今世紀最後のテニスを終えて、帰ったのが9時過ぎ、ホクは今日は昼寝をしてしまい、夜も遅そう。妻とリョマは二階で部屋の模様替えやら、なんやらをしていた。着替えて下に下りてみると、ホクが私の顔を見て、嬉しそうに笑う。一人で寂しかったのかと思い、「おいで」と声をかけると、私の胡座の上にちょこんと座った。後ろから抱きかかえると、余計ニコニコと笑う。そのうち、自分は背中を丸めてうずくまり、その上から覆いかぶされと示す。重ね餅のような格好になる。更に今度は、座布団と私のサンドイッチの中に潜り込み、顔を私の顔に擦り付けたり、額をくっつけあったり、目と目を思いっきり近づけて笑いあったり・・。二人が下に降りて来るまで、三十分もそうしていた。

 ホクとそうしているととても気持ちがいい。悦楽の境である。自分の頭の中にかなり良質のアルファー波が流れているのが分かる。思えば、3歳くらいまでの子どもにはこのような、抱きしめた時の(大人の側の)気持ちよさが誰にでも備わっている。ところが、段々と成長するに連れてそうした快感が薄まっていく。リョマも好きで、時には抱っこもするが、この法悦境の純度は明らかにホクの方が濃い。

 なぜだろう?

 恐らく、言葉のない世界であることが関係しているのだと思う。言葉という媒介を通してお互いの心を確かめ合うのが一般的な人間の交流だが、ホクとはそれがない。体を触れ合ったりする形で交流するという極めて原始的な手段をとらざるを得ないが、それゆえに一層直接的に心の響くのだろう。言葉の出ない分をそうした魔性の魅力で補っている。人間というもののバランスに驚嘆する思いだ。

彼のピュアな心、澄んだ瞳に出会うと、日々言葉を追い掛け回し、言葉で考え、すっかり言葉にまみれて、失ってしまった何かが取り戻せるような気がする。ホクと出会えてよかった、彼が自閉症であることに感謝をしたくなるような瞬間である。こんな書き方をすると誇張、諧謔と取られるかもしれないが、そうではない。その実感は実際にホクのような子を抱きしめた者でなければ、分からないものかもしれないが・・・・。