入院2日目

地の底から響いて来るようないびきと、それにいらだつ隣人のため息をBGMに、入院第一夜を明かした。

その隣人は、再発癌コントロールのための化学療法中のMだ。いつも帽子をかぶり、点滴のスタンドをガラガラいわせてゆっくり、ゆっくりトイレへと歩いて行く。目の下の隈が痛々しい。まだ40前なのだろうが、やつれて年齢不詳である。

向かいのベッドに寝ているのはCHUBと同じ日に、こちらは再建手術をした中年の女性E。動こうにも動けないらしく、何度かナースを呼んでいた。

そして斜め向かいのベッドには、まだ20代前半の、とてもきれいな女の子Aがいる。Aは乳房切除と同時再建。CHUBよりも2-3日早く手術したようだが、まだ歩くのが辛そうだ。ドレーンが3本も入っていて、動くたびに「いたっ」「いたっ」と声がする。

痛い思いをしている同室の女性たちに囲まれて、CHUBはほとんど痛みを感じていなかった。モルヒネも何となく二度ほどボタンを押したが、それも大分前だ。ぼんやりしていると看護士のSがやって来た。「CHUB、あなた手術後一回もおしっこしてないわね。出ないの?」出ないのでも、我慢しているわけでもないのだが、ドレーン二本、酸素、水分、モルヒネと、うねうねと出る管たちに圧倒されて動けなかった、というのが正直なところだ。酸素の管をはずしてもらい、トイレへと向かう。右手で点滴のスタンドを握り、左手にドレーンを入れた布袋を持つ。絡まないように、管を踏まないように...。スタンドのキャスターにも癖があるらしく、なかなかまっすぐ進んでくれない。CHUBも堂々、「ノロノロトイレに向かう同盟」の仲間入りを果たした。

トイレの中では、初めてハハの言う「胸に鉄板が入っているみたい」と言う感覚が分かった。力が入らず、腕が動かないのだ。パジャマのズボンを下ろすのも一仕事なら、上げるのも大変。シートの右側にあるトイレットぺーぺーに左手が届かない。左手でトイレのレバーを押しても、力が足りず、流れない。腕を上げようとすると、水平になった辺りで止まってしまう。顔を洗うにも、顔をかなり低くまで持って行かなくてはならない。手術後に縫いあわされた皮膚は、無理に引き伸ばされたように感じ、(実際そうだったのだろうが。)無理に腕を動かすと、傷口がパツンッと弾けてしまいそうな気がする。「鉄板」とはこの皮膚の張りのことだったのか、と納得した。

洗面という一仕事を終えて再びベッドによじ登ると、電話が鳴った。苦労して体を起こし、動かない腕を必死に伸ばして電話機をたぐり寄せる。もう少し、もう少し。電話のベルは鳴り続ける。やった!やっとの思いで受話器を取ると、聞き覚えのない声がした。「ジニー、どう、調子は?」まちがい電話だった。そうか、一人に一台電話があると、まちがい電話もあるよなぁ、とゆったり構えたふりをしつつ、心の中では地団駄を踏んでいた。シリアルにトースト、そして痛み止めの朝食を終えた頃になると、他のベッドの脇でも電話が鳴り始めた。向かいのEも、電話に手が届かず苦戦している。入院生活の中で、面会や電話ほど嬉しいものは無い。皆、受話器を取ろうと必死になる。電話の位置が遠いのは、もしかしたらリハビリ担当のフィジオセラピストたちの陰謀ではないか。そんな疑惑が頭をかすめた。

昼過ぎにはモルヒネ、水分の点滴もとれ、大分身軽になった。PUDGEもお見舞いに来てくれる。廊下の向こうから大きな花束を抱えてやって来るのが見える。しかし、CHUBのベッドにたどり着くのに、やけに時間がかかっている。何をしているんだろう? ようやく着いた頃には、花束も大分小さくなっていた。問いつめると、同室で花のない人の所に片っ端から花のおすそわけをして回ったらしい。おばあちゃん方が笑顔でお礼にやって来る。こんな気配りのできる人が夫で良かった、と思う反面、外面が良いんだから、と少しにくたらしくもあった。

入院中は寝ていれば良いだけかと思いきや、入れ替わり立ち替わり様々な人がやって来る。朝一の血圧、検温に続いて朝食。新聞売りのトロリー。食後に紅茶(さすがイギリス)、大きなジャグいっぱいの氷水が配られる。水分をたくさん採れ、ということだ。昼食のメニューを選んで注文し、ホッとしたのもつかの間、血圧と検温、そして昼食の時間となる。食後は紅茶で一服しつつ、夕食のオーダー。食事のメニューは、スープに始まり、ビーフ、チキン、魚、ベジタリアン用メニューのメインコース。付け合わせの野菜も選べ、デザートもついてくる。一見豪華なのだが、これが素晴らしくまずい。これでもか、という位に火を通し、野菜は歯ごたえがあっては失格。舌の上でムニュムニュとつぶれるくらいが良し。味付け、などという観念は捨てた方が良い。悪名高きイギリスの、これまた悪名高き病院食だ。さすが半端ではない。こんな考えはおくびにも出さず、オーダーを済ませると、たくさんのスナック菓子を積んだ移動売店がやって来る。商売が繁盛するはずだ。2-3時の安静の時間をはさんで、ドクターたちが回診にやって来る。ドレーンから出た血の量を調べ、世間話をして終わり。ようやくウトウトしかけると、血圧と検温があって、夕食の時間だ。夜食や朝食のオーダーもしなければならない。お腹を空かせているであろうPUDGEと夕食を分け合おう、と思うが、あっさり拒否された。

こうしてCHUBの食っちゃ寝入院生活2日目は、無事に暮れていった。

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