〜2分後には起きあがって 赤ん坊の寝顔の覗きこんでいる その上寝顔が怖くて仕方ないので ずっと抱っこして無理やり起こそうとする その時、もう限界に達していた やっとその日に思いきって家族の会のビフレンダーの方にTELをする いつもは呼び出し音が鳴ると切ってしまう私だったが 思いきって電話をしていた その電話が私の人生を変えたといっても過言ではないだろう おんなじ経験をされたビフレンダーの方の声 おんなじ思い おんなじ苦しみであることを知る 長い時間電話で泣きっぱなしの私に ずっと付き合って下さった 一緒に泣いて下さった それだけで私の中にあった不安がすーっと消されていった 今でも私は、このビフレンダーの方に感謝し尊敬しています この方とのお電話のことがなかったら きっと今頃私は、この世にはいなかったと思います あの時 私の首には一本のネクタイが巻かれていた状態でしたから いつでも踏み台をはずす準備はできた状態でしたから 美妃の妹が美妃が生きていた日数を超えたとたん 不思議と不安からは解放する そして私は次第にこのビフレンダーの方のように 会のお手伝いがしたくなる なにか私に手伝いができるのであればやりたい そう思うようになる しかし、福井と大阪 この時の私にはあまりにも大阪は遠すぎた だから何もできずにただあまりにも自分の情けなさに いつも腹立たしく思っていた しかしある日 このビフレンダーの方から一本の電話をもらう お手伝いしていただけませんかという電話だった SIDS家族の会の近畿支部主催の オープンフォーラムの会場設営のお手伝いだった パパに相談すると 「お手伝いしに行こう そしてお逢いして直接お礼を言ってこよう 一緒に行ってあげるから」と言って一緒に出かけてくれた そしてそのビフレンダーの方に初めてお会いする そのフォーラムで一生懸命されているそのビフレンダーの方の姿を見て またお手伝いにこられている他のビフレンダーの方の姿を見て 私もこの方達と一緒にお手伝いをしていきたくなった 私の他にも会員の方でお手伝いに来られた方がおられ その方と一緒に思いきって私たちもビフレンダーになろうと誓う 私に何もできないのかもしれない もしかしたらみんなの足を引っ張ってしまうかもしれない でも、活き活きされているビフレンダーの方の姿を拝見して 明るいながらも涙を隠しながら 一生懸命ビフレンダーのお仕事をされているのを拝見して 私もこうなりたい こうなるように努力しようと決心する そしてその半年後ビフレンダーとなる ビフレンダーとは SIDS家族の会というボランティアグループで 赤ちゃんを亡くした経験を持つ会員で訓練を受けたメンバーが 電話などで両親のお話を聞き、話し合うことで、 悲しみや悩みを分かち合う仲間のことです この訓練を受けたメンバーをビフレンダー(Befriender=友達なる人)と呼んでいます 言わば、会のお手伝い役の人達をさします SIDS家族の会とは SIDS家族の会は、SIDSやその他の病気、また死産や流産で赤ちゃんを亡くした 両親を精神的な面から援助するためのボランティアグループです SIDSとは 乳幼児突然死亡症候群 いまだ原因が解明されない病気です 詳しくは私が管理担当している会のHPをご参照下さい ビフレンダーになってもあまり立ち直れていない自分を見つめなおし このままじゃいけないんじゃないかと思うようになる 会員さんからの相談の時にも自分の気持ちを抑え できるだけ 明るく振舞おうと心に誓う ミーティング等みんなで集まる時にもできるかぎり精一杯の笑顔で・・・ 自分自身泣きたい気持ちを笑顔に替え まるで自分は道化師のような仮面をかぶりつつも その方が会員のみなさんが元気になってくれるならと・・・私なりに・・・ でも何年経っても・・・いつも作り笑顔 作り笑顔は苦痛じゃなくなってきたけど でも、みんなと別れた後がとてもむなしい・・・ 私の不眠症は慢性化になってしまう あの子の死亡時刻が何年たっても怖い 子供達の寝顔がパパの寝顔が怖い 仕事中に差し支えるからと寝ようとするがほとんど寝れない いつになっても夜は一人で家族みんなの寝顔を見ながらおびえる日々・・・ 一昨年頃からまた精神的に不安定になる 昨年は、もし美妃が生きていたら4月からは新一年生のはずだった 一昨年の暮れ頃からTVとか新聞とかチラシでは 新一年生のための学習デスクやランドセル等の広告合戦 しかし、私にはそれがすごく辛かった 生きていれば・・・生きていれば・・・ でも、買ってやることも出来ない そのうちTVも新聞もチラシも見たくなくなり その上、買い物に出かけても あっちこっちでその光景が嫌でも目に入ってくる 出来るだけ目をそらして歩いた 子供達のはしゃぐ姿 それを選んでいる親達の姿が・・・私には過酷だった そんな光景を見たくないために 自分からは買い物にも出かけなくなる TVも新聞もチラシも雑誌も見なくなる ただ一日ぼーっと過ごすことが多くなる こんなんじゃいけない 立ち直らねばと思うが 自分からは何もする気になれない ビフレンダーなんだからしっかりしなきゃって思う反面 なんか何もかもがどうでもよくなる ただ ぼーっと過ごせばいいや そんな何にもないただ・・・何気なく生きている毎日 その時パパの薦めもあってパソコンをさわり始める 何かに熱中してると気が晴れるからとパパがパソコンを買ってくれた 会社の仕事にだけしか触ってなかったので、使い方がわからない 会社では数字しか打たないうえ Windows自体 会社で使う時にはほとんど必要としていなかったから まったくといっていいほどパソコンというものがわかんない だからせっかく買ったのにその半年間は ほこりがかぶるほどほったらかしの状態だった ある日パパが、ネットでSIDSの情報を仕入れようという ネットなら新しい情報は次々手に入る そう思い早速ネットに申し込む しかし、ネットにいっても使い方がさっぱりわからないので またいつものごとく嫌気がさす ある日パパが、あるチャットに行ってみないかと薦めてくれた そこのチャット場は主婦が多いから気がまぎれるんじゃないかと・・・ 早速チャットに行ってみる チャットではみんながすごく親切にいろいろなことを教えてくれた そして3回目のチャットですごく気の合う友達が一度に3人もできた その3人と一緒にチャットをしているといろんなことが忘れられた すごくすごく楽しかった 今まで悩んでいたことすべて忘れられる時間だった チャットではパソコンについてもいろいろ教わる 毎回いろんなことを教わったりしているうちにだんだんパソコンが好きになる そして勉強がてらにホームページを製作しはじめる 友達の一人もホームページを製作しはじめ それからママもこの友達に負けじと競い合うようにタグを覚える それから、ママはホームページ製作に夢中 みきの死亡推定時刻がやってくるのがすごく怖かったのに 毎日毎日その時間はいつも子供達の寝顔を見ながらおびえていたのに その時間帯にネットをするようになってからは 一人で起きていた恐怖もみんなと一緒だと日に日に薄れ和らいでいった チャット場でHP詳しい人がいるとその人達と仲良くなって PCやHPについていろいろ教わるようになる どうしても初めに仲良くなったネット友達の3人を アッと驚かせるようなHP作ってみたかったから・・・ パソコンはおもしろい パソコンど素人のママにはわからないことだらけだったが わからないことだらけのママにネットの友達はみんな親切に教えてくれた 優しく楽しく説明してくれた だからそれがすごく嬉しくて・・・ ますますパソコンがネットが大好きになった そしてママはいろんなことに興味をもつ HTMLにDHTML JAVAスクリプトにJAVAアプレット そしてCGIにVBなど・・・etc そうやってパソコンに熱中している時が一番楽しい そのためか落ちこむ日も少なくなり だんだんママにも笑顔が戻ってきた それに正直言って・・・ そうやって一生懸命何かに熱中していないと また気が滅入ってしまうから・・・ パソコンは魔法の箱 使い方によって賢く動いてくれる いろんなことを手伝ってくれたり見せてくれたり楽しませてくれたり・・・ そして何より・・・いろんなお友達をいっぱい連れてきてくれる♪ 友達ができることで ママは以前のママに戻ることができた 時には落ちこむこともあるけど そういう時は友達がいつも励ましてくれた 落ちこむ理由は言えなかったけど・・・ 「何があったかは聞かないけど でも、 元気出して」の一言が どんなに嬉しかったか・・・ 素晴らしい友達との出会いがママに元気を与えてくれた ネットで出会った友達みんなにすごく感謝しています みんなありがとう♪ ネットで出会った友達みんなみんな大好きです♪ これもみきが・・・ ・・・みきがママにくれた出会いだよね? みき、ありがとう♪ |