先日、ほくとの就学前にあたり、初めて医師の診断なるものを受けてみる。
「診断結果は?」「自閉症です。」極めて無機質な医師の言葉が今も耳にこびりついている。
ある意味全く予想していた通りの反応。受け答え。何かの指針があればというわずかな期待にこたえる何ものもそこにはなかった。
絶望は私のスタイルではないので、しないことにしているが、それでも暗澹たる気持ちにさせられたのは、医師の「自傷行為は、三段階の最も下のレベルです。五歳となった今では遅い、二歳前ならばなんとかなったのかもしれませんが・・・。」という内容の言葉。この言葉の酷さは、次の二点を指摘すればわかってもらえると思う。
第一は、自分たちのスタンスの治療があれば、さもほくとの状態が変わったかのような口ぶり。
自閉症に関して劇的に状況が改善される効果的な治療などあるべくもないのに(あれば何を犠牲にしてもしている)、さもあったかのような言いぐさ。でも断定するだけの自信がないので、最後の語尾は「かもしれません。」という曖昧な誤魔化し方になる所が小賢しい。(もし、私たちが「では過去のやり方が悪かったから、こうなったといいたいのか?」と突っ込めば、「いえ、あくまでも、仮定の話ですから・・・。」と逃げる余地を残した論理。)
もう一つはその自傷行為をする最低レベルの子どもに育て上げるまで、母親がどれだけ苦労し、心の血を流したか、その事実に対する配慮に欠けていることである。単に診断を下して、輪切りにすることは簡単、誰でもできる。
だが、子どものそうした状況に至るまでのプロセス、そこに至るまでの親の苦闘を何ら考慮しない言い方は、患者若しくは患者の父母に対する拒絶のスタンスに繋がるだろう。突き詰めていえば、その医師の人間性の問題か。
しかし、そうしたスタンスはある程度予想されていたので、落胆というほどでななかった。やっぱりそうかという諦観に近かった。
私が愕然としたのは帰りがけに医療事務の方が、「先生の診察を受ける際には、非常に混んでいますので予め覚悟して下さい。」といった時。そうした医師が順番待ちの状態である。つまり精神医学の世界では、いい方ということになるのだ。じゃあ悪い方って・・・?。
もう一つ、悲劇だったのが、じゃあ今後具体的にどうするのかという話になった時、推薦されたのが(こっちがうんともすんとも言わないうちに、勝手に推薦状まで書いてくれた。)、二年前どうするかと考え、スタンスが違うので行くのをやめたNの会だった。要するに自閉症に関しては、選択肢がほとんどないという袋小路の状況なのだ。
更にいえば、これが札幌という二百万人になろうという大都市の状況であり、これでもまだ地方よりはマシな方
であり、恵まれた環境なのだという事実に慄然とする。教育の現場がとにかく酷く、行き詰まった状況にあることは、身に沁みているが(その意味では私もA級戦犯なのだが、)、特に社会的な弱者が集まり、能率主義の観点からは全くの役立たずとして疎外されている精神医学の現場の貧弱さも負けず劣らずといった所である。
私がほくとのことで不安を感じるのは、彼自体のことではなく、それを取り巻く環境のことである。例えどんな状況にあっても彼は彼であり、私の好きな人である、それは普遍だろう。だが、今後の日本社会と彼との関係を思う時、楽観主義の極みである私も、「うーん」と唸らざるをえない。
それでもどうにかこうにかやっていかなくてはならないし、またどうにか凌いでいく自信もあるのだが、それにしても・・・・という気になった一日であった。
【注】 この文章は、一個人の医師を問題にし、誹謗中傷した文ではありません。日本の医学・福祉の現状を憂い、問題提起をした文です。趣旨をご理解願えれば幸いです。